本文サンプル>>> 太陽電波雑音
 
 ひゅ、と刃の軌跡が朱く暗い空に白く滲む。
 夕日が染め上げる広い練兵場で無心に剣を振るううち、勤勉な豊臣兵達は全員引き上げたようだった。三成の相手になるような者がいない以上手合わせに、などと言い出す者はなかったが、喩え腕に自信があったとして、近付く者はないだろう。いつでも遠巻きに、その疾い剣の切っ先が届かぬ場所で、皆ちらちらと此方を窺うだけだ。
 汗の一つも掻かぬ顔で数えきれぬほどの斬戟を放ち続けてはいたが、まだまだ躯は軽い。以前は細身ゆえに侮られることも多くあったが、剣さえあれば誰にも引けを取らぬと三成は自負している。三成を超えるのは武の主君豊臣秀吉と、その右腕知の竹中半兵衛だけだ。
 びゅびゅ、と幾筋もの斬戟を放ち、その向こうに陽炎のように揺らめいた人影に気付きながらも三成は続けて剣を振るった。あっという間に輪郭を得た人影は、息を弾ませながらも真っ直ぐに此方へと駆けてくる。
「三成! 此処にいたのか」
 額にも首筋にも健康的に汗を流しながら、家康は子供じみた顔でぱっと笑った。易々と三成の間合いへ入り込み、膝に手を突いてふう、と大きく息をする。あまりの疾さに遅れて流れる斬戟の、その合間を完全に見切って懐へと飛び込んだ男にちらと視線をくれて、三成は鞘へと剣を収めた。
「部屋に戻ったら姿がないものだから、探したぞ」
「何用だ」
「金吾の用が済んだからな」
 汗を拭い、家康は顔を上げて首を傾げた。
「戻らないのか? もう日が暮れるぞ」
「…………」
 かちん、と鯉口を切り、再びかちん、と戻した時には家康は後方に跳んでいた。ひゅ、と一筋だけの軌跡が、無人となった空を斬る。
「三成?」
「手合わせしろ」
 家康は一つ瞬いた。その両手には籠手もない。いくら拳を鍛えようとも三成の剣を受けて切れぬ腕はないから、此のままでは家康は避け続けるか斬られて死ぬかしかない。
「今か?」
「嗚呼、今だ。槍にしろ」
「判った。少し待っていてくれ」
 あっさりと頷いて、家康は手を振りそのまま踵を返して再び走り出した。その背を視界の真ん中に捉えながら、三成はひゅ、と剣を振るう。滲んでいく背に、刃の軌跡が重なった。
 少し刃を振るううちに、ふいに頭上に風を感じた。反射的に跳び退り柄を握ったまま身を低くするとほとんど同時に、先程まで立っていた場所から幾分かずれた場所へ、どん、と全身甲冑に身を包んだ人に有り得ぬ巨体が着地した。その両手には機械仕掛けの巨大な槍を握っている。
「待たせたな、三成!」
 何の用だ、と怪訝に眉を顰めた三成に、大股で駆けて来た家康が久し振りに見る槍を握った腕を大きく振った。がしゃん、と音を立てて、家康の腹心が躯を伸ばし、持ち替えた槍の石突きを地に突いた。
「忠勝がどうしても手合わせを見たいと言うんでな。駄目か?」
「どうでもいい。さっさと始めるぞ」
 もう一度柄に手を掛け身を低くすると、家康はぐるりと槍を返して構えた。昔は身の丈以上もある大きな槍だったという話だが、今は標準の長さだ。
 錫杖じみた、石突きにも刃のある槍を構えた家康に、三成は無言で斬り掛かった。三成の剣は居合いの技だ。本来ならば立ち向かって来られてこそ本領を発揮するが、それでは戦には勝てない。故に、秀吉の敵を滅するために三成は攻めの居合いを会得している。
 逆に家康は、先手必勝ともいえる拳での戦いの割に、防御を基本としている。無論防御なくして素手で戦うことは出来ないが、それにしても疾さに掛ける。
 専守防衛などどこぞの安芸の武将のようだ、そういえば刑部が興味を持っていたな、と考えながら、三成は剣を振るった。やや背後に槍を構えて足を擦る、家康の穂先の軌道は読み切れない。
「やはりお前はッ、槍を持つべきだ!」
「なんだ、藪から棒に」
「身の丈に合った槍を作れ、家康! そして秀吉様の為に戦え!」
「……そうだなあ」
 楽しげな笑みを浮かべたまま小さく呟き、ふいに槍を手放した家康が、突き出した剣を裸の腕へと受けた。三成は目を瞠る。背後で、瞬間的に忠勝が身構えた音がした。
「わしは二度と、武器を取るつもりはない」