本文サンプル>>> 機械仕掛けの神様
 
「邪魔をするぞ!」
 ばん、と戸を開け土間に草履を脱ぎ捨てると、馴染みの顔が幾つかいらっしゃいませと湯呑みを翳した。酒が入っているのだろう。
「弁丸様、こっちで一緒に飲みませんか」
「甘酒もあるんですよ。おつたさんが酒粕分けてくだすったんです。甘くて冷たくて美味しいですよ」
「すまぬ、後で頂く!」
 ばたばたと囲炉裏の横を通過して、弁丸は片隅の梯子に手を掛けた。数段上り、それからぐるりと首を巡らせ忍び達を見下ろす。
「佐助はおるか!?」
「上で寝てますよ」
「あいつ、何かしたんですか」
「別に何もしてない!」
 矢張りここに居るらしい、と後は振り向かずにがしがしと梯子を上り、弁丸は広い屋根裏へとよじ登った。
 囲炉裏の間に半分だけ天板の張られた屋根裏は、土間の上を含めた残り半分は吹き抜けた。掃除が行き届いているのか埃臭さはないが、時折使う囲炉裏で燻されるのか、煤の臭いが僅かにする。
 その屋根裏の端に、布団の塊があった。
 背が伸びたせいですっかりと立ち上がると屋根に頭が触れるため僅かに身を屈めて、弁丸はその布団玉へと近付く。
 布団がもぞり、と寝返りを打った。目が光る。猫か山の獣のようだ、と弁丸は思った。
「………起きておったか」
「あんな大声でわあわあ来られて、普通の人だって起きちゃうでしょ」
 もー、と溜息を吐き、佐助はもそもそと髪を掻き混ぜながら起き上がった。
「何か用? 俺様眠いんだけど」
 くわあ、と礼儀の欠片もない大欠伸をして、佐助は少しばかり不機嫌にした。
 佐助が真田の城に連れてこられてからは五年ほどになるが、弁丸の近くへ上がるようになってからは未だ二年にもならない。
 その間にくるくると表情の変わるいつでも楽しげで飄々とした忍びの表情はいくつも見たが、寝起きの顔はそういえば初めてだ、と弁丸は思った。
「弁丸様?」
「い、いや、」
 怪訝に名を呼ばれ、弁丸ははっとした。何か言おうと口籠もり、確固たる理由があって駆けて来たわけではないとふと気付く。
 午の最中に戻った佐助の何でもないような態度と先程の父の言葉が相まって、居ても立っても居られなくなっただけなのだ。
「お……お前も、大儀であった」
「はあ?」
「ち、父上が、褒めておったぞ。その、おれも、お前を褒められて、誇らしかった……ような気が、」
 何を言っているものか自分でもよく判らない。
 俯きながらぼそぼそと言うと、佐助は立てた片膝に頬杖を突いて頭を支え、しばらく弁丸を見ていた。
「………なんかよく判んないけど、お疲れ様ってことかな」
「そ、そうだ」
「ありがと」
「う、うむ……」
 そろり、と目を上げ、暗くした灯台の明かりに照らされる白い顔を見る。
 佐助は特に笑いもしていなかったが、無表情というには険がない表情で弁丸を見ていた。少しばかり不思議そうにしている。
「で?」
「ん?」
「それだけ?」
 そわそわとしていた弁丸は、素っ気ない言葉に肩を落とした。
「そ、それだけとはなんだ」
 佐助は器用に片眉だけ顰めた。
 額当てがなければ弁丸と同じ年程度にしか見えない童顔が、似合わぬ複雑な表情を作る。
 大人のようには見えぬのに、佐助はいつも、大人の表情を浮かべる。
「だってさ、いつもはわざわざ労りになんか来ないじゃない。しかも俺様、今回はお使いしてただけだしさあ」
「その使いが大変なものだったと聞いたぞ」
「たかが物見でしょ」
 肩を竦め、佐助は膝まで掛けていた上掛けを退けて弁丸に向かい直った。胡座を掻く。
「弁丸様って俺様のお仕事、そんなに楽ちんだと思ってるの?」
「えっ」
 佐助は首を傾げた。量の多い髪が、もさりと肩に乗る。
「だってさ、物見ごときでわざわざ労りに来るとか、普段どんだけ仕事してないと思われてるのかって気になるじゃないの」
「そ、そんなことは思っておらん! ただ、父上が、苦労を掛けたと申されていたから……」
「苦労ってほどじゃないよ。お気遣いいただいて有難いけどさ」
「そ、それに、その……おれは、お前が来たときに、本当にただの使いだと思うておったのだ。おれの様子を見に来たものかと……」
「ただのお使いですし、弁丸様の様子を見に来たんだよ。だってあんたがお留守番の要だったでしょ。真田の旦那に留守を頼むって言われたんでしょ?」
 弁丸はじっと佐助の目を覗いた。はぐらかしているようには思えぬ。
「………本当にそれだけで戻ったのか? 飴湯を飲んだだけで?」
「そうだよ。美味しかったね、おつたさんの飴湯」
「城の見回りなどは……」
 ああ、とようやく合点がいったとばかりに頷いて、佐助は苦笑した。
「そりゃ、城と周りくらいはね。だから着替えてたでしょ?忍び装束でうろちょろしてたら、誰か潜んでたときに警戒されるからさ」
「お前、そんな素振りはなかったではないか」
「んー、だって様子見て来いって言われたら、当たり前のことでしょ。そんなの一々言わないよ」
 弁丸は眉を下げた。
「ならば、留守を任されたおれは、本当なら見回りをしなくてはならなかったということだろう。何故おれに任せなかった」
「いやいや、大将は本陣でどんと構えてるもんですって」
「た、大将?」
 ぽかんとして大きく瞬き、口も目も開けたまま弁丸は己を指差した。
「お、おれのことか?」
「勿論。真田の旦那が城を任せる、て言ったんだから、お留守の間はあんたが此のお城の大将。本丸でいつも通りにしといてくれるのが、お家の人だって安心ってもんだよ」
 勿論なんかあれば報告に上がったけどさ、と佐助はゆら、とまた躯を揺らした。
 その尖った膝に目を落とし、弁丸はあ、そうだ、とぼんやりと呟いた。懐に突っ込んだ握り飯を取り出す。
「もう飯は食えるのか?」
「え、食ってないとか聞いたの?」
「父上が、疲れ過ぎて飯も食えぬだろうと……」
 未だ無理か、と伺うと、佐助はじっと弁丸を見詰めてそれからくすりと笑った。
「や、平気だよ。いただきます。腹減ってたんだ」
「茶はどうする。酒がいいか?」
 下から貰って来よう、と腰を上げ掛けた弁丸の袖を引いて、既に握り飯を頬張っていた佐助は頭を振った。
「水置いてるから、いいよ。酒は後でゆっくり頂きますって」
「そ、そうか」
 頷き腰を落ち着け直し、弁丸はまた少しそわそわとした。他にどう労っていいものか、よく判らない。
 ふ、と、胡座の膝に再び目がいった。
「そうだ佐助! 按摩をしてやろう!」
「は?」
 何それ、と言わんばかりにぽかんとして、遠慮なく手を伸ばした弁丸から守ろうとでもいうように、佐助はぱっと胡座を解いて膝を抱えた。咥えていた握り飯が、器用にぱくんと口の中に消える。
「いいって! 何であんたが按摩なんかする必要があるの!」
「足が痛いのであろう? そうでなくとも疲れておるだろう。揉んでおけば、明日には大分楽になるぞ」
「それは判ってるけど、いや、ほんといいって! 恐れ多いですから!」
 弁丸はぷく、と頬をふくらませた。
「散々無礼な口を利いておいて、今更畏まっても遅いわ」