「アール」
 ぽす、と頭を包んだ大きく皮膚の堅い手に、アルフォンスは顎を上向け頭上から覗く顔を見た。
「あれ、兄さん。なんでここにいるの」
「なんでってなー…」
「研究棟の食堂いっぱいだったの? 見ての通りこっちもいっぱいだけど、ボク食べたら退くからちょっと待ってて」
「いやそうじゃなくてさ」
 なに、と素っ気無く言いながら味の濃そうなスープをすするアルフォンスは視線も向けない。
 エドワードはむっと眉を寄せてびっちり座っているベンチの後ろから身体を割り込ませ、トレイとトレイの間に片手を突いた。剥き出しの機械鎧のその右手に、アルフォンスの隣に座っていた若い軍人(肩章からすると伍長)がぎょっとしたようにエドワードを見上げる。
 その視線を感じながらも横顔を覗き込んで来る兄に、アルフォンスは溜息を吐いてスプーンを置いた。
「なんなの、兄さん。狭くて迷惑なんだけど」
「お前に会いに来たんだっての。あのクソ将軍、1日以上の拘束はないなんつっといて、お前が出勤してから何時間経ったと思ってんだ」
「52時間ってとこかな。でも勘違いしないでよ、仕事をしていたのはちゃんと24時間以内なんだから。翌日の休みもちゃんともらったし」
「……じゃあなんで帰ってこねーの」
「帰る前に少し寝ようと思って仮眠室使ったら夜まで寝ちゃってさ。シャワー使ってご飯ここで食べたらなんか面倒臭くなったから昨日も泊まった。ちゃんと電話したんだよ、何度も。兄さんうちにいなかったから、研究棟のほうにも。受付のひとから伝言あったでしょ」
「あー…オレも昨日は残業で。って、だったら直接来てもいいだろ」
「やだよ。研究棟なんてここから15分も掛かるじゃん」
「たった15分だろ」
「電話なら2分じゃん」
「オレに会いたくないのか」
「公衆の面前で真顔でそういう冗談言うな」
 ぽす、と硬い腹筋を殴りつけ、アルフォンスはトレイを持って立ち上がった。
「はいどうぞー、空きました。お昼もらって来てあげる。何がいい? 今日のオススメはローストビーフ」
「いらねーよ。それよりお前」
「今から戻ってもどうせ食べらんないでしょ。食べて行きなよ」
「いいっつーの」
「兄さんどうせ朝食も取ってないでしょ。食べなきゃ怒るよ」
 微笑んだ目が本気だったので、エドワードはしぶしぶと頷いてアルフォンスと入れ代わりにベンチの隙間へ座った。隣の伍長が凄い勢いでピラフを口に押し込み水で流し込んでいるのを横目に、頬杖を突いて人波を縫って行く金髪を追う。
 
 背だけなら軍人どもにそう負けるわけでもねーんだけどな。
 
 やはり撫でた肩や細い首や、日に焼けていない白い膚は鍛え上げられ汗の臭いを振りまく男くさい集団の中では浮いている。女性の集団の中にいてもそれはそれでもちろん浮いてしまうのだが、せめて塾の講師とか、どこかの研究所の研究員とか、そういう仕事ならまだ違和感も少ないだろうに。
 そんなことを考えながら見ていると、アルフォンスがふと誰かに呼ばれでもしたかのように視線をきょろきょろと彷徨わせ、つと僅かに見下げたのが解った。エドワードは眉を寄せる。
 
 あの身長差。
 
 案の定人波の合間にちらりとのぞいたのは黒髪だ。エドワードの眉間の皺が深まり、周囲の空気がびりびりと張り詰め温度が下がる。その雰囲気を察したのか、気の毒な伍長はフルーツサラダを残したまま慌てて立ち上がり、トレイを引っ掴んで退避した。
「おや、鋼の。こんなところで何をサボっているんだね」
「うるせェ、無能。テメェこそひとんちの弟こき使ってんじゃねェ」
 アルフォンスと連れ立ってやって来た上官はどうにも老けない胡散臭い笑顔を浮かべる。
「アルフォンス君は実に優秀で助かるよ。いやなに、最近ちょっと忙しくてね」
「そんなのオレらに関係ないし」
「今日は帰すから」
「ッたりめーだろ!」
「ちょっと兄さん」
 べし、と後頭部を叩かれてエドワードは弟を睨み上げる。
「んだよ、アル」
「仕事なんだから口出ししないでくれる?」
「ったって、お前なあ。身体壊したらどーすんだよ」
「そっくりそのまま兄さんに返すよその言葉。ボクが見てなくてもちゃんとご飯食べてお風呂入って寝てよね」
「オレは丈夫だから」
「過信してると歳とってからガタが来るよ。それにボクは兄さんと違ってちゃんと自己管理してるし仕事もデスクワークに毛が生えた程度なんだし、全然平気だよ。この身体丈夫なんだから」
 
 自分が造ったものを信用しなよ。
 
 言外に込められた言葉にエドワードがぐっと文句を呑む。アルフォンスは面白がるように兄弟を眺めていたロイに視線を移した。
「将軍も」
「うん?」
「ちゃんと食べてくださいね。ボク、もう時間だから戻りますけど、午後も出掛けられるんでしょう?」
「ああ。君は定時になったら上がっていいから」
「馬鹿言わないでください。それより将軍こそ無理しないで。怪我治りませんよ」
 エドワードがロイを見上げた。ロイは軽く肩を竦め、「大袈裟だ」とぼやく。途端白い手の甲にとんと軽く肩を叩かれ、一瞬強ばったロイは眉を寄せてアルフォンスを見た。
 アルフォンスは涼しい顔でにこりと微笑む。
「無理しちゃダメですよ、あなたが倒れたらみんな大変なんだから。……ということで兄さん。最近付近を騒がせた『黄金の魚』の残党が捕まるまではちょっと忙しいから」
「は!?」
「みんな疲労困憊してるのにボクだけ楽はできないよ」
「って、今将軍が帰っていいっつったろーが!?」
「ボクの意志で残業」
「上官命令無視かよ!」
 アルフォンスはロイを見、わずかに首を傾げた。
「今のは上官命令なんですか、将軍。ボクがいた方が邪魔で仕事がはかどらないというのであれば定時で上がりますけど。言っておきますけど、見ての通りボクは他のひとたちよりずっと元気です。というかとても元気です」
「……………」
 ロイはなんとも奇妙な顔でアルフォンスを見上げ、ふと苦笑を浮かべてエドワードに視線を向けた。
「すまないな、鋼の。もうしばらく弟を借りることになりそうだ」
「は!?」
「じゃ、ボク戻るから。兄さんもさっさと食べて戻らないとお昼休み終わっちゃうよ」
「は!?」
「将軍もちゃんと食事取ってくださいね。じゃ」
「ちょ、おいっ、アル!!」
 がたがたと立ち上がるエドワードの肩をぽんと白い手袋に包まれた手が叩いた。キッと睨むと睨まれた上官は胡散臭い笑顔でかぶりを振る。
「ああなったらもう頑固なものだろう、彼は」
「………たしかに頑固だけど、なんでアンタがそんなこと知ってんだよ」
「君たち兄弟とはもう10年近い付き合いになるんだから、そんなことは解るよ。ま、無理はさせないから、心配は無用だ。それよりも自分の心配をしたまえ、昼休みはあと15分だ。急いで掻き込んで走らんと間に合わんぞ」
「余計なお世話だ!」
 はっはっは、とわざとらしい笑い声を上げて、10年間それほど大きく容姿の変わらない上官は、やはり変わらず胡散臭い笑顔のまま軽く手を上げて人波に消えた。食事も取らずに午後の仕事へ向かう気らしい。
 アルに言い付けてやる、とどうしてそれが嫌がらせになるのかを深く考えないままに心に決めて、エドワードは弟の言い付けに従うべく慌ててトレイの中身を片付け始めた。

 
 
 
 
 

■2004/8/26
幕間でした。もうひとつの幕間は2を書いてUPしてから2.5として移動します。タイトルが「食し方」なせいか(というわけでもないんですが)なんだか幕間は食べてばかりです。

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