「あれ、ホークアイ先生」
 あと無能、と付け足したエドワードに汚れひとつないきっちりとプレスされた襟の白いシャツに黒いコートを羽織った男はにこにこと胡散臭い笑顔を見せた。
「エルリック君は明日の補習に出たいようだ。そうかそうかそんなに私の特別授業を受けたいか。生憎個人授業ではないが出席者全員みっちり仕込んでやるからな、安心したまえよ」
「なんで赤点でもないのに補習なんだよ!」
「君の場合は出席数の問題だ」
「満点取ってりゃ文句ねーだろ!」
「リザせんせーこんにちはぁ」
 言い合っている男二人を無視し、ウィンリィは甘えた口調で言ってひらひらと手を振ってみせた。視線の先のきれいなひとがエドワードが声を掛けるまでの冷たく研ぎ澄まされた表情を溶かし、薄く微笑む。
「こんにちは、ロックベルさん」
「マスタングせんせとデート?」
「こら、何を言うんだ、ロックベル君」
「ちょっと来月の研究発表に使うフィルムの買い出しに来たのよ」
 くす、と微笑むリザに片眉を上げて少しばかり残念そうな顔を作って見せたロイをちらりと横目で見遣る。それにロイが何か言う前に、リザはあなたたちこそ、と首を傾げた。
「デートなのではないの?」
「だーれがこんな凶暴女!!」
「アル待ちなの。あ、アルってこいつの、」
「ああ、解るよ。二年のアルフォンス・エルリックだろう。兄弟揃って有名だからなあ」
「派手だもんねー」
「どこがだよ。こいつのが派手じゃねーか女ったらしで」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない。訳もなくひとを貶める発言をするのは感心しないぞ、鋼の」
「うわ、銘で呼ぶのやめろきしょい」
 ぞ、と本当に首筋に鳥肌を立ててエドワードは両腕をさすった。その右手の鋼にちらりと眼をくれ、ウィンリィは再び教師二人を見上げる。
「もうがっこに帰るんですか?」
「ええ、買い出しは済んだから」
 ふうん、と頷いたのを合図にしたようにロイが銀色の懐中時計の蓋を開く。
「ホークアイ先生、そろそろ行こうか」
「はい」
「ではな、二人とも。不純異性交遊は停学または退学だからな、ほどほどにしたまえ」
「だから違うっつってんだろこのボケ!」
「ヤるならもっと背が高くってカッコイイの相手にしまーす」
 せんせーみたいなー、と続けるとこらこらとまんざらでもなさそうに窘めたロイは、もう一度リザへと視線を向けて促し踵を返した。その背中にひらひらと手を振って、ウィンリィはぽと、と肩を落とすように頬杖を突いた。あ、アル、と呟いたエドワードが立ち上がり、ばたばたと迎えに行く足音を後頭部で聞く。
 
 不純異性交遊は停学または退学。
 
 ふーん、と小さく鼻を鳴らし、ウィンリィはエドワードに腕を引かれてやって来た痩せた少年に顔を向け、遅かったね、と笑った。
 
 
 
 
 
「せんせいみたいに背が高くってカッコイイの相手にしてても、不純同性交遊ならいーのかなー、っと」
 歌うように言ってくびれのそれほどない、けれどなだらかに背中から繋がる細い腰までを覆う真っ直ぐで柔らかな金髪を纏めるように掻き上げた少女に、ベッドの中俯せたまま、組んだ腕に顎を乗せてリザはふふ、と笑った。シーツを絡めた足を、子供のようにぱた、ぱたと揺らす。
「公になったら困ったことにはなりそうね」
「どのあたりが? 世間体?」
「そうね、教師は世間体が大切な仕事ではあるから。それから、あなたが未成年だということと、私の教え子だということかしら」
 くり、と振り向いた灰青の眼がぱちくりと瞬く。ぱらぱらと纏めていた手を離された髪が揺れる。
「あたしが未成年だとまずいのかな」
 ぼて、と勢いよくシーツの上へと俯せ、ウィンリィは頬杖を突いてリザの顔を覗いた。
「未成年にいかがわしいことをしたとなると、同性でも犯罪は犯罪だわ」
「いかがわしいことしてるのはあたしじゃない? リザさんはされてるほう」
「同じことよ」
「ふうん」
 そうなんだ、と呟いて、少女はころりと身を伏せリザへと指を伸ばした。肩に滑る金髪を指に絡めて手持ち無沙汰に遊ぶ。
「じゃあ秘密にしよっと」
「じゃあ、って、今までは秘密にする気はなかったということ?」
「高等部終わったらいっかなあってちょっと思ってたの。でもそしたらリザさん、せんせい辞めなくちゃいけなくなっちゃうよね」
「そうね」
「困るよね?」
「困るわ。あのひとが一緒に辞めてくれるならそれもいいけれど」
 ふーん、と唇を尖らせて、ウィンリィはリザへと擦り寄る。甘えてくる猫のような仕種に笑って抱き寄せると、裸の胸にむに、と顔を押し付けられた。
「リザさんっていつも『あのひと』のこと考えてるの?」
「いつもではないわね。今はあのひとのことよりもあなたのことを考えているもの」
「でもちょっとは考えているんだよね」
 そうね、と笑み混じりに優しく答えた教師の声に、ふーん、とつまらなそうに呟き少女は大人の柔らかな乳房をつつく。手遊びのように仕種を咎められることはなくて、再び擦り寄りぎゅうと足を絡めて抱き付くと、腰に腕が回されころりと視界が反転した。
「やきもち?」
「あったりまえでしょー! もー、あんな童顔のなにがいいのよ。がっこの友達もみーんなロイせんせーロイせんせーってうるさいったら!」
「昔から女性にはもてるひとなのよ。それほど遊んでいるわけではないのだから大目に見てあげて」
「なんであたしが大目に見てあげなきゃないの。っていうかあたし関係ないじゃない」
 ぷ、と膨らませた頬をくすくすと笑ってきゅっと両手で包み、リザはそのつんとした小さな鼻の頭をつつく。
「あのひとがきらい?」
「好きよ、かっこいいもん。バレンタインにあげよっかなーってちょっと思ったわよ」
「あら、」
「なんていうか……イベント? 他のこたちがみんなあげるから便乗っていうか」
「私にもくれたわよね?」
「マスタングせんせーっていっつもリザせんせーと一緒にいるから、ちょーどいいカモフラージュ。人気あるからあげても変じゃないし、ロイせんせーの今日の服がとか午後のロイせんせーの授業がとか、みんなではしゃぐの楽しいけど」
 アイドルみたいな? と首を傾げる様に酷いわね、とくすくすと可笑しそうに笑って、リザは首に腕を回しごろごろと懐く少女の肩のラインを掌で包んだ。
「あのひとが私と一緒にいるわけではなくて、私があのひとと一緒にいるだけなのだけれど」
「みんなはそう思わないわよ。本命はホークアイせんせって、今はそれが最有力説」
「本命を疑われるほど遊んでいないでしょう、あのひとは。醜聞の類は噂されたことはなかったように思うけど?」
 少女は眼を丸くした。
「え、あたしらの噂話とか、把握してるの?」
 薄く笑み答えず、リザは身体の上に半身を乗せていたウィンリィをシーツに滑らせて身を起こした。ベッドの端から足を下ろし、床に散らばっていた下着をつまむ。ウィンリィはぱたぱたと忙しなく交互にシーツを足で打った。
「ねーねー、せんせーってば」
「内緒」
 ぷ、とむくれ、遅れて身を起こしてぴと、背中に抱き付き、ストッキングを引き上げる様を肩越しに見る。こうして抱き付くと、見た目よりもずっと鍛えた身体をしていることが解る。自分の痩せた肩やまっすぐに細い胴体や、やはりまっすぐに貧弱な手足とはまるで違う。
 きれいに上向いた大きめのバストにふにふにと触れて、ウィンリィは動く耳許に頬を付けて上下する身体に惰性のまま揺られた。そうされながら、胸の合間にある大きくはない、けれど小さいとは言えない傷跡を、見る。
 まるで開ききった薔薇を真上から覗いたような、───四方に糸を張り巡らせた小さな小さな蜘蛛の巣のようなその傷が、どうやって付いたものなのかは解らない。火傷の跡のような気もするし、それにしては深く穿たれた跡のような気もする。それが日常生活で付くようなものではないことも、多分、それにまつわる何かが、ロイとリザを結びつけているのだということも、なんとなく察しているだけだ。
 まだ、そのまつわる何かを尋ねたことはない。
 ただ家業が機械鎧装具士であるために、傷痕を隠すのならば形成手術の他に、入れ墨という手もあるんだよと、そう提案したことがあるだけだ。
 無論、その提案はやんわりと退けられてしまったのだが。
「………リザせんせーのおっぱいきれー」
「ありがと」
「いいなーおっきくて。全然垂れてないし。背中も余計なお肉ないし、腹筋もかたーい。あたしも鍛えようかな」
「ウィンリィちゃんはそのままがかわいいわ。硬い身体なんて魅力半減よ」
 もう、こら、とふと掴むように乳房に触れた手に笑って、片側のストッキングだけをガーターに留めたままくるりと振り向いたリザの、赤み掛かった茶の眼がきらりと光る。そのままえい、と両腕を絡ませ押し倒されて、ウィンリィはくすくすと笑って女性としては広い肩に手を掛けた。
「いたずらっこね」
「やだ、せんせいやめてぇ。あたしこわいー」
 巫山戯た口調で言いながら引き寄せて、口付けを強請る。軽く降った笑みを刻んだままの厚過ぎない形のいい唇にくすぐったいと笑って、ウィンリィは熱っぽくリザを見上げた。
「ね、ね。たまにはせんせが上ってどう?」
「ウィンリィちゃん、途中で悪戯したくなっちゃうでしょう。おとなしく横になっているなら考えないこともないけれど」
「…だって、リザさんがくったりするのって抱いたときだけなんだもん」
 チャンスを逃したらもったいないけどでもー、と真剣に逡巡している様に笑い、身を起こし掛けたリザをその小さな手が止めた。
「ねえ、リザさん。指とか挿れたくない? あたしリザさんの指でいってみたいな」
 ぱちり、と長い睫が瞬いた。
「………ウィンリィちゃん、男の子と経験は?」
「あるわけないじゃない。肉体カンケーを伴うお付き合いはリザさんが初めて。ぴかぴかの処女よ」
「じゃあ、そういうことは好きな男の子が出来たときのために取っておきなさい」
「今付き合ってるのはリザさんなんだからいいじゃない」
「だめよ」
 ぷ、とむくれ、再び身を起こして向けられた背に未練がましい視線を注ぐ。
「………せんせーが男のひとだったらなあ」
「そうね、そうしたらお嫁さんに貰ってあげたかもしれないわね」
 けれどその場合きっと教師ではなかったから、会うこともなかったかもしれないけれど。
 ふうん、と呟き、横たわったままウィンリィはぼんやりと脳裏にこの目の前の白い背中が男であったなら、と描いてみる。
 細身ではいながら逞しいのだ、男性であったなら、さぞかしバランスの取れた長身をしているだろう。モデルのような優男よりは、細身のスポーツ選手が近そうだ。顔立ちはやはり綺麗で、その赤茶の瞳は鋭く切れ長、細い眉が凛々しくて、けれど微笑を浮かべる口元は甘く優しい。
 ストイックでいながら艶やかさのある男性は、たしかにあまり教師に向いてはいなさそうだ。同じストイックさを持っていても、どことなく文系でおとなしい印象のあるロイとは多分、纏う空気が大きく違う。
 どこか鋭くて、飢えていて、膚を刺すような。
(……あ、でもだめかも)
 それだけの色気を持つ美男子だったなら、多分自分はリザに興味を抱いていない。
 男、というのなら、幼馴染みの兄弟以上のいい男を、ウィンリィは未だ知らずにいる。
「………つまりあれかなあ、エルリック兄弟がネックと」
「え、なに?」
「あたしに男が出来ない理由」
 下着のホックを留めながら振り向き、リザは首を傾げた。
「なら、エドワード君かアルフォンス君と付き合ってみればいいんじゃないかしら。理想は抱いているから理想なのであって、現実に引き下ろせば案外あっさり消えてしまうものよ」
「リザさんは『あのひと』がリアルじゃないの」
「あのひとは別ね。理想というものとは少し違うから」
 ふうん、と呟き、ウィンリィは眉を顰めてぱたぱたと手を振った。
「ま、何にしても、ダメよ。あいつらホモだもん」
「え?」
「兄弟でいちゃいちゃしてるの。ちょっと見エドのが重症だけど、アルもね、けっこうイッちゃってるよね」
「……………」
「あ、オフレコね。あたしが知ってるってあいつらも気付いてないだろうし、マスタングせんせには特に! あのひと絶対なにか言いそう。けっこーモラル高そうだもん」
「……そうね、余計なことを言って、エドワード君を怒らせそうだわ」
「アルも怖いよ、怒るとね。エドより怖いかも」
 小さく肩を竦めて身支度を整えるリザを眺め、ふと肌寒さを感じてウィンリィは寒い寒いと呟きシーツを引き寄せくるまった。
「シャワーを浴びていらっしゃい」
「んー、まだいい。……リザさんはさー、」
「ん?」
「結婚しないの? マスタングせんせが結婚しようって言ったら、する?」
 そうね、と羽織ったブラウスの襟からしなやかな動きで髪を引き出し、背を向けたまま穏やかな声が答えた。
「あのひとがそう言ってくれるなら、断る理由はないわね」
「……好きなの?」
「大切よ」
「あたしよりも?」
「そうね」
「前に付き合ってたひととか、やきもち妬かなかった?」
「妬かれたわよ。いくら恋人とは別だと言っても伝わらないものよね。好きなのに信じてもらえなくて、振られてばかりで悲しかったわ」
 ふうん、と呟いて、幼児のように握った拳を口元に当て、ウィンリィは睫を伏せる。
「……あたしはリザさん振ったりししないけど」
「嬉しいわ」
「でもあたしが振られそう」
 ふ、と振り向いた眼が優しげに細められている。
「今のところ、そういうつもりはないけれど。今好き合っているだけではいけないのかしら」
「……んー、別に、いいんだけど」
 なにか将来に展望があるわけでもないのだし、世間の反発を乗り切ってまで、この綺麗なひとの手を掴んでいけるような気もしない。大体そんなことになれば、愛しいひとの側に居続けるためにこのひとは簡単に手を離してしまうだろう。
 恋愛というものは、リザにとっては単なる遊びなのだとウィンリィは思う。『あのひと』に、いつか一生一緒にいてくれないかと言ってもらうまでの、その暇を潰すための、たったそれだけの。
 自分とて恋愛に全てを懸けてゆける類の人間ではないと自覚はするが、それでも想いが募ったその刹那、このまま、他の何もかもを置いてこのひとと在ることが出来ればと思うこともないわけではないのだ。
(まー、それが恋なんだろうし)
 けれどリザが、一瞬でもそんな風に、自分に執着してくれることはきっとないのだとそう思うと、少し悲しい。
 リザの『あのひと』を、少なからず憎く思ってしまうほどには。
「ウィンリィちゃん」
 ぼんやりと思考の淵に沈んでいたウィンリィを、眠いものと思ったのか酷く優しく囁く声が呼び、そっと髪が撫でられた。
「来週の土曜日、予定は?」
「………別にないわ」
「じゃあ、デートしましょう」
 んー、と呟き、億劫そうに片手をシーツから出してウィンリィは指を折った。
「……ダメ、生理真っ最中だと思う。その次ならいいけど」
「その次だと映画が終わってしまうわよ」
「じゃー友達と行くからいい」
 あら、と呟いた声がなんだか悪戯っぽく笑みを含んでいて、ウィンリィは伏せていた眼を上げた。
「私とデートはいや?」
「全然イヤじゃないけど、でもほら、生理中だし、えっちできないし」
「別にセックスしましょうと誘っているわけではなくて、デートをしましょうと誘っているのだけれど」
 ぱちくり、と幼く瞬いた灰青の眼に、リザはくすくすと笑って乱れた細く柔らかな金髪をさらさらと撫でた。プラチナブロンドともハニーブロンドとも言える、レモンの果実のような薄く明るく光る金がきらきらと、時折白く色を失う。
「髪が綺麗ね、ウィンリィちゃん」
「………そう?」
「私が髪を伸ばした理由、知っているかしら」
 耳に掛けられたハニーブロンドから覗く銀色のピアスを見上げながら、ウィンリィはううん、と呟いた。見上げた先の笑みが深まる。ほんのりと薔薇色の頬の化粧は疾うに薄れてしまってしまっているのに、それでもなお、彼女は綺麗だと少女は思う。髪を指に絡める大人が、きめやかで白い少女の膚やその長くくるりとカールを描いた睫に飾られる大きな瞳に、同じ事を思っていることを知らないまま。
「中等部に入ってきたとき、あなたもう髪が長かったじゃない?」
「……うん」
「教育実習生で来ていたときにそれを見て、なんて綺麗な髪をしている子なのかしら、と思ったのよ。羨ましくて、私も伸ばしてみようと思ったの」
 ぱちくり、ともう一度灰青の眼が大きく瞬いて、それから少女は鮮やかに、その透明感溢れる頬を薔薇色に染めた。
 土曜の予定は映画でいいわね? と柔らかに尋ねたアルトに、少女はこくこくと慌てて頷いた。

 

 
 
 

■2006/3/2

なにをとち狂ったかウィンアイ。…いや…赤のブックレットがね…ずっと脳裏にあってどんどん妄想が育った結果というか…。
『うつせみ』と同設定です。こっちのほうがネタ自体は先にあったので引き摺られてうつせみが現代パラレルになったという。あんまりゆりの醍醐味がないような…どうもえどろいと同系っぽくてアレです。精進します。

残留熱保管庫さまに10000HITお祝いに捧げさせていただきます。…一体いつのお祝いなの…!(目逸らし)

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