「アルはさ、ウィンリィに調整してもらわなくていいの?」
 ぎゃーぎゃーと言い合いながら機械鎧の調整をしていたエドワードとウィンリィを眺めながら、隣で足下に寄ってきた野良犬をじゃらしていたアルフォンスを見上げて言ったその一言に、何故だか空気が固まった。
 パニーニャはいつでもちょっと笑ったように見える口元に笑みを乗せたまま、急に無口になってしまったエドワードとウィンリィに交互に視線を向けた。困ったように眉を下げ僅かに視線を落としているエドワードを見、ばちり、と音を立てる勢いでパニーニャと目が合ったウィンリィがぎこちなく笑う。
「あっ、あのね、パニーニャ……アルのは」
「ボクは兄さんと違ってまめに手入れしてるし、壊すような使い方してないからね」
 のんびりと降って来た声に、パニーニャは鎧を見上げた。不思議と可愛らしく思える角度で首を傾げて見下ろしていた赤い光が、絞るように細められる。
 がしゃり、と鎧を鳴らして、アルフォンスはウィンリィを見た。
「それにボクの担当はウィンリィじゃなくって、リゼンブールのピナコばっちゃんなんだ。だからいいんだよ」
「けど、分解掃除くらいならしてもらえるんじゃない? ウィンリィじゃなくてもガーフィールさんもいるし、ドミニクさんだって頼めばやってくれるよ、きっと」
「うん、でも、恥ずかしいからね」
 ぱちぱち、と目を瞬かせたパニーニャに、アルフォンスは肩を竦めて見せた。本当に恥ずかしがっているように見えるなあと、パニーニャはいつもながらのその表現力に素直に感心する。
 きっととても努力しているのだ、この鎧の面の少年は。
「だってほら、なんだか裸を見られるみたいじゃない。だから、ばっちゃん以外のひとに触られるのはイヤだな」
「そっかー、じゃあ仕方がないよね」
「うん」
「そのでっかい鎧にしてあるのって、ウィンリィのおばあちゃんの趣味なの?」
「う…うーん」
 アルフォンスは笑みを混ぜる声で呻り、少し笑った。
「うちにあった鎧を被せてもらったんだ」
「……なんで?」
「んー、ほら、ラッシュバレーではかっこいいって言ってもらえるけど、他のとこだと全身機械鎧よりはこっちのほうが目立たないっていうか」
「他のとこだと機械鎧ってダメなんだ?」
 伸び上がり、かしかしと鎧の足を掻く犬を抱き上げて、アルフォンスは首を傾げる。
「あ、そっか。パニーニャって生まれも育ちもラッシュバレーなんだ?」
「うん」
「そっかあ。……うん、他の地域だとね、ここみたいに機械鎧のひとがたくさんいるわけじゃないし、何より全身装備なんて見たこともないからさ、やっぱりちょっと怖がられるんだよ」
「あたしも全身機械鎧は初めてだよ」
「そうなの?」
「うん。いないわけじゃないって聞きはするけどね。身体の欠損部分が多くて表皮の傷も酷くて、機械鎧で覆ってしまうひとっていうのは。でもドミニクさんも珍しいって言ってたよ」
「………ドミニクさんが?」
「うん。ね、ガーフィールさん」
 のんびりと小指を立てて紅茶を楽しんでいたガーフィールがにっこりと微笑んだ。パニーニャはにかっと笑い返すが、何故か隣のアルフォンスは引いている。
 
 ガーフィールさん、可愛いのになあ。
 
 アルフォンスやエドワードに知れれば「女って」と呟かれそうなことを考えて、パニーニャは首を傾げた。
「ガーフィールさんは見たことがある?」
「ええ、あるわよぉ。あたしも一度くらいしかないけどね」
「やっぱりアルみたいな感じだった?」
「アルちゃんみたいにおっきくはなかったわねぇ。それにアルちゃんみたいに呻りや軋みのない機械鎧も初めてよぉ。ピナコさんて方に一度お会いしたいわね」
 頬に可愛らしく無骨な手を添えて首を傾げたガーフィールに、同じく首を傾げる癖があるはずのアルフォンスがあはは、と乾いた笑いを洩らして僅かに後ずさった。そのアルフォンスにちらりと流し目を寄越したガーフィールが、うふ、と笑ってウインクをする。
「大丈夫よぉ、中身見せてなんて言わないから」
 語尾に確実にハートマークが付いているセリフに、アルフォンスはがたんと慌てて立ち上がった。
「ボボボ、ボク、ちょっと散歩してこようかなっ! いい、いいよね兄さん!?」
「お、おう、行ってこい!」
「あ、じゃああたし案内してあげるよ」
 犬を抱えたまま工房から慌てて逃げ出そうとしていたアルフォンスが、ぴたりと足を止めて振り向いた。
「え、でも、パニーニャ仕事は?」
「ん。今日はもうおしまいだから」
「そっか」
 じゃあお願いしようかな、と言ったアルフォンスにうん、と頷いてパニーニャは木箱からぽんと降りる。
「じゃ、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
「暗くならないうちに帰るのよ」
「はーい」
 隣を歩く鎧に犬を抱かせて、と手を差し出すと、そっと預けられた。表情のない鎧の面のその口元は愛嬌のある笑みを浮かべたおばけのお面のようで、ああだからアルはいつでも笑っているように見えるのかな、とパニーニャは考える。
「パニーニャってさ、口の端がちょっと持ち上がってるよね。猫みたいに」
「ん? そう? 変?」
 ううん、とアルフォンスはかぶりを振って、犬に顎を舐められている少女を見下ろした。あ、今ちょっと笑った、とパニーニャは思う。
「いつもにこにこしてるみたいでいいなあって」
 パニーニャはぱちぱちと瞬き、それからあは、と笑った。
「あたしも今そう思ってたとこ」
「え?」
「アルの兜の顔のとこって、口が笑ってるみたいだなって。だから鎧なのに人懐こく見えるのかなって」
 ぱちぱち、と瞬くように赤い光が明滅する。この光はどんな原理で動いているんだろうなあ、とちょっと不思議に思いながら、パニーニャはアルフォンスを見上げた。
「………人懐こく見えるの?」
「うん」
「怖くない?」
「全然?」
 ふうん、と、なんだか感慨深げな声で返して、アルフォンスはがしゃん、と鎧を鳴らして前を見た。道行く人々が凄いね、とアルフォンスを見て嬉しそうに囁き、手を振る。
「………怖くないのかー」
「他のとこだと怖がられる?」
「時々ね」
「そっかー……あ、じゃあさ」
 パニーニャは人差し指を立てた。
「アルたちの旅が終わったらさ、ここに住むといいよ」
「え?」
 にか、と笑ってパニーニャは鎧の腕を叩いた。
「ここなら人気者だよ!」
 アルフォンスが何か言いたげにかしゃん、と首を傾げた途端、通りの向こうで轟音が上がった。目を丸くして見ると、もうもうと砂煙が立ち上がりわっと人々が駆け出す。
「な、なに!?」
 ぽかんとしたパニーニャの腕から犬が飛び出し、路地へと消えた。それをつい目で追ったパニーニャの腕を大きな鉄の掌が掴む。
「パニーニャ、避難しなきゃ!」
「え?」
 再び轟音が、今度はもう少し近い位置から。
「行こう、パニーニャ!」
「でもアル、ひとが」
 はっと目を向けた鎧は一瞬だけ逡巡し、手を離してパニーニャの肩を押し遣った。
「安全なとこにいて!」
「あ、アルはどうすんの!?」
「ちょっと救助活動してくるー!」
 言いながらもう駆け出しているその重量を感じさせない素早い動きにどこかで呑気に感心しながら、パニーニャは慌てて鎧を追い掛けた。
 
 
 
 
 
(武器屋さんかー……)
 内心で呟きながら、アルフォンスは崩れる梁を避けてきょろきょろと辺りを見回す。早く埋まっているひとたちを見つけて逃げなければ、また爆発が起きる可能性はある。臭いも熱も解らないアルフォンスだが、その広い視界を駆使して見た限り火の手は上がり始めているしまだ義肢内蔵砲の類はそこらに散らばっていて、カウンター(だった部分)の裏に積み上がっている木箱は多分弾丸の類いだ。
「誰かいませんかー!?」
 大声を上げた途端がっしゃん、と窓ガラスが落ちた。同時に「うわっ」と小さく聞こえた叫び声にアルフォンスは一瞬固まり、それから素早く振り向く。
「パニーニャ!?」
「うん」
「あ、安全なとこにいてって言ったのに!」
「アルと一緒にいるのが一番安全じゃない?」
「な───」
 くら、と眩暈を感じたアルフォンスを、足場の悪さを感じさせない足取りでやって来た褐色の少女がぽんと叩く。
「ほら、早く救助活動しなくちゃ! 火事になっちゃうよ」
 いつの間にか軍手を嵌めていたパニーニャは、倒れている柱に手を掛け、少し考えてから身を起こして足で蹴り上げた。少女の力で動くわけのない大きな柱ががったんと蹴り飛ばされ、げほげほと噎せた下敷きになっていた男にアルフォンスは我に返ると慌てて引きずり出した。
「大丈夫ですか!? 他にひとは!」
「お……奥に、店員がひとりいたはず」
「立てますか?」
「ああ、有難う」
「パニーニャ、このひと……ってちょっと、パニーニャ!」
 ああもうっ、と額を抱え、一人で歩けるという男に早く逃げるよう指示をして、アルフォンスは慌てて少女を追い掛けた。
「パニーニャ!」
「いたよ、店員さん。怪我してるけど生きてるよ」
 屈み込んで男の息を確かめていたパニーニャが、アルフォンスを見上げてにかっと笑った。
「他にひとはいないかなー? おーい、誰かいますかー!?」
「も、もういいからパニーニャ! 早く出て!」
「じゃあアルも出なくちゃ。このひと、あたしじゃ運べないし」
「解ったから!」
 アルフォンスは気を失っている店員を抱え込み立ち上がり、少女を急かした。パニーニャはいつものどこか楽しそうな顔のまま付いてくる。
 
 もう、どうしてこうボクの周りには無茶するひとばっかりなんだろう。
 
 煙が酷くなって来ている。火が回り始めたのだろう。
 急がなきゃ、とアルフォンスは足を早め、そしてふとそれに気付き、ぱっとパニーニャを顧みた。煙を吸い込まないよう軍手を嵌めた手で口を押さえていたパニーニャがきょとんと見上げる。
「───アル!?」
 店員を抱えたままパニーニャへ覆い被さるように蹲ったアルフォンスに、少女が驚いた声を上げた。
 しかしその声は続いて響いた轟音に掻き消された。
 
 
 
 
 
 びりびりと膚に空気の震えを感じる。耳の中がわんわんと響き、その音に目を回し掛けたパニーニャを、鋼鉄の腕が支えた。
 がん、ごん、と、アルフォンスの上へと梁や柱や家具の欠片が落ちてくる。
 
 頬を押し付けた鉄鋼の胸の奥が、おんおんと響く。
 ───まるで空洞のように。
 
「………パニーニャ、大丈夫?」
 囁く声に、パニーニャは大丈夫だよ、と笑おうとして、げほんげほんと噎せた。口の中が埃だらけでからからに乾いている。大きな手が背をさすった。
「耳は聞こえてる? 耳鳴りしない?」
 パニーニャはこくこくと頷いて、アルフォンスを見上げて笑った。
「だ、いじょうぶだよ、アル。アルは平気?」
「ん、ボクは平気」
 じゃあ行こう、と店員を片腕にまるで子供を抱くように抱えたまま、アルフォンスはパニーニャをその逆の腕に同じようにひょいと抱いて立ち上がった。驚く間もなく足早に歩き出したアルフォンスに、パニーニャはふいに楽しくなってその太い首の覆いへと抱き付いた。ざらり、とへこんだ感触がある。
 見ると、アルフォンスの背中はたくさんの傷が付いていて、盛大にへこんでしまっていた。
「アル、背中壊れてる」
「ああ、うん。兄さんに直してもらうから、大丈夫」
「エドって機械鎧も直せるの?」
「えっとね、…この鎧は殻みたいなものだから」
 じゃあ中身の機械鎧も点検しなくちゃ、と続けようとして、しかしパニーニャはそれを口にはせずにただそっか、と頷いた。
「おい、大丈夫かあんたたち!」
 外へと出ると消火活動を始めていた人々がわっと寄って来て、アルフォンスは店員をそのひとたちへと渡し、パニーニャをすとんと地面へと下ろした。
 わいわいと囲まれているアルフォンスを見ながら、パニーニャはふと自らの頬を撫でる。
 
 鉄の胸に付けた頬におんおんと、残響。
 
 パニーニャは首を傾げてアルフォンスのへこんだ背中を見つめた。
 
 ああ、あたしは今とても変なことを考えている。
 あの胸の奥が、からっぽなんじゃないか、なんて。
 
 機械鎧は基本的に四肢に適用するものだ。筋肉が欠損している部分を覆うことはあっても、内臓や頭や脳に直接付いている目鼻の代わりにはならない。それらが欠ければひとは死に、機械鎧とのすげ替えは出来ないからだ。
 だから、もしかするとアルフォンスはもとの体格よりもずっと大きな機械鎧を身につけているのかもしれなかったけれど、それでもあの胸の奥には胴体が納まっているはずなのだ。からっぽだなんて有り得ない。
 
 ───もしもからっぽなのだとしたら、アルフォンスは人間ではない。生身の胴体を失って、生きて行ける人間はいない。
 
「パニーニャ」
 人々に群がられて困っていたアルフォンスが振り向き、首を傾げた。
「散歩はまた今度にして、帰ろうか。凄い汚れてるよ、キミ」
「アルこそ埃だらけで煤だらけだよ」
 あはは、と笑い、ぽんと跳ねるようにアルフォンスの元へと駆けて、パニーニャはその大きな手を握って引いた。
「じゃあ、帰ろう!」
「うん」
 頷くアルフォンスにもう一度笑って、パニーニャは大きな鎧と手を繋いだまま、人垣を掻き分けた。アルフォンスが少し照れたように、パニーニャ、と名を呼ぶ。その声は身体の大きさに似合わず可愛くて、パニーニャはどこか愛嬌のある面を見上げてにっと笑った。
「アルは可愛いね」
「な、何言ってんの!?」
「あたし、アルのこと結構好きだなあ」
「え、えぇ!?」
 あわあわと慌てる様が可笑しくて、パニーニャはあはは、と笑った。からかわないでよ、と照れ隠しにぷんぷんと怒るアルフォンスにもう一度笑い、ぎゅうと繋いだ手に力を込める。
 
 この握力は機械鎧の手には伝わらないはずなのだけど。
 
 ぎゅう、と軽く握り返してきた鉄の手に、パニーニャはにっこりとした。
 
 うん、不思議と怖くない。
 
「アルー」
「ん?」
「エドに直してもらって、あたしは着替えて綺麗にしたら、それから散歩に行こうか」
「え、でも夕方になっちゃうよ?」
「夕日が綺麗に見えるとこがあるんだ。あたしの秘密の場所」
 首を直角に曲げるようにして見上げるとアルフォンスはかしゃん、と首を傾げた。
「秘密の場所なのに、いいの?」
「いいよー、アルなら。友達だもん」
 首を傾げたまま少し黙り込み、アルフォンスはそっか、と呟いた。その声に嬉しそうな響きが紛れているのに満足して、パニーニャは目を細めて笑った。
 
 明日は市場へ連れて行ってあげよう。
 
 そう決めて、パニーニャはもう一度満面で笑った。

 
 
 
 
 

■2004/8/11

超新星はゆっくりゆっくり冷えて、吸引力が残る。

アルパニアル研究中です。うーんいまいち。もう少しなんとかかんとか。スピッツの古いアルバム引っ張りだしてエンドレスでした。なんかそういうイメージの様子。パニアル。
ところでガーフィールさんは趣味です。(強調せんでも)

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