本文サンプル>>> エフェメラル
 
「佐助え!」
 大声で喚きながら駆けて来る足音は、獲物を狙う時にはまるで気配がないというのに今は駄々漏れだ。巨体を振り駆ける響きが、地の下からど、ど、と響く。
「佐助!!」
「はいはい、なあに? どうかした?」
 冬支度に余念なく幸村の寝床を整えていた佐助は、ふん、と鼻を鳴らして目を綺羅綺羅とさせた主を見た。
 厭な予感がする、と僅かに尻込みしながら、佐助は首を傾げた。
「どうしたの? 山葡萄の木でも見付けた?」
「違う!」
 ぶん、と頭を振った幸村は、ずいと顔を近付けた。
「佐助、おれのえりまきになってくれ!」
 唐突な求婚にも似た言葉に、佐助はぽかんと主を見上げた。言葉は似ているが、内容がおかしい。
「はあ?」
「知らんのか? 流行っているのだぞ」
 胸を張る幸村に、佐助は反対側に首を傾げた。
「何その流行り」
「部下が主のえりまきになるのが流行っておるのだ」
「俺様の皮でも剥ぎたいの? 死んじまうよ」
「ち、違うぞ! そのまま巻き付くのだ!」
 ほれ、早く巻き付け、と首を差し出した幸村に、佐助はええ、と顔を顰めて身を退いた。
「厭だよ、そんな妙な真似。つか、何処で流行ってんだよ、そんなの」
「何処でもだ! 軍神も、彼の銀狐を巻いているそうだぞ!」
「狐が狐巻いてどうすんだ」
「豊臣では、覇王に軍師が巻き付いているそうだ」
「嗚呼……鼬は巻きやすそうだねえ。けど、どっちかってえと、軍師さんのが暖を取ったほうが良さそうじゃねえ? あんなに躯弱くちゃ、此の冬は厳しいんじゃないの」
「奥州はもう雪がちらついて、特に寒い日など独眼竜に片倉殿が一日中巻き付いているそうだぞ!」
「竜に竜が巻き付いてたら、落ち着かないでしょ。蛇の喧嘩みたいでなんか気持ち悪いし」
 どうも伝聞ばかりのようだなあ、と胡乱げに見遣るも、幸村はきらきらと期待に満ちた目をしたままますます頭を下げて顎を地に付けた。
「遠慮をするな、佐助!」
「いや、遠慮させて頂きたいんですけど」
「早くせねば、お館様からお呼びが掛かるぞ!」
 ばったんばったんと太く長い尾を揺らしながら少しばかり気を損ねた風に言う幸村に、大将が一枚噛んでんのかよ、と佐助は溜息を吐いた。
「しょうがないなあ……」
 よいしょ、と幸村の太い首へとよじ登り、伸ばされた首へ腹這いになって佐助はどうにか躯を落ち着かせた。
「良いか、佐助」
「うん……って、うわわわ、ちょ、落ちそう!」
「あ、暴れるな! 立てぬであろう!」
 んなこと言ったって、とぎゅっとしがみつきしっぽを丸め、佐助はその己のしっぽの先が鼻先を撫でたのに思わずぱくりと食い付いた。それからおお、と口の中で呟く。
「こりゃいいわ。旦那、巻き付いてられそうだよ」
 一度離してそう言い置いて、佐助はもう一度先の黒いしっぽにぱくりと食い付く。そうしてきゅっと足を縮めて居れば、普通にのしのしと歩かれる分にはそう転がり落ちる事もなさそうだ。
「温かいな、佐助!」
「んん」
 機嫌良く歩き出した幸村の、地を踏む震動が響く。虎の厚い脂肪の燃える熱が染み、背を撫でる木枯らしも気にならぬ程だ。
 心地良さに目を細め、佐助はきゅうと幸村の首にしがみついた。苦しいと文句が出るかと思ったが、虎の逞しい首には大した負荷でもないのか幸村は機嫌良く歩いている。
「おお、見ろ、佐助! 栗がなっているぞ!」
 己ではあまり食わぬくせに、毬の剥き方が昔からやたらと上手い幸村は、取ってはその皮の硬い足の裏で器用に剥いて佐助の所へ持って来る。しかし狐の主食は肉である。有難くない訳でもないので受け取ってはいるが、今取るとでも言い出されたら、暫く解放してもらえそうにもない。
 冬支度も途中なのに、と思いつつむー、と呻り抗議をして、佐助は僅かにたすたすと前足で幸村の毛皮を叩いた。
「む、何だ、要らぬのか?」
「う」
「お前、栗は好きだろう。冬が来るのだ。少しでも食って太らねば」
「んむー」
「………要らぬのなら良いが」
 つまらなそうに呟いて、幸村は栗の木へと向き掛けていた足を戻した。
「そうだ、佐助。西の方に、柿の木を見付けたのだぞ。まだ幾らか残っていたから、烏を呼んで落としてもらえば」
「んん!」
 柿の実は渡って来る鳥のものだ。ぎゅっと身を縮めて首を締め付け抗議すると、幸村はむう、と唸って黙った。ぱた、ぱたとしっぽが振られる。
「佐助は何も欲しがらぬな」
 足りているだけだ、と佐助は黙って耳を軽く振った。伝わったのか、幸村は折角木の実がたくさん生っているのにとぶつぶつと言いながら、明確に何処かを目指して足を進める。木の実を与えたいのならば栗鼠あたりにでもやればいいのに、と考えながら、佐助は細めた目を閉じた。揺れる震動と温かな体温が心地良い。
「佐助は昔から、木の実が好きではないか。野鼠などはおれに寄越して、栗や団栗ばかり」
 何の話しだ、と片目を薄らと開けて、佐助は考えた。それからそうか出会った時のことか、と思い至る。
 腹が減ったと泣く仔虎のために融通してやったに過ぎないと言うのに、どうもあの頃から幸村には、佐助が獲物よりも木の実を好むと刷り込まれてしまったらしい。