去年の春に七度目か八度目かの「行ってきます」を残して、以来アルフォンスからの連絡はない。
 アルはどこまで行っちゃったんだろう、と頬杖を突いて溜息を吐くウィンリィが、長いポニーテールの先を息子に引かれてああごめんおなか空いたよね、と笑うのもほとんど日課だ。時折ぼんやりと、工具を握ったまま何かを考えていることもある。
 オレはと言えば昼は畑仕事や大工仕事に精を出し夜は研究の日々を送っていて、忙しいながらも単調な毎日だ。
 旅に出ないの、と長らくリゼンブールに留まっているオレに時折ウィンリィが尋ねるが、そのたび今やっている研究を纏めてしまいたいのだと答えて根が生えたんじゃないの、なんて唇を尖らせるアイツの目がほっとしていることを見ないふりをする。
 ばっちゃんは秋口に少し腰を痛めて寝付いてから仕事の量をぐっと減らし、半隠居の体だ。もともと豆粒みたいなばっちゃんの背中が、ここのところますます小さくなったのに時折淋しい気持ちにもなる。デンはこの夏を待たずにひっそりと息を引き取って、わんわんと泣いた息子と共に裏庭に墓を建てたばかりだ。
 オレはペンを滑らせていた手を止めて、ふと暗い窓を見遣った。昔々、ずっと昔、このリゼンブールを発って長い長い旅に出たあの日に逃げ場を無くすつもりで、本当は自分の罪を振り返ることが怖くて焼いた、オレたちの家のあった方向だ。無論今はその先に見える明かりはなく、今日は厚い雲に覆われて星の光も遮られ、ただごうごうと吹く風が窓枠をがたがたと鳴らしている。きっと嵐が来る。
 今夜中に来るだろう嵐は朝には去るかもしれない。そうしたら、明日はまず畑を見回らなくてはならない。農園のおっちゃんたちと一緒にとうもろこしの品種改良に手を付けたところだが、この程度の嵐でだめになるならまた考えなくてはならない。天候や季節は試練と共に切っ掛けと選択を運んでくる。
 嵐は嵐の始まりで、それは終わりの始まりだ。
 終わるはずだったあの日のオレたちは運命のように生き延びて、今こうして生きることに懸命であろうと必死で足掻いている。
 オレだけじゃない。アルフォンスも、ウィンリィも、今は遠い地にいる軍人たちも、師匠も、国中にいる友人たちもだ。
 ふ、と、オレはペンを置いた。
 何を感じた訳でもない。ただふと何気なく立ち上がり、窓に歩み寄って闇の中を見た。
 
 一掴みの藁のウィリアムの掲げる松明のように、ふわりと金色に温かな、まるで蜂蜜色の光がゆるりと坂を上る。
 
 オレは窓を開けた。途端吹き荒れた風が、酷い音を立てて窓を攫い壁に窓枠を叩き付けた。机の上のレポート用紙が文鎮などなかったかのように吹き飛んで舞い散る。けれど構わず、とうとう大粒の雨を乗せ始めた風の中に身を乗り出してオレは叫んだ。
「アルフォンス!!」
 ふ、と揺らぎ止まった光が、こちらを顧みた気がした。
 
 まばたきもできない。
 
 蜂蜜色の光はゆらゆらと掲げられるように揺れて、再び坂を上ってやってくる。
 この、坂の上の家を目指してやってくる。
 
 オレは窓を開け放したまま部屋を飛び出て、ウィンリィとばっちゃんの声を背中に聞きながら嵐の始まる夜の中へと駆け出した。
 
 
 
 
 
「ランプ、振ったじゃん」
 なんでわざわざ濡れに来るかな、と溜息を吐いて、アルフォンスは毛布を被り暖炉の前で蜂蜜入りのミルクのカップを大事そうに白い手に抱きながら唇を尖らせた。一つしか年は違わないはずなのに随分と可愛らしくまるで子供のようにも見えるその表情に、エドワードはだらしなくソファに凭れたまま半眼になった。
「しょうがねえだろ……大体お前、連絡くらい寄越せって」
「それこそしょうがないじゃん、シンにいたんだし。イシュヴァール経由だったからさあ」
「今あそこ荒れてんだろ。迂回しろよ」
「出るときはまだ行けたんだよ。まさか一年でここまで状況悪化してるとは思わなくて……ランファンの部下かなんかのひとに帰りは案内してもらったから無事に抜けられたんだけど、隠密行動ってやつだったから、とても連絡なんて出来なくて」
 ていうか、と今度は意味を違えてアルフォンスは唇を尖らせた。
「マスタング将軍は何してるわけ? イシュヴァールと和解を進めてたんじゃなかったの」
「オレもこないだ問い詰めといたけど、すぐになんとかするとか言ってた」
「て、会ったんだ」
「中央行ったついでに殴り込んどいた。あと息子の写真見せびらかしに」
「うわ、兄さん性格悪い」
 大佐かーわいそ、と最も呼び慣れた階級で呼んで笑い、アルフォンスはふ、とミルクの湯気を吹いた。
「しばらくヒューズ准将のお墓参りもしてないなあ。少し休んだら、中央に行ってこようかな」
「長旅のあとなんだからゆっくりしろよ」
「だから、少し休んだら」
「いっぱい休め」
「兄さん相変わらず過保護」
 ボクもういい年なんだけど、とやれやれと頭を振り、アルフォンスはそうだ、と床へとカップを置いてごろりと転がるように長身を伸ばし、トランクを引き寄せた。
「ね、ボクがいる間、レポート纏めるの、手伝ってくれない? それとも忙しいかな。兄さん今何の研究してるの」
「とうもろこしの品種改良」
「錬金術のほう!」
「とうもろこしより大事な研究はしてねえよ。いいぞ、二人でやったほうが早いだろ」
「ていうか、兄さんのご意見伺いたいんだよね」
 開いたトランクから分厚い手帳を取り出してエドワードへと渡し、アルフォンスは更にレポートの束を引き出した。その未だに肉の薄い小さめの手から、更に小さな機械油で黒く汚れた手が紙の束を奪い取る。
 兄弟は揃って手の主を見上げた。
「ウィンリィ、あの、」
「あったまったら寝ろって、あたし言った、よ、ね?」
「いや、あの」
「なんでこんな時間から錬金術談義なんか始めようとしてんのよ! エドもエドよ! 明日は朝から畑でしょ!? アルだって疲れてるんだからさっさとベッドに行きなさい!!」
「うわ、ごめん、あの」
「アルのベッドだって綺麗にベッドメイクしてあるんだから!」
 剣幕に首を竦めていたアルフォンスが、口をへの字に曲げたままぐっと堪えている幼馴染みを見上げ、ゆるりと微笑んだ。
「うん、解ってる。いつもありがとう、ウィンリィ」
「ありがたがってる暇があったら一刻も早く寝なさい!」
「解った。……ウィンリィ」
 毛布を纏めて腕に掛けながら立ち上がり、アルフォンスはいつまでも変わらないような、少し幼い顔で笑った。
「ただいま」
「…………おかえり」
 ぽんぽんと兄の妻の背を撫でるように叩き、アルフォンスはソファの背にしがみついたままだったエドワードを顧みた。
「兄さん相変わらずウィンリィの尻に敷かれてるんだね」
「相変わらずってなんだ弟よ」
「そうよエドがだらしないだけでしょ!」
「だらしなくねーだろ!? 毎日ちゃんと働いてますよ!?」
「ぐずぐずぐずぐずこんな田舎に引き籠もって、だらしないとしか言いようがないでしょ!」
「そ、そりゃ、お前、まだやることが」
「とうもろこしの品種改良ならアンタよりおっちゃんたちのほうがプロよ」
 とうもろこしより大事じゃない研究なんでしょ、とどこから聞いていたのかじろりと睨んだウィンリィに言質を取られ、カメのように首を竦めた兄にくすくすと笑ってアルフォンスは床に置いていたミルクのカップを拾った。
「これ、部屋に持ってくね」
「明日の朝持って降りてきて」
「うん。……じゃ、兄さん」
「おう」
 蜂蜜色の弟は、小さく首を傾げるようにして兄を伺った。
「ただいま」
「………おう。おかえり」
 うん、と頷き、じゃあおやすみ、と言い置いてアルフォンスは階段を上って行った。開けたままのトランクは置き去りだ。
 はあ、と腰に手を当て溜息を吐いたウィンリィが、ちょい、とトランクを指差した。
「これ、閉めて、エドの部屋においといて」
「解ったよ。お前はまだ仕事か?」
「うん。ちょっと溜めちゃってて」
 超特急で仕上げなきゃ、とない袖をまくるようにして笑って見せたウィンリィの隈の浮いた顔はけれど明るくて、エドワードはそっか、と頷いた。
「じゃ、おやすみ」
「おう。朝飯は食わせておくから、寝てていいからな」
「ばっちゃん起きてくるからそのつもり」
 じゃあね、と手を振り工房へと消えたウィンリィを見送って、エドワードはトランクへとレポートと手帳を放り込んで閉めた。それから暖炉をかき回し、少し火を小さくする。
 ふわ、とひとつ欠伸が出た。
「………寝るか」
 今夜はゆっくり寝れそうだ、とうんと伸びをして、手に馴染む古いトランクを持ち上げてエドワードは寝室へと向かった。

 

 
 
 
 
 

■2014/05/21

ひと掴みの藁のウィリアムはウィルオウィスプ

ついったで流れてきてた60分一本勝負的なやつで一時間で書いた
使わせていただいたお題は「終わりの始まり」「ノーマルエンド」「かわいいあの子」

アルはずっとずっと調査と研究で旅をして生涯過ごしそうだし、兄さんは錬金術が使えない錬金術師として生きてそうってイメージが未だに拭えない

初出:2014.5.18

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