濃い蜂蜜色の丸い後ろ頭が仲良くふたつ、ひよこ色の頭の煙突男の隣に並んでいるのが見えた。高さはひとつが煙突男ことハボックよりも掌ひとつ低く、もう一つはそれより更に小指一本分ほど低い。 ロイはちょっと驚いて詰めていた息をゆるゆると吐いて、楽しげに頷く二つの頭を首を傾げて見つめた。 「こら、お前たち。まず責任者に挨拶に来るべきではないのかね?」 くるり、と左右対称の同じ動きで振り向いた兄弟に、それほど似ていないのに双子のようだな、とロイは思う。目尻と唇の片端が吊り上がったがっしりと首の太い力強さを肩に増した兄に、対照的に丸い目に唇の両端を緩やかに上げた撫で肩の弟。兄ももう決して小さくはなくロイよりも少し高いほどだが、弟のほうが目線が高いのは愛嬌だ。 ロイは眼を細めて笑った。 「アルフォンス・エルリック?」 「はい、マスタング将軍」 落ち着いたテノールは鎧の中に響いていたものではまるでなかったが、その優しい抑揚は確かにあの幽鬼と同じものだ。 ああ、人間になったんだな。 ロイは満面で笑い、近付いて来た兄弟を見詰めて手を差し出した。アルフォンスがその手を柔らかく握る。まるで壊してしまわないかと気を遣っているかのようなその仕草に、ロイは彼の捕らわれていた時間の長さを改めて知り、強く握り返した。温かい。 「おめでとう、アルフォンス君。………良くやった、鋼の」 「アンタに褒められるようなことじゃねぇよ」 「素直じゃないな。よかったなと言っているんだ、喜べ」 「へいへい」 「もう、兄さん」 柔らかく窘めて、アルフォンスは僅かに首を傾げてロイを見下ろした。 「有難うございます、将軍。みなさんにはすっかりお世話になってしまって」 「おや、これからも世話になるつもりなんじゃないのか? 鋼のはまだ銀時計を返す気はないんだろう」 「ええと……」 「返さねーよ」 口籠もる弟の胸をとん、と手の甲で叩き、いつまで握ってんだ、とばかりに握手したままだったロイの手をその白い骨張った手から引き剥がして、エドワードはふん、と鼻を鳴らした。 「アルの身体はまだ完全とも言えないんだ。どんな副作用があるかも解んねぇし、まだまだ研究しなくちゃならないことは多い。これは仮の姿みたいなもんだからな」 「仮、とはどういうことだ」 身長の割に手が小さいな、兄のイメージなのか、と頭の片隅で考えつつ、ロイは兄弟を交互に見る。アルフォンスが小さく肩を縮めるようにしてまた首を傾げた。今にもがしゃり、と鎧の鳴る音が響きそうだ、とロイは思う。アルフォンスにはあの鎧の影が色濃く染みついている。 「あの……ここに」 小声で囁き、アルフォンスは胸骨の辺りを指した。 「ここに、石を」 ほとんど唇の動きばかりで紡がれた言葉に、ロイは一瞬大きく瞬き、その瞬きひとつで表情を戻して頷き踵を返した。 「皆に挨拶が済んだら執務室へ来い」 「了解」 「解りました」 声は似ているんだな、と考えながらロイは僅かに眉根を寄せた。 ───石を埋めただと? それは人間ではないだろう、と口の中で呟いて、ロイは前室へ扉を開いた。馬鹿め、と、小さく罵倒した言葉はそれをした兄へのものか、許した弟へのものか。 それとも、それに怒りを感じる自らへのものか。 ばたん、と背後で扉が大きな音を立てて閉じた。 「ちげーよ、ホムンクルスなんかじゃねぇ。ちゃんと人体だ」 オレがアルにそんなことするわけねーだろ、と心底嫌そうに顔を歪めて、態度の悪さMAXの兄はソファに深々と埋もれて足を組んだ。その隣に鎧のときよりもずっと小さいくせに身を縮めるようにしてちょこんと座った弟が膝の上に両手を置いて首を竦めるようにした。 「命の代わりなんです、これ」 アルフォンスは胸を押さえる。 「馴染んでくれば段々と溶けて、そのうちすっかり同化する予定なんですけど……」 「ウロボロスの連中みたいな能力もなけりゃ再生もしないし、死ねば死んだままだし、成長も老化もする予定だし、子供も作れるし、寿命はまだ解んねーけど多分普通のヤツと同じか……」 「かえって短いかも知れないって話はしてます。とは言っても5、60歳くらいまでは大丈夫だと思うんですけど」 そのくらいならちょっと早死にくらいですよね、と首を傾げるアルフォンスは、隣の兄が僅かに瞳に痛みを落としたのに気付いていない。 ロイは執務机に両肘を突いて組んだ指の上に顎を乗せたまま、しみじみと兄弟を見た。小さく嘆息する。 「なるほど、それで完全ではないと」 「石がきちんと溶けたのを確認するまでは、仮としか言えねーだろ。どうしても駄目ならまた別の方法を模索しなきゃならない」 「他の方法はなかったのか」 兄弟は顔を見合わせ、少し困ったように互いに首を傾げて笑った。その秘密めいた笑みにロイは僅かに疎外感を感じる。 「幾通りか考えはしたんだけど、これが一番成功率が高そうだってことになってさ」 「石で足りない分を補うよりも、石そのものに命を繋がせてこの肉体の形を維持させたほうが確実そうだったんです。人体錬成理論はボクらは元々持っていたので、それに石の……」 「ああ、いい。詳しい内容を聞く気はないから」 片手を上げてアルフォンスを止め、ロイは身を起こして椅子の背へと凭れた。 「しかし何にしても、良かった。安心したよ」 「そうでもないです。まだ問題は山積みだし」 「それは時間が経たねば解らないことなのだからどうしようもなかろう」 「あ、いえ、そうじゃなくて」 アルフォンスがちらりと兄を見た。エドワードは素知らぬ顔でそっぽを向いている。弟は深く溜息を吐いた。 「ボクも国家錬金術師資格を取ろうかって言ってるんですけど……」 「お前は駄目」 「……って、兄さんが言うので、何か仕事を探したいんですけど」 「んなことしなくていいから黙って家にいろ」 ほらね、と言いたげにロイを見て、アルフォンスが微笑した。しかしその微笑には不満げな色が濃く混じる。 最大の恩人となってしまった兄の言葉に今は不承不承従っているけれど、とそんなところかな、と考えて、ロイはくつくつと喉を鳴らして笑った。 「過保護なんだな、鋼の」 「しょーがねーだろ。いつ何があるかも解んねーのに、ひとりで外出せるかよ」 「まあ、国家錬金術師にはなれないとは思うがね」 兄弟が同じ太陽色の眼をぱちり、と瞬かせた。こういう仕草は驚くほど良く似ていて、ロイは記憶の中の鎧のアルフォンスが、途端になかったはずの表情を兄に被せて行く様を快く思う。 記憶は改竄されて行くものだ。削ぎ落とされ憶えていたいものが憶えていたい形で残る。 「国家錬金術師制度はじきに廃止される」 「…………え!?」 「とは言ってもまだまだ先のことではあるがね。錬金術研究所の所員には国家錬金術師が多いし研究所はまだ閉められることはないし、戦場で術を使うことはなくても利用価値はまだまだ大きい。だが、新規での募集はこれからは今までよりもずっと減るだろうな」 大総統が代替わりをしたからね、と含みを感じさせない口調で言ったロイに、兄弟は黙って視線を交わした。 「………今の大総統って」 「ああ。『ブラッドレイ大総統』のような武官気質の方ではなくて、どちらかと言えば文官で、政治家のような方だ。戦争が絶えることはないだろうが、これからは着実に減るだろうな」 「平和になるわけ」 「無理だな、この国ではね」 ロイは低く声を落とす。 「文官としての手腕は見事な方だが、慎重過ぎる嫌いのある方だ。それではこの国は維持出来ん。前任者の派手さが目立ったせいで極端な人選となっただけだから、……まあ見ていろ。そう何年も経たずに代替わりをするさ」 にやりと笑ったロイに兄弟はくすくすと笑った。 「ほんとに出来んのかよ」 「兄さんてば。……楽しみにしてます、将軍」 「そうしてくれたまえ」 嘯き、ロイはアルフォンスを見た。 「では、アルフォンス君」 「はい」 「私のところでアルバイトが出来るように手続きしておいてやろう。基本的には週に5日、10時から4時、業務内容は機密書類以外の書類の清書と領収書類の整理など事務方の雑務。錬金術で備品などの修理を行った場合にはそれごとに手当を付ける。なにかことが起こった場合には雑務は増えるからこの限りではなく休日出勤はあり、早出や残業もあり。ただし一日以上の拘束はなし。10時間以上の時間外勤務があった場合には翌日は休み。電話の応対はなし。お茶汲みはあり。昼食はここの食堂を使ってもらって構わないから無料。残業、夜勤となった場合の食事も食堂で取る分には無料。仮眠室やシャワールームなどは利用可」 「っておいおいおい、ちょっと待て!」 口を挟む間もなく畳み掛けるロイの声に慌てて割り込み、エドワードが身を乗り出した。 「アルを軍に出入りさせる気はないぞ!」 「アルフォンス君の保護者のつもりか、鋼の?」 「ッたりめーだろ!」 「に、兄さん」 食って掛かるエドワードをアルフォンスが押さえる。その苦笑に似た小さな笑みを浮かべる顔に僅かな不満が張り付いているのを確認し、ロイはふん、と鼻を鳴らした。 「いい加減弟離れしたまえ、鋼の」 「るせーよ無能ッ!」 「二十歳を越えてべたべたしている兄弟など気持ちが悪いだけだぞ」 「アンタにゃ関係ねーだろ!! 口出しすんなッ!」 「いいや、するね」 ロイはにやりと笑って頬杖を突いた。 「私だってアルフォンス君には興味があるんだ」 「あァ!?」 「それにここなら事情を知る者も何人かいるし、錬金術師である私もいつもとは言えないが大抵近くにいる。何かあっても君とも連絡を取りやすい。アルフォンス君だって働けるし暇も潰れる。重労働なんてこともないし、現場に出る職務でもないから危険はない。大体軍の中枢だ、安全と言えばここほど安全な場所もない」 「るせェ! アルを惑わすなッ」 「ちょっと、兄さんてば! 将軍に失礼だろ!」 ぐい、と身を乗り出している兄の肩を引いてやや強い口調で止め、アルフォンスはロイに申し訳なさそうな目を向けた。 「あの……せっかくですけど、兄さんがこう言うので……」 「鋼のに負い目を持つ必要はないよ、アルフォンス君。君はしたいことをしたまえ。せっかく人間に戻ったんだ、人生を謳歌しろ」 短い命であるというのならば、尚更に。 ロイはエドワードに向ける皮肉で挑戦的な笑みを納め、薄く笑んだ。 「別にここでずっと仕事をしろとは言わない。落ち着いて身体が大丈夫そうであると解ったのなら、好きな仕事に就けばいい。それまでの腰掛けだとでも思いたまえ」 「…………で、でも」 「虚弱な子供や箱入り娘でもあるまいし、家に閉じ込められる必要はないよ」 兄のエゴにこれ以上付き合う必要はない。 そう続く言葉を敢えて納めたロイに、アルフォンスは黄金を沈殿させた澄んだ水のような両目を向けた。背筋を正し、不審げな兄の視線を受けたままぺこりと頭を下げる。 「………よろしくお願いします、将軍」 「アル!?」 「大丈夫だよ、兄さん。無理はしない」 アルフォンスは二十歳の青年とは思えない可愛らしい仕草で首を傾げ、にっこりと微笑んだ。エドワードがぐっと言葉に詰まる。 鼻血噴くなよ、鋼の。 エドワードの真っ赤な首筋を呆れ顔で見ながら内心で呟いて、ロイはしみじみと思った。 もしかして、余計なお世話というヤツだったか。 兄に酷く遠慮をしている風なアルフォンスが不思議と気に掛かりお節介を焼いてしまったが、そう言えばこの弟は兄のあしらいが異様に上手いのだった。 今しばらく兄のエゴに付き合っていたかったのかもしれない、と思いつつ、それでもロイは前言を撤回することはしなかった。 アルフォンスに興味がある、と言ったその言葉は嘘ではないのだ。 「いつから来ればいいですか、将軍」 くる、とロイに顔を向けたアルフォンスに、ロイはぱちりとひとつ瞬いてそうだなあ、と呟いた。 「手続きをして、今月はもう締めが近いからそれ過ぎがいいかな」 「来週の頭からでは?」 「それで構わないよ」 「ってあと5日しかねーじゃねーかよ」 「生活整えるには充分じゃない」 「……………」 じっとりと恨みがましい目で睨むエドワードを無視して決まりだな、とさらりと笑み、ロイは身を起こして両手を軽く広げた。 「歓迎するよ、アルフォンス君。仲良くやろうじゃないか」 本当に嬉しそうに満面で笑ってはい、と頷いたアルフォンスに微笑み返しながら、ロイは凶悪な顔で睨んでいるエドワードを視界の端でしっかりと確認し、とりあえずしばらくは夜道は気を付けたほうが良さそうだ、と考えて可笑しくなって喉を鳴らして笑った。 ああもう、なんとも。 この子供たちは可愛過ぎる。 何笑ってんだよ、と、表情に違わぬ凶悪な声でエドワードが毒突いた。 |
■2004/8/13 いやロイエドではないですよ?(そこからか)
ロイアル! でもちろんエド→アル。アルに興味津々の大佐と嫉妬バリバリの兄さんと天然アルのお話になればいいなあと考えてますがどうなることやら。タイトルが意味をなさなくなったら笑ってください(目逸らし)。同タイトルで連作になる予定。
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