「お前さー、なんで元に戻りたいの」 「なんでって」 そのひとは目の前で胡座を掻いて好奇心を隠しもせずにじろじろとボクを見ている。 「眠れないし」 「いいじゃねぇか」 「ご飯も食べられないし」 「便利だろ」 「美味しいものも食べられないんだよ?」 「食べたいのか?」 「………今は食べたくないけど」 美味しいものに対して「ああ美味しそうだ」と思うのは、肉体があったときの癖のようなものだ、とボクは大分前から気付いている。昔好きだったから「美味しそうだ」と思うだけで、味の想像の付かない食べ物を誰かが美味しそうに食べていてもボクも食べたいとは思わない。甘いも辛いも想像するしかなく、その想像で唾の溜まる口も鳴るお腹もないからだ。 そんなことを口に出して言ったわけじゃないのだけれど、強欲だというそのひとは「食べたくねぇならいいじゃねぇか」と言った。 「欲しいと思わねぇなら構わねぇだろ」 ボクはまじまじとそのひとを見た。そのひとはくっと笑ってボクの顎を掴む。 「首傾げんの、癖か?」 「………傾げてた?」 「傾げてた。鳩みてぇに」 くっく、と笑ってそのひとはボクの顎を撫でた、ようだった。僅かに兜に響いた振動と視界の端に映る指の動きから察するに、だけど。 「くすぐってぇか?」 「感じないよ」 「くすぐってぇって顔してた」 どんな顔だというのだろう。今のボクに顔はない。 口に出したわけでもないのに、そのひとはまたくっく、と笑ってこつんとボクの肩を叩く。 「肩竦めてた。くすぐってぇよって顔して」 よ、と立ち上がり、ボクの顔を覗き込んでそのひとは続けた。にやにやした顔は軽薄だけど、視線が強い。 「今は『ボクそんな顔してた?』って顔してる」 「………してないよ」 「してた」 笑いながらそのひとは、ボクの兜に手を掛けた。また頭を外されるのかとボクは少し身構えたけど、そのひとは兜の縁を撫でてふーん、と呟く。 「触られても感じねぇんだよな?」 「…………。……うん」 「俺がどこ触ってんのかは解るか?」 ボクはそのひとを見上げた。その手は見えてはいないけれど解っている。僅かな振動と反響が、首の覆いの辺りにある。 「首でしょ」 「見えてんのか?」 「響くんだよ」 そのひとは驚いたように眼を瞠った。けれど口許には面白がるような笑みが張り付いたままだ。 「女撫でるよりも優しく撫でてんだぜ? これで響くのかよ」 下品な言い方、と僅かにむっとしたボクに、そのひとはにやりと尖った歯を覗かせて笑う。 「ボウズは潔癖なんだなあ」 からかうような口調によりむっとしてぷいと横を向いたボクに悪い悪い、と全然悪いと思っていない口調で謝って、そのひとは兜の頬の辺りに手を掛けてぐいと正面を向かせた。視線が付いて行かずに一瞬周囲が見えなくなる。 顎の上、面の継ぎ目の辺りに振動。 慌てて視線を兜の眼に合わせると、そのひとの顔が吃驚するくらいの至近距離にあった。ほとんどおでこしか見えない。視界の下の端に閉じた瞼。 そのひとは瞼を片方だけ開けて上目遣いに視線を合わせた。 「どこ触ってんのか解るか?」 さりさり、と不思議な響きがある。 何だろう、と不思議に思いながら、ボクは答えた。 「兜の……えーと、口っぽいとこ」 「見えんのか?」 「おでこしか見えない。離れてよ」 ふーん、と呟きそのひとは離れてくれたけど、ボクの頭の後ろに手を当てて顔を覗き込んだままだ。あんまりひとと話をする距離じゃない。 「もうちょっと離れてよ」 「なんで」 「………話しにくいから」 「なんで」 「近過ぎるでしょ!」 「女口説くときはこんなもんじゃねぇか?」 「ボクは女のひとじゃないし口説かれてるわけでもないから」 「口説いてんじゃねぇかよ、ずっと」 「…………嬉しくないから」 「またまた」 嬉しいくせに、とぽんぽんと頬の辺りを叩くそのひとの笑顔が癪に触る。 「嬉しくないよ」 「ムカつくけどちょっと嬉しいって顔してる」 「してない!」 「してるよ。馬鹿だな」 何で馬鹿なんだよ、と言う前に、そのひとの指が眼の縁の辺りを撫でた。 「何にも感じねぇんじゃキスもセックスもつまんねぇなあ。女にも興味がなくなるのかね」 それはそれで楽なのか? とそのひとは訊いてきた。子供になんてこと訊くんだろう。信じられない。 「知らないよ」 「知らねぇのか」 「知らない!」 「怒んなよ。お前ほんとに14か? 14の男っつったらもう少し女とかセックスとかに興味があんだろ」 「知らないってば!」 もういい加減にしてよ、とむくれたボクにまた悪い、と笑って、そのひとはボクの口の辺りを指で撫でた。 「感じねぇけど、見えんだよな」 「だからなに」 「綺麗なものを見て綺麗だとは思うか?」 ボクは思わず首を傾げてしまった。そのひとが笑みをわずかに苦笑に変えたのに気付いてしまった、とは思ったけど、それは言わずにとりあえず頷く。 「思うけど」 「花は好きか」 「うん」 「動物は」 「可愛いよね」 「晴れと雨はどっちがいい?」 「………どっちもいいけど、雨が続くと錆びちゃうからなあ」 「感受性はあるわけだ」 「馬鹿にしてる?」 「してねぇよ」 ふん、と鼻を鳴らして、そのひとは突然顔を寄せて来た。視界一杯に薄い唇の大きな口が映る。灰色に見えるくらい色が白い。 瞼もないのにボクは思わず眼を瞑りそうになった。もちろんそんなことはできなくて、ボクは視界の半分をそのひとの唇が覆うのを見た。 灰色掛かる白い肌白い唇と対照的に毒々しいほど赤い舌が眼の縁と仄暗い内部を撫でるように舐める。さりさり、と振動がして、ああさっきの感触はこれだったのか、と思うと無い背中がぞくりと粟立った気がした。 ごつん、と頭が壁に押し付けられた。 鉄の縁が赤い舌を傷付ける。臭うはずのない血の香り。 「お前、苦ェよ」 唇を離したそのひとは、そう言ってぺろりと自分の唇を舐めて見せた。白い唇に一筋血が付いたけれど、そのときにはもう傷は塞がっていたようだった。 ボクの視界、眼の縁が、赤く暗く濡れている。 「オイル塗ってるもん。当たり前だよ」 「蜂蜜でも塗っとけ。そうすりゃキスもちっとは楽しい」 「………錆びちゃうよ」 言いながら、ああそれもいいかもなんて考えてしまったのは内緒だ。 そのひとはにやりと嗤った。再び赤い舌が白い唇を舐め、血を拭い取る。 「キスは出来るな」 「………そりゃ真似なら出来るけど」 「そうじゃなくて」 そのひとの指がゆっくりと、見せつけるようにボクの眼の縁を撫でて行く。身体の中に丸ごと入られるより、外と中の境界に触れるその指が気味が悪い。 ぞくぞくする。 そのひとは大きな口をきゅう、と左右にひっぱって、怖いような眼で嗤った。 「どきどきしたろ?」 「…………、……え?」 「それがキスだ」 「………気持ち悪かったよ」 はっは、と大きな声を上げてそのひとは笑い、ボクの頭をばしばしと叩く。 「ガキ。そういうときは気持ち良かったって言うもんだ」 「全然気持ち良くないよ。ぞくってしたもん」 「良かったんじゃねぇか」 良く解らないことを言って、そのひとは腕を組みふん、と呟いた。 「セックスも出来るな」 「な…ッ、なに言ってんの!?」 「見せてもらえばいいわけだ、シてるとこを。おお、問題ねぇな」 「ひとの話聞いてるーッ!?」 全然聞いていない顔でおお聞いてるぞ、と言って、そのひとはもう一度ひょいとボクに唇を寄せて眼の縁にかし、と歯を立てた。 「やめてよ、気持ち悪いよ!」 「だからいいって言えよ」 「よくないもん!」 怒鳴るボクに楽しそうに笑って、そのひとはどさりとボクの前へと腰を下ろした。 「やっぱりいいよな、その身体」 「よくない!」 そのひとは笑っている。 「………あー、あっついあっつい」 からかわれているのは解っているのに腹が立って仕方がなくて怒るボクのおなかの中で、膝を抱えて座っていた蛇の女のひとが、そう呟いてぽりぽりと首筋を掻いた。 暑いのなら出ればいいじゃない、と言うと、おなかの中の元人間のひととと外の人間じゃないひとは、揃ってあはは、わははと大笑いした。 ボクは何も変なこと言ってない。 大人って解らない。 |
■2004/7/1 グリアル祭りに投下していたものをこちらにもUPです。グリードさんの口調がよく解っていません(目逸らし)。かなり習作のにおいが……。
えーと。グリアル祭り会場は現在グリアル同盟として存続していますので、そちらで他の方の素晴らしきグリアルSSを読まれるのをオススメします。切実に。初出:2004.5.29
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