「お、デニー! 上がりか? どうよ、久々に付き合わね?」
 くい、とグラスを傾ける仕草をして見せた黒髪の同僚に金髪童顔の軍曹はくしゃりと顔中笑みを浮かべ、申し訳なさそうに肩を竦めた。
「ごめん、今日はちょっと」
「なんだよ、付き合い悪ぃな最近」
「悪い、また今度! じゃ、急ぐから」
 ひらりと手を振って終業から5分と経たないというのに既に着替えまで済ませ司令部をばたばたと出て行く軍曹に、黒髪の同僚はなんだあれ、と首を傾げた。
「女でも出来たか?」
「女っちゃ女だが、あいつ水曜は駄目だぜ、ここんとこずっと」
「なんだ、水曜日の恋人ってか」
 違う違う、とかぶりを振り、茶髪の同僚が声を潜める。
「ほら、マリア・ロス」
「ああ……准将殺しの……」
「彼女が捕まったのが水曜日で、死んだのも水曜だろ」
「…………なに、律儀に毎週墓参りってか? アホか。同僚殺しの軍人の風上にも置けねーような女だぜ。どうせ惚れた腫れたでぐちゃぐちゃこじれたんだろうけどなあ、女っつーのはこれだから」
「声でけぇって。アームストロング少佐に聞かれたら説教だぞ」
「下士官用のロッカールームなんか覗くかよ。でもあれか、そんなに惚れてたのかあいつ」
「や、そういうんじゃねぇみてぇだけどなあ……なんにしても、休暇も出来る限り水曜に取って朝から墓参りするくらい徹底してっからさ。まだ無理だぜ、水曜は」
「あいつほんとアホだな」
 やれやれ、と肩を竦めて上着を羽織った黒髪の同僚の肩をぽんと叩いて、茶髪の同僚はまあまあ、と宥めた。
「呑みなら俺が付き合ってやっから」
「またおめーかよ」
「またとか言うな」
「男同士で呑むしかねぇってのも、お互い寂しい身の上だよな………」
「言うな……」
 がくりと額を落とし、茶髪の同僚はふと流れた花の匂いに口を噤んだ。
「どした? 行こうぜ」
「おう」
 ひとつかぶりを振り、それには言及せずにさっさと出て行ってしまった同僚を追う。
 花の香りはデニー・ブロッシュのロッカーに籠もる残り香で、毎週水曜日にはあの中に就業時間中ずっと花束が収まっていることを同僚は知っていた。
 早いとこ吹っ切って欲しいもんだが、と心中で呟いて、同僚は僅かに溜息を吐いた。
 
 
 
 デニーはぼんやりと墓を見つめ、膝を抱えて座っていた。この北の墓地は日当たりが悪く風通しも悪く、苔生した地面はひんやりと冷たい。尻を上ってくるその冷たさにぶるり、と身を震わせ、デニーはさらにぎゅっと膝を強く抱えて身を縮めた。
「アームストロング少佐は休暇に入ったんですよ、ロス少尉」
 持参した花束を置いた真新しい墓に向かって小さく語り掛け、デニーは首を傾げる。
「東部に行くんだと言ってました。マスタング大佐に少し休むように言われたそうです。………まあ、もっともだと思います。少佐は大分参ってらしたようですし………俺と違って繊細なひとだからなあ。見た目はあんなひとですけど」
 言って、ふと笑みがこぼれた。
「なんて、俺なんかより少尉のほうがよく知ってますよね、少佐のことは」
 風が冷たい。
 抱えた膝に顎を乗せ、デニーは眼を閉じた。陽は既に傾いていて、後は暮れて行くばかりだ。この僻地の墓地にはバスでしか来ることは出来なくて、陽が暮れてすぐのバスが最終だ。それを逃せば最寄りの駅まで1時間は歩かなくてはならない。
 そろそろ行かなくちゃな、と考えながら、それでもデニーは動けずにいた。先週も結局ぐずぐずしている間にバスを逃し延々歩く羽目になったというのに、己の学習能力のなさに呆れる。今は墓の中に納まっている上司にいつもどうしてそんなに馬鹿なのだと叱られていたことを思い出し、デニーは僅かに笑った。
(だって少尉が頭がいいから)
 俺が賢い必要はなかったでしょ、と口の中で呟いて、デニーはふと目を細く開いた。背後に近付いて来る気配に、随分と前から気付いてはいた。素人だ。恐らくは、女性。
 土を踏む踵の低いパンプスの音。
「………デニー・ブロッシュ軍曹?」
 デニーは顔を上げて振り向いた。見上げた先には穏やかな顔をした中年の女性が立っている。黒髪と、その丸い輪郭に面影を感じる。
 デニーは慌てて立ち上がりぴっと敬礼をした。
「は、そうであります! ロス少尉には色々と世話を焼いていただきました!」
 思わず軍人口調で言ってから、はっと気付きデニーは慌てて手を下ろした。
「す、すみません、失礼しました!」
「………どうして謝るの?」
「だって、………ロス夫人、ですよね? 少尉のお母様の。軍人がこんなところにいたら目障りでしょ?」
 しょんぼりとしたその態度がおかしかったのか、夫人はふっと頬を綻ばせて口元を隠し笑った。
「あの子の言ってた通りね」
「え?」
「ブロッシュ軍曹はちょっと間が抜けてて慌てんぼうで軽くって、可愛いのよ、困っちゃうわ、って」
「かわい……」
 かーっと赤面して慌てるデニーにくすくすと笑い続け、夫人はふと墓に供えられた花束を見た。
「毎週花を置いて行ってくれるのは、あなた?」
「え、あ……すみません、はい………」
「だから、謝らなくていいわ。………私はあの子がヒューズというひとを殺したわけではないことを知っていますから。あなたもでしょう?」
「あ、はい………」
「あの子の無実を知っているひとなら、軍人でも憎くはないわ」
 憎い、と呟いて、デニーは心細い犬のように眉を下げた。
「あの………マスタング大佐は」
「マリアを殺したひとね」
「あの、大佐は別に、悪いひとではないんです。なので……あの」
「職務を全うしただけだと言うんでしょう、解っています。無実の罪に陥れられたのだとしても、逃亡してしまったあの子に非があるわ。だからマスタングというひとの非を問おうとは思わないし、それは筋が違うでしょう。責めるべきはきちんと調査をしなかった司法ですからね」
 はあ、と呟いてデニーは後ろ手に組んだ指を蠢かした。夫人の視線は冷ややかさを乗せて、デニー越しに墓を見つめている。
 愛しい娘を見る目では、ない。
「けれどそれでも、憎いと思うことは止められないわ」
「………………、」
「誰があの子に罪を着せようとしたのかは解らないけれど、それでも実際に手を下したのは、マスタングという男なのだもの」
「…………あの」
「凄い英雄なんでしょう? 殺さずに捕らえることだって簡単だったはずよ。けれどあの子が彼の親友を……ヒューズというひとを殺したと疑われていたから、それで殺したのだと────あ、あんな」
 低く震えた声にデニーははっと目を上げた。唇を戦慄かせ、頬を歪ませて夫人は胸に拳を押し付ける。
「あんな、黒焦げの───あ、あなた、あの子を見た!? あの子がどんな仕打ちをされたのか、見たの!? だ、抱こうとするとぼろぼろ崩れてしまうのよ!! あんな───あんなに可愛い子だったのに、それを………それを」
「あっ、あの、すみません、ロス夫人………」
「見ていたらそんな悠長なことは言えないはずよ……! あの男は無実の罪を負わされたマリアを、炭にしてしまったのよ!!」
「はいっ、すみません! ですから落ち着いてください!」
 震える肩を掴み瞳を覗き込む。散っていた瞳孔がすうと焦点を結び、夫人はふ、と息を落とした。さすがロス少尉のお母さんだ、精神力が強いな、などと場違いに呑気なことを考えながら、デニーは手を離した。
「失礼しました、ロス夫人」
「………いえ、私こそ取り乱してしまって。あなたに八つ当たりすることではないのに」
「平気です」
 かぶりを振って薄く笑うと、夫人はふっと苦笑のような笑みを頬に掃いた。
「寒くなって来たわね」
「そうですね」
「早くお帰りなさいね、ブロッシュ軍曹」
「ええ」
「それから」
 夫人はにこやかにデニーを見上げて墓を真っ直ぐに指さした。
「この中にマリアはいないわよ」
 ぱちり、と、デニーは瞬く。夫人は笑顔のままだ。
「このお墓に花を供えているのはあなただけよ。からっぽなんだもの。その滑稽な軍人さんを笑いに来たのよ、私」
「………からっぽ、って」
「当たり前でしょう? ここは犯罪者のお墓じゃないの。そんなところにマリアを置いておけますか。別のもっとあたたかな土地にお墓は作ってあるわ。毎日お花を供えてね、静かでいいところよ」
「──────、」
 言葉を返せずに凝視するデニーにもう一度、酷く上司に似た笑顔で笑って、夫人は踵を返した。
 そのまま別れの挨拶もなく去って行く小柄な背が夕闇に紛れて行くのを見ながら、ああまたバスに乗り遅れた、とデニーはぼんやりと考えた。振り向く。からっぽの真新しい墓と花束。
「…………それでですね、ロス少尉。少佐がお土産は何がいいかって言うんで、俺」
 ぽつり、と呟いて、デニーはふと頬を崩し僅かに泣き笑いのような笑みを浮かべ、再び冷たい地面に膝を抱えて座り込んだ。
「………毎日は来れないですけど、毎週来ますから、俺。真犯人を見つけるって言ったら少佐に凄い勢いで止められちゃって、だからそっちは出来ない、って言うか、俺だけじゃ何していいか全然解らないんで仇をとってあげることはできないんですけど、でも、少尉が無実だってことはよく知ってますから。少佐も、少尉のご両親も、少尉の友達もみんな知ってますから」
 来週はなんの花がいいんですかね、と呟いて、そういえばこのひとの好きな花のひとつも知らないな、とデニーは思った。
 ぎゅと膝を抱え長身を小さな影に納め、デニーはそっと眼を閉じた。

 

 
 
 

■2005/9/7

前々から書きたいと思ってたデニー・ブロッシュロス少尉の墓の前で蹲る。3月号見たら白いひとになってしまった。3月号感想SSだったんですがタイトル付けたくなったのでこっちに持って来ました。

初出:2005.2.24

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