本文サンプル>>> エフェメラル2 |
みんみん蝉の間延びした声が遠く山々に木霊している。少し先の小さな滝が水を落とす音が涼しげに響く。 佐助は岩場に迫り出した夏の日差しに青々とする枝の下にだらりと躯を伸ばして横たわり、水面で暑さを削がれた風がさらさらと吹くのに目を閉じたまま口元を緩めた。躯の下の岩場は少しぬるくなりつつあるが、まだ移動するほどではない。 風にぴく、と耳を弾かせ、佐助はひくひくと鼻を動かした。寝不足に疲れ、髭が小さく痙攣する。 昼に動いていることが多いために夜は寝ている佐助だが、近頃日が落ちても蒸し暑くてよく眠れていなかった。夏なのだ。涼しい穴蔵や木陰で日中休み、狐らしく夜に行動すべき時期だ。 やっぱり水辺はいいや、とうっとりと緩んだ口元からぺろりと舌を覗かせ鼻を舐めて、佐助はふう、と至福の溜息を吐いた。ばっしゃん、と水が跳ねる音がする。 「佐助、お前も泳げ! 心地よいぞ!」 幸せな転た寝を揺り起こす勢いで鼓膜を振るわせた大きな声に、佐助はむう、と不機嫌に鼻を動かして目も開かぬままごろりと川へと背を向けた。 「やだよ。俺様ここでお昼寝するんだから」 「暑いと言ったのはお前ではないか」 「泳いだらくたびれちまうだろー。こんなに暑いんだから体力温存しなきゃばてちゃうよ」 「朝夕と水浴びしておるではないか!」 川の中から言い募る主に、佐助はふん、と鼻を鳴らした。 「泳いでないもん。浴びてるだけだもん」 生意気な言葉にいつもならば叱責が飛んでくるというのに、主はしんと黙った。目を瞑り、寝たふりをしながら耳を欹てているとやがてざばざばと泳ぎ始めた音がした。 旦那は元気過ぎるんだよ、と川に背を向けたせいで顔を擽る葉に首を竦めながら、佐助はふう、と深い息を吐いた。周囲に怪しい気配はないし、なによりすぐそこに幸村がいる。なにかあっても対応は出来るだろう。 少し眠ろうかな、とうとうととした頭で考え始めた佐助は、ふと水音が消えたことに気付いた。 滝のほうまで泳いで行ったのだろうか、と考えて、先日信玄も共にやって来た際、虎の師弟が修行だとかなんとか嘯き気合いの叫びを上げながら滝に打たれていたのを思い出す。 滝壺に流されたとしても深くもないし、あの調子なら溺れることはないな、と考えて、佐助はほんの少しだけ日向に出ていた先の温まったしっぽをくるりと引き寄せた。 「………ん?」 ふいに、伸ばした躯にぽたりと水滴が落ちた。 佐助は薄く目を開け影を見上げる。 「旦那……?」 ふ、と影が大きく動いた、と思ったときには振りかぶった爪をしまったままの前脚に大きく掬われ、そのままぽんと躯が投げ出されていた。 「へ?」 一気にきらめきを増した視界に目を瞠る間に、ゆっくりと弧を描いて宙を飛んだ躯が落下した。佐助は慌てて脚を藻掻き身を捻る。 「うわわわ、わあ!」 どばしゃーん、ごぼぼ、と人事のように耳に響いた水音に慌てながら、佐助はあぷあぷと慌てて水面へと顔を出した。 「ちょ、ちょっと……」 「どうだ、気持ち良かろう!」 決して泳げないわけではないもののあまりのことに溺れかけながら、佐助は慌てて水を掻いた。先程まで佐助が昼寝をしていた木陰で主が楽しげに笑う。 「な、何すんだよ、旦那! 溺れたらどうするの!」 「お前は泳げるであろう」 「急に水に落とされたら泳げたって関係ねえよ!」 無茶苦茶なんだからもう、と憤慨しながらなんとか体勢を整え岸へと泳ぎ着くと、ど、ど、と岩場を跳ねた幸村がやって来てそのまま水面へと跳んだ。 「え……?」 ふっと頭上に降った影に、佐助はぽかんと目を瞠る。大の字の巨体の、妙にくっきりと白い濡れた腹毛が縺れたまま靡く様まではっきりと見えた。黄と黒の尾が、真っ直ぐに頭上を通り過ぎていく。 時が止まったかのような一瞬を経て、慌てて岩場へよじ上ろうとした佐助はどばあん、と水柱を上げて飛び込んだ幸村の起こした渦に巻き込まれ、再び水の中へと攫われた。 「ちょ、っとお!!」 「冷たくて心地がよいなあ、佐助!」 「溺れるっての!!」 お構いなしに笑いながらざぶざぶと水を掻いて寄ってきた幸村は、ざぼ、と潜るとそのまま頭で佐助の腹を掬った。水の上で転げかけ、佐助は慌てて虎の毛皮にしがみつく。 「ほれ、こうしておればお前は泳がずに済むだろう?」 「だっ、旦那、早い、早いって! ちょっと待っ、うぷ、」 上手く背に乗れないうちに泳ぎ始めた幸村にばちゃばちゃと水を掻いて、佐助は妙な具合に流される躯を慌てて立て直した。しがみつく脚の下で、水を掻く肩が交互に動く。 「うもー、強引なんだからなあ、旦那は」 |