「正直言えばさ」
 夜の雨はとん、ぱたぱた、と屋根を叩く。オレンジ色の光の下で、廊下に繋がる部屋の隅の暗闇を頬杖を突いて眺めながらぼんやりと言った幼馴染みに、ウィンリィはその機械鎧の右手に油を差しながらなによ、と言った。
「オレはこのままでもいいんだよ」
 顔を上げる。幼馴染みは視線を闇に馳せたまま、ふ、と口元を緩ませ苦笑を見せた。
「機械鎧も嫌いじゃねーし」
「嫌いだなんて言ったらぶっ飛ばす」
「勘弁しろ、死ぬ」
 ぐ、とどこかから取り出したスパナを握った笑顔のウィンリィに引き攣りながら左手を上げて制止し、エドワードはごと、と椅子を鳴らして僅かに向き直った。
「アルさえ元に戻れればさ、オレは別にいいんだ」
「ふーん」
「手も足も一本ずつ生身のほうも残ってるしさ、別に珍しくもないもんな、四肢欠損なんて」
「まあねえ。あたしらの年代だとあんまいないけどね」
 戦争を経験している、あと10か20年上の人々の中には確かに義肢を付けている者は多かった。だから義肢装具士のような商売が成り立つのだが、皮肉なものだ、と祖母の言っていた言葉を思い出してウィンリィは僅かに唇を曲げた。
(あたしもそう思うわ、ばっちゃん)
 戦争があったから、自分たちはこんな田舎でも収入を得られているのだ。そうでなくては需要の少ない辺鄙な土地に居を構えていたのでは早々に立ち行かなくなってしまっているだろう。今でも義肢装具だけでは少し厳しい。両親が健在だった頃は彼らの医師としての収入もあったから、祖母は心置きなく機械鎧技師として商売出来ていたのだが。
 今では彼女は医師として、怪我人を診ることもしている。
「でもなあ、アルがさ……」
「アルのせいにすんのやめなさいよ」
「アルのせいじゃねえよ。でもあいつが、オレの手足戻すって言うからさ」
 ふん、と鼻を鳴らして僅かに顎を上げ、ウィンリィは小さなハンマーを手にしてこんこんこん、と鋼の右腕を叩いていく。
「アルの生き甲斐ってこと」
「んー………」
「あんたの手足がアルの旅の目的の半分だもんね」
「うん」
 エドワードは俯いた。長い金髪が表情を隠し、唯一覗いた口元が笑みに薄く歪む。
「自分のことだけ考えてりゃいいのになあ」
「アルだもん」
「……オレなんか大したこっちゃねえのに」
「大したこっちゃないとは思わないけどさ、エド」
 こん、と一際高く鋼を鳴らして、ウィンリィはエドワードの視線を上げさせることに成功した。
「手と足なくなったとき、あんた死に掛けたんだからね。アルが連れて来てくれなきゃ死んでたんだから」
「……………」
「思い出すとあたしだって怖いよ。ほんとにあんた死んじゃうんじゃないかって思ったし、ずっと熱も下がんないし血圧上がんないし意識戻んないしでさ」
 あたしですら怖いんだから、とウィンリィは再び機械鎧に目を落とし、傍らの工具入れからドライバーを取った。
「………血塗れのアンタの傷止血して、あんたんちからここまであんた抱えて走って来たアルは、もっと怖かったと思うよ」
「……………、」
「あんた、アルがずーっと隅っこで膝抱えて座ってたの知らないでしょ」
 金の眼が瞠られた。ウィンリィは油で真っ黒になった指でちょい、と先程エドワードが眺めていた暗がりを指し示す。
「あそこでね、エドは大丈夫ってばっちゃんが言っても、あんたの目が醒めるまでずっと座ってたんだよ。口も利いてくれなくて。ばっちゃんとあたしで、全然動いてくれないアルの鎧をさ、ときどき拭いたり磨いたりして掃除してさ」
 だからね、と少女の灰青の瞳が幼馴染みを見つめた。
「アルは、怖いんだと思うよ。身体が欠けたことであんたが死に掛けたから、生身の手足がないと安心出来ないんだと思う」
 またいつか、なにかの拍子に、欠けた手足が兄の命を脅かすのではないかと。
「別に、機械鎧が嫌いってわけじゃないと思うんだけどね」
「────お前やばっちゃんの造る機械鎧のことは、アルは凄く褒めるぞ」
「うん。好きだって言ってくれる。綺麗だって」
 でもそれとこれとは話が別。
 エドワードは僅かに沈黙し、きゅ、と音を立てて油染みの浮いた襤褸で少女が義手を磨くのを見つめた。
「………オレは、別にこのままでもいいと思ってるよ、ウィンリィ」
「うん」
「お前がいるしさ」
「まあね」
「一生この手足、見てくれんだろ?」
「あんたの担当はあたしだからね」
 あたしの初めての顧客だし。
「責任もって面倒見ようじゃないの」
 でもね、と言ってウィンリィは磨く手を止めずにふと微笑んだ。
「もしさ、アルの身体と一緒にあんたの手足が戻ったとしたらね、さっさと軍属なんか辞めてここに帰ってきなさいよ」
「…………何で?」
「あったり前でしょ? 馬鹿じゃない、エド。あんたの銘って、なんで鋼なのよ」
「─────、」
「鋼の錬金術師が生身になったら、手足が欲しいとか、失明したとか、耳が聞こえないとかさ、そういうひとたちにあんた滅茶苦茶追っかけられるんじゃないの。アルはサイズからして全然違うから別のひとだって言い張れるかもしれないけど」
「…………いや、けど、機械鎧だってのは別にそんなに知れてるわけじゃ」
「あんたが思うほど知名度低くないんじゃない? 角んとこのレンダーさんがさ、この間中央に行って来たらしいんだけど、あんたの噂聞いたって言ってた。エドはすっかり有名人だって笑ってたよ」
 エドワードは僅かに失語する。後先考えずに派手に暴れてしまうのはもう性質としか言いようがないが、それでもあまり名を馳せては目的を果たすことすら困難になりそうな気もした。
 何にしても自分たちは後ろ暗い。禁忌を犯したその過去を、そして禁忌を犯そうとしているこれからを、知られてしまうのはまずかった。
「…………まずい、かな」
「さあ、あたしにはよく解んないけど」
 さ、さ、と軽く撫でるように拭って仕上げとし、ウィンリィは鋼の手を返して点検をしている。
「でも、機械鎧であることは知れてても、故郷がここだってことはあんまり知られてないと思うんだけど、どう?」
「………それは、まあ」
「ならいいじゃない。さっさと軍属なんか辞めて帰ってくれば」
 それで全部済むでしょ、と笑って、少女は鋼の手を離す。
「さ、どう? 完璧でしょ」
 ぎ、ぎ、と拳を握り、エドワードはに、と笑った。
「おう。サンキューな」
「料金はちゃんと貰うわよ」
「少し負けてくれ」
「何言ってんの、金持ちのくせに」
 腰に手を当て憤慨したように言い、ウィンリィは散らかした工具を片付け始めた。
「明日の昼だっけ、列車?」
「ああ」
「次来るときはちゃんと連絡してよね。あと手入れを怠らないこと!」
「解ってるって」
「あたしは前から解ってたよ」
 微妙に噛み合わない返事に、エドワードは一つ瞬き鋼の拳から眼を上げた。
「なにが?」
「あんたがそのままでも良いって思ってたこと。ずっと前からちゃんと解ってた」
 こん、と、軽く肩が小突かれた。
「アルもね、多分解ってる」
「………けど、」
「解ってるのと戻してあげたいって思うことは全然別だよ。アルはさ、あんたの手足がないのが嫌だとか、機械鎧が嫌いだとか、そういう理由であんたを戻してあげたいって思ってるんじゃないんだからね」
「─────、………オレに悪いと思ってるとか、」
「それはもちろんあるだろうけど、元に戻してあげれば自分が楽になるからとか言うんじゃないよ。解ってると思うけど」
「………解ってるけど」
「アルはさ、頭いいしあんたよか全然大人だけど、でもたまに、凄く小さい子みたいに、可哀想だねって思うんだよね。ただ可哀想だから可哀想って思うの。凄く素直にさ」
「オレって可哀想か?」
「哀れんでるとか同情してるとかいう大人っぽい気持ちじゃないよ、アルの可哀想は」
「……………」
「早くアルを戻してあげなさいよね」
「………ああ」
「そしてさっさと帰ってきなさい」
「……………、……ああ」
 よし、と笑って、ウィンリィは立ち上がった。
「じゃ、さっさと寝なさいよ。明日早いんでしょ?」
「ああ」
「じゃね、おやすみ」
「ああ、………ウィンリィ」
 工具箱を下げて背を向けた少女は、ん? と肩越しにエドワードを見た。エドワードは僅かに照れたように小さく笑う。
「………サンキューな」
 ウィンリィはぴ、と指を立てた。
「特急料金割り増し」
「高ェよ!」
「だから電話しろって言ってんのに」
 そしたら予約扱いで割り引いてあげる、と笑って、ウィンリィは手を振り暗がりへと消えた。

 

 
 
 

■2005/5/15

スポットライトの下の寸劇みたいな。
ウィンリィは全然歪んでいない視点で兄弟をそれぞれ理解しているといいと思います。幼馴染み3人大好き。

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