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佐助はまじまじと頭の天辺から眺めた。 栗色の髪は硬く跳ねて、伸ばした襟足の髪が幾筋か肩に掛かる。赤い装束の襟はぴんと立って、今まさに戦に赴こうとでも言う様だ。 額に締めた鉢巻きは、染みの一つも縒れもなく、長い緒を背後に髪と共に流している。 剥き出しの腹は硬く若い筋肉が張り詰めて、胴の部分に腹当てにもなる大きな飾りの付いた草摺と、大きく炎の意匠が染め上げられた白袴に、赤い具足。 籠手と槍こそ無いが、戦場での主の、赤備えの姿だ。 が、しかし。 「あれ?」 「あれえ?」 ぱちぱち、と己と一瞬ずれて、目の前の主に化けた忍び、猿田幸村は瞬きをした。 「何此れ」 「分身しちゃった?」 心の声を代弁した様な猿田に、佐助は眉を顰めた。猿田はお構いなしに両手を伸ばし、主の熱い掌とは違う、だれた温さのそれで無造作に佐助の頬を掴んだ。 「なんか失敗したかなあ。分身の印混ぜた? ってその割にあんまり疲れてないし……分信玄の術ってほんっと、疲れるんだよねえ。明日躯痛くなったりしないかな。でも変化出来てないし」 「ちょ、痛いって! て言うか、何言ってんの? そっちが分身でしょうが!」 ぱちくり、と猿田は大きな目で瞬いた。主ならばしない、妙に幼い仕種だ。 「へえ? 何言ってるの。そっちが分身でしょ」 「俺様は本体なの!」 「分身の癖に、何馬鹿言ってんの?」 「もう! 消すよ!」 「そっちこそ消えなって!」 同時に素早く印を結び、険しく眉を吊り上げた貌は主のものではなく佐助の表情だ。 「はっ!」 「ふんっ!」 全く変な失敗しちゃったな、と考えながら術を解き、それから佐助はぽかんと口を開けた。 「………あれえ?」 「何で消えない訳?」 「…………」 「…………」 見つめ合い、首を傾げ合って、佐助は引き攣った笑みを浮かべた。一拍遅れて猿田も口元を引き攣らせて笑う。 「もう一回、解いてみようか?」 「そ、そうだね。失敗したのかも。今日調子悪いなあ」 「ほんとだよ。大将達がばかな事言い出すから、おかしくなったんだよ、きっと」 「だよねえ。全く、忍び使いが荒いったらないよ」 うんうんと頷き合い、同じ印を組んで佐助と猿田は同時に「はっ!」と気合いの声を上げた。 暫し、静寂。 「ってまあ、無理なもんは無理だよね」 「まあねえ。判っちゃいたけどさ」 「術解くの失敗なんて、無い無い」 はーあ、と揃って溜息を吐き、双子でも此処まで気が合う事はないだろうと思いながら佐助は取り合えず、と猿田の袖を引いた。 「座ろっか。何か俺様、疲れちゃったよ」 「俺様も疲れちゃったな。お茶でも呑みたいね」 「誰かに頼む……訳にもいかないかあ」 まあねえ、と同意しながら此方も腰を下ろし、猿田はふと己の掌を眺め、それから顔を上げて鏡台の中の事態を見た。 「此れ、解けるのかな」 「え?」 「真田幸村の術」 「嗚呼、」 ぱぱぱ、と素早く同時に印を組み、揃って気合いの声を上げると入れ替わる様に佐助が猿田に変わり、猿田が佐助に戻った。 「別に支障ないみたいね」 「そうね」 「まあなんて言うか、」 お互いに手を取り、まじまじと爪先を見、指を絡めて掌を合わせ、同じ体温を感じる。 「分身って言うより、分裂ってとこ?」 「すっげえ。新しいな。俺様ってば天才」 「でも戻れないんじゃ意味なくね?」 「俺様がいっぱいって事は、俺様並の忍びがいっぱいって事よ?」 「ますます無敵って奴?」 あはは、と額を突き合わせて笑い、続けてはあ、と溜息を吐く。俯いた額同士がごち、とぶつかった。 「どうしよう……」 「旦那になんて言おう」 「まあ、唯の分身だと思われるんだろうけどねえ」 猿田は情けなく眉尻を下げた。 「俺様、旦那に分身扱いされたら、ちょっと厭かなあ」 「俺様だって厭だよ。して、どっちが本物なのだ、とか言われたら困っちゃうよ」 「そろそろ戻って良いぞとか言われたら、どっちかが隠れなきゃならないって事?」 「当番決めとく?」 「いやいや、戻る方法探すのが先じゃね?」 それもそうね、と頷いて、佐助は目の前の瞳を覗いた。己の色の薄い緑掛かる異人めいたそれと違い、綺麗に澄んだ黒い目が、けれど主ほどの熱を込めずに見詰めている。 睫の長い、二重のくっきりとしたいつもより大きく瞠られている目が、瞬きをした。ふさ、と微かに空気が動く。 「何よ、そんなに見ないでよ」 「旦那の顔だけど、でもやっぱり、何処か違うんだよねえ」 「ちょっと、俺様の変化にけち付ける気?」 「違う違う。それは完璧なんだけど、何か……顔色かな」 「んん?」 猿田は頬に片手を添えて首を傾げ、それから未だ繋いでいた手に視線を落とした。任務中は手甲を外さぬ佐助の日に焼けていない生白い荒れた手と、日焼けを繰り返している筈にも拘わらず荒れの少ない、硬い指だ。 「肌の色は、結構旦那だと思うんだけどなあ」 「今度比べさせて貰う?」 「嗚呼、でも、道場の前じゃやばくねえ? 真田幸村の術ー、なんてしたら、俺様だってばれるかも」 「でもさあ、真田の旦那よ?」 猿田は暫し沈黙した。 「………真田の旦那なんだよねえ」 「わざわざお面で視界狭めなくても、覆面被れば判んない気はするんだけどねえ」 「でも、目を覗かれちゃ、ばれるかも」 「嗚呼、まあ、それも旦那だしねえ」 どうしようもねえな、あのお人は、と額を突き合わせてくつくつと笑い、猿田は柔らかい表情のまま身を離してよいせと片膝を立てた。 「ま、何にしても、戻れないもんはどうしようもねえし、先を思い悩んだってしゃあねえな」 「寝れば戻るってもんでもねえだろうけど」 「後でちょっと、手合わせでもしよっか。分裂したから力も半分になりましたなんて事にでもなってたら、目も当てらんねえや」 草履を解き、臑当てを取る手を手伝い、佐助は倒されたままの左脚に指を伸ばした。 「真田の旦那ってさあ、顔赤いよね」 「へ?」 「顔色の話さ」 「べっつに、林檎のほっぺ、なんて事はねえと思うけど」 「気持ち悪い事言うなよお」 けらけらけと笑い、猿田は外した右の具足を放り、左脚も立てて紐を解く佐助の指を見た。 「ほっぺっていうかさ、此の眉間のとこ辺りに血がさ、かーっと上ったみたいな顔」 「嗚呼、いっつもなんやかんやで興奮してるし」 猿田は首を巡らせて鏡を覗いた。 「普段は普通かと思ってたけど、こうして旦那の顔見てると、普通にしてる時でも結構赤いのな。明らかに今の俺様より、顔色良いもんなあ」 「仕方ないって。ころころ顔色変わる様じゃ、困るんだしさあ」 「頭に血が上がると、逆上せるしねえ」 「武田の兵は、逆上せてなんぼだけどね。外れたよ」 ぽい、と左の具足も放ると、猿田は佐助の胡座の膝を挟むようにして、足を伸ばした。 「はあ、何かつっかれたあ」 「密議、結構面倒なんだもん」 「お館様や軍師の旦那は、楽しそうだったけどね」 「諏訪の旦那まで面白がってさあ」 「いつもは、真面目なのにねえ」 「まあ、大将の血筋だしねえ」 言いながら、佐助は伸ばされていた猿田の足の指を摘んだ。 「爪、割れてるね。変形してら」 「嗚呼、旦那の足の親指、今割れてっから……って、わあ、ちょっと、」 「踵がさがさだねえ」 踝を掴んでぐいと持ち上げられ、慌てて背後に手を突き転倒を防ぎ、猿田はそのままごろりと身を捻って横倒しに躯を倒した。 「軟膏塗りなって言っても、聞かないんだもん」 「また冬になったら割れて、湯が染みるって風呂厭がるんだぜ、あのお人は」 「その癖割れた踵で一日中でも走って槍振るんだから、全くおかしいよ」 「小指まるいなあ」 前触れ無くぱくと咥えられて、ひゃあ、と妙な声を出した猿田はけらけらと腹を上下させて笑った。 |