濃密な闇の中、きし、とソファが軋む。幾度目かのその音に、青年は小さく笑った。
「ソファ……直しておけばよかったですね」
「壊れているわけではないわ」
「でも、ほら、」
 き、と僅かに神経に障る軋みを立てたソファに、青年はまた少し笑う。
「直しましょうか、今」
 青年の金の瞳が窓からのささやかな星明かりを受けて、きらりと輝いた。それをやはり星明かりを白目にわずかに差して、女は薄く微笑みの息を落とす。子供のように僅かに青みがかる綺麗な白目に、青年はうっとりと目を細めた。
「いいのよ、貰い物だから。直すのなら本人に直してもらうわ」
「ああ、」
 合点がいったとばかりに青年は頷く。
「将軍からの?」
「お下がりね。引っ越しを手伝いに行ったときに処分すると言うから、では私が引き取りますと」
「気に入ったんですか?」
「ええ、手触りがいいでしょう」
 生成のソファカヴァはさらさらと洗い立てのようで、青年は首を傾げる。
「あれ、これって後で張り替えたんじゃ?」
「ときどき外して洗っているの。同じ物よ」
「じゃ、あんまり古いものじゃないんですか」
「何年か使ってらっしゃったようだけど……」
「何年か」
 ふうん、と呟きもう一度ソファを撫でた青年の手を、女がやんわりと掴む。ふ、と笑みを洩らした息が暗闇へと落ちた。
「あなたが今触るのは、こちら」
 導かれた先の膚に触れて、青年はくすぐられたかのように肩を竦める。
「そうでした」
「間違えないで」
「はい、ごめんなさい」
「あのひとに嫉妬してしまうわ」
「このソファはもうリザさんのものでしょ」
 将軍のじゃないですよ、と笑って、青年は女のくつろげたブラウスの合わせへと鼻先を擦り寄せた。その子犬のような仕草に声を立てずにわずかに肩を震わせ笑い、女は緩く抱き寄せる。
「いい匂い」
「子犬のようね、アルフォンス君」
「ボク、犬っぽいんですって」
 猫のほうが好きなんだけど、と首筋や鎖骨に可愛らしい音を立ててキスを降らせる青年の耳元を指で辿り、女はあら、と戯けた調子の声を上げた。
「私は犬が好きなのよ」
「ああ、ブラックハヤテ……」
「それから、あなた」
 ぱち、と瞬いた睫が膚に触れて、青年が顔を上げた気配がした。
「ボク、リザさんの犬ですか?」
「いいえ。あなたはエドワード君のものね」
「リザさんはボクのものなのかな」
「いいえ。私はあのひとの狗よ」
 そっか、と頷き、ひたりと抱き付いてきた青年のその撫でた肩へと女は頬を預けた。
「抜けて来てよかったのかなあ、打ち上げ。今頃将軍があなたを探しているかも。いたかったんじゃないですか、リザさん」
「あなたこそいたかったんじゃない? みんなと会うのも久し振りだと言っていたのに、悪かったかしら」
「兄さんが銀時計返しちゃいましたからねえ……司令部に行く機会もなくて」
「中央に来る機会も?」
「あ、ボク、今度こっちに引っ越してきますから」
 女の金髪をさらさらと指で遊ばせながら、青年は照れたように早口で続けた。
「あの、こっちの大学で研究したくって。出来れば国家錬金術師資格取って、軍の研究所で研究させてもらいたいんだけど」
「エドワード君が猛反対?」
「ウィンリィも猛反対です。ばっちゃんは好きにしろって言ってくれるけど、将軍に相談したら頭ごなしに却下されちゃって」
「あら」
「妬いてるのかなあ、あなたにちょくちょく会えるようになるから」
 まさか、と女は微笑む。
「心配しているのよ、あなたのことを」
「そうかな」
「そうよ、そういうひとだもの」
 あは、と青年は笑って女の肩からゆっくりとブラウスを落とす。女の手が青年のシャツの裾から入り込み、背骨をゆるゆると撫で上げた。
「やっぱりリザさんは将軍のことよく解ってるんですね」
「そうでなくては副官など出来ないわ」
「愛してますか?」
「愛すべき上司ね」
「ボクも結構愛してます、あのひとのこと」
「エドワード君も好きよ」
「ボクは滅茶苦茶愛してます、兄さんのことは」
「そう、嬉しいわ」
 青年は女の顔を覗き込む。闇に溶ける輪郭はぼんやりとしていて、女は青年のその頬を指で辿った。
「………ベッドに、移動しますか? ソファ汚しちゃ嫌だし」
「あら、妬いてるの?」
 ふっと触れている頬の筋肉が動き、笑みをかたどる。
「だから、リザさんのソファですよ、これは。でも洗濯するのもリザさんでしょ?」
「シーツだって洗濯するのは私だわ」
「お手伝いします。明日は晴れると思うから、リネン類の洗濯しちゃいましょう、ぱーっと一気に」
「そんなに朝早くから働くつもり?」
「どんなに遅く眠ったって、朝寝なんかしないでしょ、あなたは」
 言い返そうとした唇をやんわりと唇で塞ぎ、青年は額を付けてにこりと笑った。
「ベッドに行きましょう、リザさん。ここ、狭くって嫌です」
「することは同じなのにね」
「違うでしょ。全身でぎゅっとしたいんです。鎧のときには出来なかったことだから」
 うっとりと囁かれた言葉に困った子ね、と囁き返して、女は青年の肩に腕を回した。
「………いい男になったわね、アルフォンス君」
「あなたはずっと綺麗です」
 ありがとう、と笑った女にもう一度キスをして、青年はその存在感のある身体を抱き上げた。命の重みだ、と青年は呟く。
 女は青年の首に両腕を回したまま、頸動脈にそっと唇を寄せる。
 薄い皮膚に触れる脈に女はほんのり笑い、命の音だわ、と呟いた。

 
 
 
 
 

■2004/12/11
お互いのパートナーの話が睦言の世話女房ふたり。

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