今年の冬は風邪がとっても流行っているんだって。 兄さんも熱こそないけど咳が酷くって、無理すれば長く寝込むハメになりそうだったから今日はお医者に往診してもらって無理矢理宿のベッドへ押し込んできたし、今日が期限ぎりぎりの報告書を兄さんの代わりに提出に来てみれば司令部もそこここでげほげほとかはくしょんとか言っててなんだか人口密度が薄いし、いつもなら「よ、アル」とか言って仲良くしてくれる少尉の姿が見えないなあと思ってたら熱が上がって今仮眠室で休んでるとか言う話だし、それを教えてくれた中尉も薄化粧で隠せないくらい顔が真っ白で今夜は発熱間違い無しですみたいな様子だし、ボクはまだあんまり話とかしたことないけど曹長とか准尉とかもうひとりの少尉とか(ごめんなさい、このひとたちまだ名前知らないや)も鼻をぐすぐす言わせたりしているし、やっぱり今年の冬は容赦なく風邪が流行っているみたいだった。 で、そんな中、ボクは司令部にひとりで来たのは初めてで、不思議そうに(というか、不審そうに?)鎧のボクを見る軍人さんたちの視線からどうしても逃げられないこの大きな身体が嫌だなあ、と思いながら(あ、でも、これは兄さんには内緒。嫌だなんて言ったらすごく気にするから)大佐の執務室に呼ばれるのを来客用ソファに座って待っていた。大佐は今大事な電話中だとかで、部外者のボクはその内容を聞いてしまったりしないように外で待っている。 「待たせたね、アルフォンス君。入ってくれ」 扉が開いた、と思ったら顔だけ覗かせた大佐がそう言って、すぐに執務室へ引っ込んでしまった。ボクは慌てて立ち上がって執務室へとお邪魔した。 「失礼します……」 「ああ、そこに座ってくれ」 はい、と頷いてソファへ向かおうとして、ボクは手に持っていた報告書に気付き、ちょっと考えてから大佐の執務机へと向かって恐る恐るそれを差し出してみた。いつ渡せばいいのかとか全然解らなかったけど、これを渡すのがボクの目的で、ソファに座れって言われたのを無視しちゃったけどでもそんなことで怒ったりはしないよね、と、……思ったんだけど。 やっぱり先に座るべきだったんだろうか? 大佐は黙って報告書を受け取って、ぱら、と一枚目をめくり、それからボクを見上げてソファを指した。 「座って待っていなさい。読んでしまって、質問事項をまとめて書くから」 「あ、はい」 ボクはこくこくと頷いて、今度こそソファへと腰掛けた。それから上等そうなソファにオイルが付いてしまうかも、とちょっと考えて、浅く端へと座り直す。 大佐はゆっくりと報告書を読んでいるようだった。兄さんの字はもともと利き手ではない左手で書いているからまだ慣れなくてかなり下手くそで、ボクでも読み辛い(兄さん本人もときどき読めないみたいだ)。だから多分、質問はたくさん出るんだと思う。 ボクは首を傾げて報告書を読んでいる大佐を眺めた(他にすることもなかったし)。 この若さで大佐、とか言われてもボクにはよく解らないけど(二十歳のひとも三十歳のひとも、ボクあんまり違っては見えないし。ボクらの歳の子のお父さんよりは若いと思うんだけど)、でもやっぱりこうして見ると仕事とか出来そうで頭もよさそうで、やっぱり偉いひとなんだなあとボクは思う。本当ならボクみたいな子供なんか相手にもしてもらえないひとだ(だってボク、まだ11歳だし。民間人だし)。 大佐は司令室でほとんど唯一風邪を引いていないとかで仕事をたくさん回されていて、机の上には書類がいっぱいだ。いつもはサボってばかりらしいとか兄さんは言ってたけど、でもさすがに今日はずっと仕事していたみたいだ(多分終わったヤツじゃないかな、って書類も結構高く積んであるから)。 仕事をするというのは大変なことなんだなあ、とボクは仮眠室で休んでいる少尉とか、具合の悪そうだった中尉を思い出す。 休むとその分こうやって他のひとに迷惑が掛かっちゃうから、ちょっとやそっとじゃ休めなくて、具合が悪くても我慢して仕事に出てこなくちゃならないんだ。そんなことしたら治りが遅くなるだけなのに、それでも出てこなくちゃいけないなんて。 兄さんはときどきそういう無茶をしようとするけど(ボクが熱とか解んないからって、酷いよ兄さん)、それはボクに心配掛けたくないとか、早く次の町に行かなくちゃとか、そういうなんていうか、凄く焦った結果でそうなるのであって、大人のひとの無理とは別なんだと思う。 (けど、心配掛けるって意味ではおんなじだよね) 大佐は文句も言わずに休んだひとの分の仕事も片付けている(仕事だから文句なんか言っていられないのかもしれないけど)。 体調管理に失敗した兄さんの代わりのボクとも文句を言わずに会ってくれて、兄さんが来ていれば口頭で済む話もちゃんと書面にしてくれている(手間を掛けさせてしまってボクはとても悪いことをしている気持ちになる)。 自分の仕事があるのに、それを後回しにして報告書を読んでくれてる。 それは心配することとは違うんだろうけど、でもなんていうか、弱っているひとをフォローして、労ってあげているんだなってカンジがして、ボクはやっぱりこのひとは大人なんだなあ、とちょっと溜息を吐いた(練習しているけどまだ上手く溜息みたいな声は出せないから、気分だけだけど)。 ボクはまじまじと大佐を眺めた。大佐はゆっくりと書類をめくる。 ………あれ。 なんだか、なんだろう。ちょっと違和感。 ボクは首を傾げて、またじっと大佐を見た。瞬きしないボクの視線は強烈なようで、大佐は顔を上げてボクを見て、ぱちぱちと瞬いた。 また違和感。 そうか瞬きが多いんだ、と気が付いて。ボクはあの、と身を乗り出した。 「大佐、頭とか痛いんじゃないですか?」 「え?」 「目の奥とか……」 大佐は少し目を丸くしてボクを眺め、いや、と言い掛けてから少し考えて、ふと苦笑みたいな声を出さない笑い方をした。 「目敏いな」 「……やっぱり! 無理しちゃ駄目で……」 大佐まだ笑った形のままの唇に人指し指を当てて、「シー」、と声を潜めた。 「内緒で頼むよ」 「けど」 「せっかく中尉に気付かれていないのに、心配を掛けてもなんだろう。彼女のほうがよほど休養が必要だと言うのに」 「だ、だけど、酷くしちゃったらみんな困るんじゃ」 「酷くはしないよ、書類を読んでサインをするだけで外に出るわけでも暴れるわけでもないからね。安静にしているのと同じようなものだ」 ボクはでも、と思いながら、けれどあまり言い募って怒らせたら嫌だな、と思ってちょっと俯いた。大佐はそれをどう受け取ったのか、少し首を傾げてボクを眺めた。 「アルフォンス君」 「はっ、はい!」 「有難う」 「え!?」 慌てて顔を上げると大佐は少し微笑んで、いや、違うかな、と呟いた。 「怖がっているのかな?」 「え?」 「それとも緊張しているのかね?」 きんちょう、とボクは繰り返して、いつの間にか力を込めていた肩から力を抜いた。がしゃ、と自分でも吃驚するような音が出た。 「………あの」 「いつものハボックあたりが相手しているものな」 大佐は報告書へと目を落としながら続けた。 「ヤツは兄弟が多いんでね、小さな子の相手が上手いんだ。……申し訳ないね、もう少し待っていてくれ、すぐ終わるから」 「……………」 ああ、やっぱりボクは場違いなんだと思う。 大佐は兄さんは大人みたいに扱う。なんでかはよく解んないけど、でも兄さんは仕事の相手だからだろうって言ってたし、実際そうなのかもしれない。もしボクも国家錬金術師だったのなら大佐はこんなこと言わなかったんじゃないかと思うし、もしかしたらハボック少尉とかもあんなに優しくしてくれないのかもしれない。 子供が来るところじゃないんだ、ここは。 ボクはなんだかとても悲しくなった。悲しくなるようなことじゃないと思うんだけど、とても心細くて泣きたくなった。 でも泣き出す身体はないからボクはただずっとちょっと俯いて座っていて、やがて大佐が軽く椅子を鳴らして立ち上がる気配がするまでそのままでいた。 「報告書は確かに受け取った、と兄に伝えてくれるか、アルフォンス君」 「あ、はい………」 「それからこれが質問事項。二、三確認しておくだけだから急がなくていい。充分に回復してから来なさいと言っておいてくれ」 ボクは渡された薄い封筒を受け取って、はい、と頷いて立ち上がった。 「えっと……もういいですか? 何かお使いすることありますか」 「いや、いいよ。ご苦労だったね」 大佐はボクを見上げてそう言って、何か言いたげにふと笑みを納めた。ボクは続く言葉を待ったけれど、大佐は少し沈黙して、それから困ったようにちょっと笑って、ボクの腕をぽんと叩いた。 「では、兄によろしく伝えてくれたまえ」 「はい。…えっと、お邪魔しました」 ぼくはぺこんと頭を下げて、それからふとポーチの中に喉飴があったのを思い出した。兄さんの喉ががらがらに枯れて来てたからこの間買ったんだ。結局舐めなかったから未開封なんだけど。 「あの、大佐」 「ん?」 ボクは喉飴の小さい袋を取り出して大佐に渡した。 「これ」 「………なにかね?」 「飴です、喉飴。嫌いですか?」 「いや、好きも嫌いもないが……、……くれるのかね?」 はい、と頷いて、大佐の手にぽんとそれを乗せてボクはもう一度頭を下げた。 「お邪魔しました、お大事に」 「ああ、君も………」 言って大佐ははたと口を閉じた。それからまた失笑みたいな声を出さない笑い方をして、ボクの肩を叩く。 「………飴を有難う」 「いいえ」 ボクは首を振って、大佐の執務室から出た。 「アルフォンス君、お帰りかしら?」 「はい、帰ります。……あの、中尉」 「はい」 改まったボクに、中尉はぱちり、と一度瞬きをした(このひとは瞬きがとても少ない)。 「あの、……無理しないでくださいね」 中尉は少し驚いたようにボクを見上げて、それからふっと微笑んだ。ボクはこのひとが凄く綺麗なひとだってことに、今気が付いた。 「有難う。エドワード君にもお大事にと伝えてくれる?」 「はい」 ボクはぺこんと頭を下げた。 「じゃあ、失礼します」 「ええ、またね」 「はい。次は兄さんと来ます」 ええ、と頷いた中尉にもう一度頭を下げてボクは司令室を後にして、少し早足で司令部を出て、駆け足で宿へと向かった。 「あの子はいい子ですね」 「兄とはあまり似ていないな」 「……さあ、そこまではまだ解りませんけれど」 リザは決済済みの書類を確認しながら僅かに微笑んだ。 「ボディランゲージで意志を伝えようとしてくれているんですね。……優しい子です」 「そうだな」 ロイは万年筆を走らせながら目を上げずに答える。 「顔が解らないから少し構えてしまっていたが、初めて会った頃よりもずっと表情豊かになったよ」 「彼の努力の賜です」 「並の努力ではないね」 そうですね、と答えてリザは上官の机の上を見た。見覚えのない小さな袋が乗っている。 「大佐、その袋は?」 「ん? ああ、喉飴だそうだよ。彼に貰った」 ロイは袋をつまんでぶら下げ、軽く差し出した。 「舐めるか?」 「いえ、大佐がいただいたのでしょう。ならそれは大佐のものです」 「君のほうが酷い声だよ」 「あなたも少し枯れてきましたよ」 ロイは黙り、それからむう、と眉間に皺を刻んだ。 「気付かれていないと思っていたんだが」 「まさか。あなたの体調管理も私の役目です。けれどたとえ発熱しても今は休んでいただくわけにはいきませんし」 「君もね。すまないね、本当は休養してもらいたいところなんだが」 「体制を変えたばかりで我々が休んでは混乱するでしょう」 「まったくだ。……ハボック少尉はどうだ?」 「先程起きて外回りへ出ました。熱は少し下がったようです」 「そうか」 ふう、とロイは溜息を吐いた。 「まったく、ろくでもないときに風邪が流行りだしたものだ」 「忙しいときほど得てしてそういうものです」 リザはとん、と書類をまとめた。 「少し休憩にしましょう。コーヒーを淹れます」 「濃いヤツを頼むよ」 はい、と言って立ち上がったリザを、ロイがふと呼び止めた。 「小さな子供には食べ物以外に何を与えればいいんだろうな?」 「………玩具でしょうか。絵本とか…」 「いや、それほど小さくはないんだ」 リザは僅かに首を傾げ、ああ、と頷いた。 「アルフォンス君ですか」 ロイは小さく肩を竦める。 「どうも子供の相手というものは慣れなくてね」 「気になさらなくていいと思いますよ。普通に接してあげればそれで」 「………そうかね?」 ええ、とリザは微笑んだ。 「彼は賢い子です。……エドワード君と比べても遜色はないか、もしかするともっと大人びているかもしれません」 「そうか?」 「多分」 ふーんそうか、と何か納得しているロイに頭を下げ、リザはコーヒーを淹れるべく退出した。 |
■2004/9/5 深化/進化/神化。
ロイアルかアイアルな話各種のずっと以前みたいな雰囲気なのかなーとか。知らない大人が怖いアルと子供の扱い方が解らない大佐。
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