「それで呼び出されて行ってみたら、兄貴が女の部屋で寝てたってことか?」
 火を付けていない咥え煙草を揺らしながら呑気に言ったハボックに、アルフォンスは大きく頷いた。がしゃん、と兜がずれて音を立てる。
「しかも裸で!!」
「はあああ!?」
「やるじゃねえの大将!!」
「笑いごとじゃないですよ!!」
 途端腹を抱えて爆笑してしまった少尉二人に握った拳を可愛らしく振り、アルフォンスはぷりぷりと顔を背けた。
「ひどいや、聞いてくれるっていうから!」
「いや、悪い悪い、けどほら、よく考えてみろって」
「男が朝帰りなんてな、むしろ自慢だろうが。いやあ、エドも勇者だな! 女の部屋に弟迎えに来させるなんてな」
「不潔だよ!!」
 これだから大人は、とむくれた鎧の少年を笑いながら宥める二人に、爆笑された勇者は開け放たれた扉にすがり、顔を伏せたままずるずるとくずおれる。隣に立っていた黒髪の上司が、ごほん、と一つ咳払いをした。
「お、っと大佐」
「ハボック、そこの書類の山は片付いているんだろうな?」
「い、今やりますよ! 一服くらいさせて下さいって」
「ブレダ、資料は揃ったのか」
「そ、揃いました! 今整理中なんでもう少し」
「明日使うからな。今日中に纏めて打ち出しておけよ」
「ちょ、それ早く言ってくださいよ!」
 ばたばたとそれぞれ席へと戻る二人へとちらと無感動な視線を送り、ロイはむくれた空気を遺憾なく放ちながらこちらを(正確にはくずおれたまま顔を上げるに上げれない兄を)じっと睨んでいる少年を見遣った。
「やあ、アルフォンス」
「………こんにちは、大佐。聞いてました?」
「うちの阿呆共の馬鹿笑いが響いていたんでね。もう少し兄を借りても?」
「どうぞ!」
「お、おいアル!!」
 アルフォンスはくるりと膝を回して身体ごと兄から顔を背けた。つんと顎を反らせ、つうと動いた眼窩の光が、じとりと横目に兄を見る。
「浮気者」
「ご、誤解だっつっただろうが!! あ、あれはちょっと酔い潰れちゃっただけで……」
「未成年の飲酒は法律で禁止されています! 大佐、さっさと連行してください」
「悪いね、すぐに済むよ。こっちだ鋼の」
「笑顔が怖いんですけど!」
 泣き言を無視したロイは司令室を横切り、執務室の扉を開けた。まだぐずぐずと蹲っている子供を振り返る。
「鋼の」
「………………」
 この世の終わりのような顔でのろのろと立ち上がり、ゾンビさながらの動きでずるずると足を引きずりやって来たエドワードを急かして扉のうちへ押し込んで、ロイは後ろ手に鍵を掛けた。床にめり込みそうなほど俯いているエドワードを放置して大股に窓へと歩み寄り、ソファの向かいのカーテンを半分閉じる。ついでに執務机から金属製の栞を手に取った。
「鋼の、座れ。それから銀時計を出せ」
「へ?」
 眉尻を下げた情けない顔を上げ、ぽかんと問い返した子供に早くしろ、と差し出した手を振って、ロイはソファへと腰掛けた。怪訝な顔をしながらコートの懐から銀時計を取りだした手袋を嵌めたままの右手が、ずしりと時計だけではない重さを残して去る。
「こちらへ来い」
 ソファの隣を示し、ロイは銀時計の縁へと栞を当てた。軽く捻り、背蓋を外す。
「おい、傷が付く……」
「ここをな、良く見ておけ。この機械部分に触れると狂うからそこには極力触れないようにこうすると………ほら、もう一段開くだろう」
 文句を言い掛けていた子供は、低い囁きに目をぱちくりとさせ、それから己も声を落とした。先程までの萎れた態度が冗談だったかのような、真摯な目だ。
「番号入ってんな?」
「ああ。これがシリアルナンバーだ。銀時計持ちでも知らんだろうな」
「………軍人じゃなきゃ知らないとか?」
「軍人でも知らんだろうよ」
「何であんたは知ってんだ」
 ロイは唇の端を歪めて嗤った。
「手元にあって仕組みが解らないものは、取り敢えず分解してみることにしているんだ」
「って、壊れたらどうすんだ! 銀時計なんて再交付できねーだろ!」
「壊れていないんだから良いじゃないか」
 むしろエドワードのほうが似合いの言葉を吐いて、ロイは機械部分の小さな箱を栞の角で示した。
「ここがブラックボックスでね。シリアルナンバーまでは確認をして再び組み直すことができるが、こちらを開くともう戻せない。中には恐らくまた別のナンバーが刻印されているのだと思うが、盗難に遭った際や、国家錬金術師が死亡した際の確認のための……まあ、ドッグタグのようなものだろうな」
「………へえ」
「何にせよ、気を付けたまえよ。これは君が思うよりも、市場では高値で取り引きされているんだ」
「市場って」
「ブラックマーケットはどこにでもあるな」
 かちん、とささやかな音を立てて蓋を戻し、よし、と呟いたロイはエドワードへと銀時計を差し出した。
「もう良いぞ。資料室の使用許可だったな」
「え、ちょっと待って。アンタ銀時計の確認のためだけに呼んだの?」
「だけとはなんだ、だけとは。酔い潰れて服も財布も銀時計も放って正体不明で他人の家で寝転けていたんだろう。擦り替えられていてもおかしくはないだろうが」
「いや、でも、オレのこれはさ……」
「蓋も開かず中も動かずなら、余計にコピーは作りやすいだろうな」
 静かに黙ってしまったエドワードに小さく溜息を吐いて、ロイはとんと銀時計をその胸に押し付けた。エドワードは無言で受け取る。
「………あのさあ」
「うん?」
「……………。……浮気だって、怒らねえの?」
 立ち上がり、カーテンを開けていたロイは不思議そうな顔で振り向いた。
「何故だね? 浮気をしたのか」
「しっ、してねえし! 飯食ってたときに絡まれてたひと助けたんだけど、乱闘になってさあ! そのとき酒瓶で頭殴られたんだよね。酒浴びちまって」
「………石頭で良かったな、君」
「そこじゃねーだろ! 怪我はなかったのかとか言うとこだろ! じゃなくて!」
「ああ、解った解った。それでべとべとのべろんべろんになった恩人を取り敢えず部屋に持ち帰ってくれたんだな。優しいご婦人で良かったじゃないか」
「そ、その、服もさ、よく覚えてねえんだけど、脱いでシャワーざっと浴びて、出て来たらもうクリーニングに出されててさ、そんで」
「彼女がホテルに連絡をして、アルフォンスが迎えに来たときには真っ裸で寝ていたと」
「そ、そうなんです……」
 パンツまでクリーニングに出されるとは思わなかった、としょんぼりと肩を落とした子供の、頭のアンテナまでがしおれている。
 ロイはくつくつと喉を鳴らし、執務机に着いた。
「まあとにかく、不用意な真似はするな。相手に邪心があれば銀時計も財布も盗られて道端に転がされていても不思議はなかったんだ。家も仕事も何もかも捨てて即列車に飛び乗って逃げても、それだけの金になるからな」
「………肝に銘じとく」
 はあ、と溜息を吐き、それからエドワードは物言いだけにロイを見た。ロイは瞬く。
「何かね。まだ何かあるのか?」
「いや……あの、もしさ、浮気してたらどうしたのかなって………」
「していないんだから良いじゃないか」
「いや、けどさ………」
「なんだ、疑って欲しいのか? 面倒臭い子供だな」
「それは心の中で言って! てか面倒臭いとか!」
 仕方ないな、と肩を竦め、ロイは軽く両手を挙げた。
「ま、もしそうなっていたんだとしたらめでたい話じゃないか。リッチな食事でもどうだ、奢るぞ」
「はあ!?」
「おめでとうノーマル開眼」
「うわあああ考えられる中で一番ヤなパターンで来たなアンタ!!」
「もう貴様など知らん! 二度と顔も見たくない! とか言われたかったのか? それは残念だったな、相手が違う」
 ううううう、とやかましく呻いてエドワードは頭を抱えた。
「予想はしてたけどこうも堂々と言われると傷付く……」
「何を今更。まあ、しかし今回に関しては君がその女性と一夜の恋を楽しんだとは思わんよ。よしんばそうだったとして、あまり褒められたことではないな」
「えっ」
 期待に満ちた目で見上げたエドワードに、ロイは軽く眉を上げた。
「酒の勢いで女性と関係を持つなどとね。失礼じゃないか」
「そっちかよ!!」
「私は女性の味方だよ」
「このタラシ!!」
「男にうつつを抜かす君よりはよっぽど健全じゃないか」
「ひどい!! 傷付く!!」
 そうかそうか、といい加減に相槌を打ち、ロイは机に積まれていた書類をぺらりと捲った。
「資料室を使わないのなら、そろそろ仕事をさせてくれないか。今日は中尉は午後からの出勤でね。少しでも片付けていないと、私が叱られるんだ」
「使いますう! 許可下さい!」
 勢いよく差し出された手に引き出しから取り出した鍵を乗せ、ロイはぶつぶつと機嫌悪く毒突く子供を見ながら頬杖を突いた。
「鋼の」
「あんだよ」
「今日は来るのか」
「行くつもりだけど?」
 もしかして帰れねえのかよ、と不審そうに首を傾げたエドワードに、ロイはいや、と目を細めて笑った。
「残念だな」
「はあ? 何が」
「やはり君は無駄に誠実なようだ。男相手に操を立ててどうしようというんだろうな」
「男相手とか関係ねーっつーの。つか、何それ。疑ってないんじゃなかったのかよ」
「疑ってはいなかったがね、今駄目押しで確信を得た気分だよ。浮気をしたなら君は今夜ばかりはうちには来るまい」
 許す許さないに拘わらず、と続けたロイに、エドワードはぱちくりと目を丸くして、それから不機嫌に半眼になり、続いて困ったようにちらと視線を彷徨わせた。
「百面相だな」
「いや、怒るべきか喜ぶべきかと……」
「馬鹿にしたわけではないぞ。若干呆れはしたが」
「呆れんなよ! 誠実な恋人で嬉しいだろ!」
「では誠実な恋人に頼みごとだ」
 エドワードは不信感も露わな目で斜めにロイを見た。
「なんだよ」
「水を買い足しておいてくれ」
「飯は」
「未だ飲食店が開いているうちには帰れるようにするから、食べに出よう。奢るよ」
 侮辱したわけではないんだが、と軽く手を挙げ、ロイは続けた。
「据え膳も食えない男だと言ったようなものだからな。詫びだ」
「オレはむしろアンタのその無駄に広い心を詫びてほしいんですけど」
「何を言う。心の広い恋人で良かったじゃないか」
 先程の口調を真似たロイに、けっ、と行儀悪く舌打ちをしてエドワードはくるりと踵を返した。
「肉食いたい」
「承知した」
「旨いやつ!」
 言いながら鍵を外しばんと扉を開いた背に、ロイは了解、と返して組んだ指に笑んだ口元を埋めた。

 

 
 
 
 
 

■2008/10/23

久々過ぎて勝手がわからない(……)

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