夕刻の曲り角でばったり出会った先日数いる恋人のひとり(だが唯一の同性)となったばかりの少年の顔を凝視し、ロイは呆然と呟いた。
「なにを泣いてるんだ君は………」
「泣いてねぇ!!」
 
 いや確かに涙は流れていないが。
 
 それでもその真っ赤に充血した目や紅潮し歪んだ顔はどこから見たって泣き顔だ。
 14歳男子はそう簡単に泣くものだったかというか恋人の前で泣き顔を曝すものだっただろうかそれとも単にこいつがガキなのか、と考えながら、ロイはぐいと少年の襟首を掴んで路地へと引き込んだ。とにかくこの泣いている子供と往来に突っ立っていたらまるで自分が泣かせているかのようで世間体がよろしくない。
「で、どうしたんだ一体」
「………大佐には関係ない」
「それは関係はないが」
 何気なく頷くと心底傷付いた顔をされて慌てた。
「い、いや、その……関係ないということもないだろう。ええとほら、恋人が泣いているのに平気でいられる男はそうはいないぞ」
「………そんなとってつけたみたいに言わなくていい」
「あー……」
「アンタ困らせたいわけじゃないから。……ごめん」
「謝らなくていい」
「……なんでこんなとこにいんの」
 答えずそう訊ねた子供に、ロイは銀時計を開いて時間を示す。
「今から出勤だ。夜勤なんだ」
 少年は眉尻をすっかりと下げた情けない目をちら、と上目遣いにロイへと向けた。
「────私服で登庁するんだ」
「いや、制服がクリーニングから戻っているはずなんだ。司令部のほうでまとめて出すから」
「ふうん……」
「君はどうしたんだ。前回来てからまだ一週間程度だろうに」
「………や、ちょっとすげぇハズレだったっていうか、間違えたっていうか」
「間違えた?」
「いいだろ別に……」
「なら気になる言い方をするな」
「…………。……別にアンタに会いに来たとかって言うわけじゃないよ。単に、イーストシティで乗り継がなきゃならなかったんだけど、………その、列車の時刻一本間違えてさ、乗り継ぐ列車がもうなくなってて」
 一泊することになっただけだ、とむくれている子供に、なんだでは偶然か、とロイは頷いた。
「別に司令部に用事があったわけではないんだな」
「ないよ。アンタにも用はない」
「………別に用がないのは結構だが、そう強調されるのもあれだな」
「あれってなに」
「気分が悪い」
 途端弾かれたように見上げた子供のきらきらとした大きな金の眼に、ロイは黒髪の鏡像を見る。
 女性の瞳の中に自分の顔を見ることはあったがこんな風に子供の眼に自らを見ることなど滅多になくて、ロイは意味もなく感嘆した。
 今度エリシアに会うときにはその眼の中に誰がいるかを見ておこう、と呑気に考えていると、いつの間にか手袋を外した生身の左手が、ぎゅう、とロイの手を握った。
「ごめん………」
「は? 何が」
「……………。……アンタたった今気分が悪いとか言ってなかったか」
「ああ、言った気がするが」
「気がするって……」
「なんで泣いていたんだ」
「泣いてねぇってば!」
「弟と喧嘩でもしたか」
 何気ない問いにぐ、と詰まってしまったエドワードを、ロイはぽかんと眺めた。
 
 いやちょっと待て。
 
 たしかこの14歳は天才で、つい先日俺を押し倒しやがって大人ぶった顔で色々とろくでもないことを言いやがった自称『もうガキじゃない』最年少国家錬金術師なんじゃなかったか。
 というかこんなに子供じみた反応を示す少年ではなかったような、気が。
 
「鋼の」
「………なんだよ」
「熱でもあるのか」
「は?」
「腹が痛いとか」
「なに言ってんの?」
「鋼のだよな?」
「オレだよ明らかに。ていうかアンタがどうした。熱でもあんのか」
「………なんだか私の記憶にある君と合致しないんだが。もう少しふてぶてしくて生意気なガキだった気が」
「悪かったなふてぶてしくて生意気なガキで!」
 混乱そのままに口を突いた言葉に噛み付いて、エドワードはくそ、と呟き乱暴に頬を擦った。
「…………アルが大事にしてた、ばっちゃんとこで昔みんなで撮った写真にインクこぼしちまったんだよ」
「みんな、というと」
「オレたちとウィンリィとばっちゃんとウィンリィんとこのおじさんおばさんと、……母さんと」
「ああ………」
「…………」
 納得したような相槌を打つと、子供は黙り込んで再び俯いた。先程ロイを映し込んでいたその眼は、爪先を見つめている。
「それは怒るだろうな」
「………錬成してやるって言ったんだけど」
「本気でそう言ったのか」
「………新品になっちまうのなんてオレだって嫌だったけど、でもアルがあんまり落ち込むから」
 インクをこぼされ写真を台なしにされても過失であることを知ってか責めなかった弟は、慰めのつもりで言ったその一言に激怒したのだと子供はますます消沈した。
 オレだって悲しいのに、と言いたげなその子供に、いつもはぴんと跳ねている一筋の金髪までが萎れているような錯覚を覚えロイは僅かに眉尻を下げる。
 
 まったく、この子供は。
 
 きょろきょろと周囲を見回す。辺りに人の気配はない。
「鋼の」
 顔を上げ掛けた子供の胸ぐらを掴み上げそれでも足りずに身を屈め、きょとんとした表情そのままに間抜けに半開きになった唇にロイは微かに口付けた。
 手を離すとぽかんと見上げた子供の眼の中に、再び黒髪の男が浮いていた。
 ロイはにやりと笑い、ぽんと金髪に包まれた頭を叩くように撫でる。
「こんなところで不貞ていないで帰ってアルフォンス君に謝るんだな」
「不貞てって」
「向こうも同じように不貞腐れていると思うぞ」
「─────、」
「そんな弟を放っておいていいのか? 兄として」
 弾かれたように踵を返したエドワードは、名残惜し気に、というよりは気もそぞろにロイを見て僅かに吃りながら叫んだ。
「───ごめん大佐、また今度来たときゆっくりな!」
「あー、いいいい、来るな」
「そゆこと言うな!」
 へこむから! と怒鳴った子供は既に背を向け駆け出していて。
 こちらを見ないままにひらりと片手を振った赤い小さな背を追い払うように手を振り返し、ロイはこき、と首を鳴らした。
「………さて、」
 
 仕事に行くか。

 
 
 
 
 

■2004/12/29
関係性の変化によりちょっと歩み寄った子供と歩み寄られたことにいまいち気付いていない大人。(タイトル意味)(解りません)

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