「保証人になってくんない」 2年ぶりに現れた鋼の錬金術師の第一声に、ロイは無言でまじまじとかつての少年を見つめた。 まだまだ大人というには青臭さが抜けないが、大分背も伸び顔からも身体からも丸みの抜けた青年は記憶にある通りの不機嫌な顔でなんだよ、と気味悪そうに眉を顰める。 「黙ってないで何か言えよ」 「………他になにか言うことはないのか」 「何が」 ロイははあ、と嫌味に聞こえるよう大きく嘆息し、やれやれとかぶりを振った。 「私は君に2年ぶりに会ったように思うんだがね。しかも一度も連絡もなし。査定も地方司令部で済ます徹底ぶりだ」 「ああ、なに、そんなこと気にしてたの。忙しかっただけだ。別に行方をくらましてたわけじゃないぜ」 「行方不明だったくせに何を言う。私は君たちを監督する義務が、」 「だったら本腰入れて探せばよかったろ。なんにもせずにいたくせに文句ばっかりってのはどうかと思うぜ、大佐」 「准将だ」 エドワードはにやりと笑う。 「あっそ、昇進したんだ? そりゃおめでとう、よかったね。アンタの野望まであと一歩だ。で、将軍にお願いがあるんだけど、保証人になってくんない」 反省の色のない(そもそも反省する気のなさそうな)青年に、ロイは今度は心からの溜息を深々と吐く。 「何の保証人だ」 「うん、ちょっと本腰入れて研究したくてさ。家を借りたいんだよね」 「……借りればいいじゃないか」 「だからさ、オレまだ未成年なんだよ。で、未成年には貸せないっつーから銀時計見せてじゃあ買い取るって言ったんだけど、国家錬金術師だろうが何だろうが未成年には売れないって言われてさ」 「それはなかなか気概のある不動産屋だな」 ふん、と鼻を馴らしてエドワードは契約書を取り出した。 「即金で買うから迷惑は掛けない」 「そんな心配はしとらんよ」 ちらりと中身に眼を通し、郊外のそこそこに広い一軒屋であることを確認し番地をしっかりと記憶して(この生意気な若者は知らせろと言ったところで生返事をするだけでまた連絡を怠るに違いない)、ロイはサインをした。 「落ち着いたら連絡をしろよ。顔も出せ」 「解った、さんきゅ」 「必ずだぞ」 「解ったって」 いい加減な返事をしてさっさと立ち上り扉へ向かった青年は弟の話をする気配がない。ロイは何気なさを装いながら視線をその背にまっすぐに注ぎ、尋ねた。 「………弟はどうした? 君たちが別行動など珍しい」 エドワードはちらりと振り返り、肩越しに渋面を見せる。 「アンタ東方に戻んない?」 「なんだ、唐突に」 「中央司令部ってアンタのとこまで来るのに手続きがすっげー面倒なんだよ。アルは一般人だからなおさらでさ、2時間待ちなんてざらなもんだから連れて来なかったんだ。今買い出しに行ってる」 「……なるほど」 ふ、と息を落としたロイにエドワードはにやりと笑う。 「ま、そのうち顔見に来てよ、こっち落ち着いたらさ」 「解ったから、連絡をしろよ」 はいはい、とやはりいい加減な返事をして、エドワードはひらりと手を振り今度こそ振り返らず、ばん、と高らかに扉を鳴らして出て行った。 二ヶ月、二ヶ月だぞ、とロイは苛々と組んだ足を揺らした。 保証人を頼んでおいて二ヶ月もまったく音沙汰なしとは一体どうしたことなのだ。いくらエドワードが非常識な男だとしても、あの気遣いの塊のような弟がそれを許すはずもない。新居に落ち着けば必ず電話の一本くらいは入るだろうと、そう考えていたのが甘かったのか。 「将軍、背凭れ揺らさないでくださいよ」 酔います、と涼しい顔にくわえ煙草で言う運転手を、ロイはバックミラー越しに睨んだ。 「貴様は腹が立たんのか、ハボック中尉」 「はあ、まあ、2年のご無沙汰の後ですからね。二ヶ月くらい別にどうってことも。大体二ヶ月前だって大将のヤツ、俺らにはよう久しぶり、くらいなもんでさっさと帰っちまいましたからね」 無愛想なもんです、と笑う部下にロイは眉間のしわを深くする。 「ヤツらしくもない」 「エドワードだってもう18スから。あの年頃のガキはちょっと会わないだけでころっと変わりますよ」 「それにしてもだ、アルフォンスが何か言ってきそうなものなんだが」 「なんだかんだ言ってアルも頭ぶっとんでますからね、兄貴とそう大差ないですよ。あんたはあれだ、ちっと子供に夢見過ぎです」 「将軍、そろそろです」 それまで黙っていたリザに促され、ロイは顔を上げた。駅から遠過ぎたために発展する前に寂れてしまった郊外の住宅地予定区域は閑散としていて、ぽつぽつとある大きな家も空家が目立つ。 その中に、そこそこに広い庭でも付いていそうなその古めかしい家は、錬金術師の住まいにはあつらえ向きな様相でたたずんでいた。しかし車から降り近付いて見れば外壁とアーチとに這う蔦は茶色く枯れ、玄関ポーチまでの石畳は雑草に侵食されている。 「………ひとの住んでいる気配がないな」 「手入れしてないだけじゃないっすか」 「いえ、毎日誰かが歩いていれば蔦はともかく石畳が雑草で割れることはないと思うわ」 妙ですね、と呟くリザに肯き、ロイはゆっくりと荒れた石畳を歩いた。呼び鈴を鳴らす。 「………壊れてんじゃないですか」 「いや、鳴ってはいるようだが……」 何度か鳴らすが家人が出て来る様子はなくて、なんだ留守なのか、と顔を見合わせた軍人たちは誰からともなくドアノブに視線を落とした。部下の期待を受けたかのように、ロイは手袋越しにそっとそれを握る。 ───開いている。 「無用心……」 「有り得ない。研究のために家を借りると言っていたんだぞ。研究の成果があるはずの家に鍵も掛けずに出掛けるなどあるわけが……」 言いながらふいに口を噤んだ上官の心なしか青醒め眉を吊り上げたその顔を見遣り、ハボックは煙草を落とし足で踏んだ。躊躇いなく扉を開き踏み込んだロイに、リザが続く。 「鋼の! アルフォンス!」 「大将ッ、いないのか!? アル!?」 足音高らかに踏み込み声を張り上げる男たちの後に続きながら、リザはぐるりと見回し間取りを確認した。玄関ホールには二階へ続く階段と、居間かキッチンに続いているだろう扉がある。扉を片っ端から開いて行く上官と部下を余所に、リザは階段下の奥の薄暗がりに扉をひとつ見付け、歩み寄った。 「エドワード君、アルフォンス君。いないの?」 声を掛けながらノブを握る。ひやりとした低温の金属は湿っているかのようで、リザは眦を吊り上げた。唇を引き結び、薄く扉を開く。 「────ッ、准将!!」 薄く開いた隙間からむっと漂った血臭に、リザは声を張り上げ上司を呼び扉を全開した。全身が粟立つほどの腐臭に、首の後ろがちりちりと焼けたように痛む。 「中尉ッ、どけ!!」 リザを押し退け室内へと踏み込んだロイが、鋭く舌打ちをした。 唯一ある小さな窓には鎧戸が下ろされ、隙間から細く光が差し込んでいる。その光の帯の中を埃が薄く漂い、それだけを見るならば美しいと言えたかもしれない。だが。 その、光の帯に斑に照らされた、黒々と染まった床に大きな錬成陣。 その中心から放射状に散らばる、タールのような血痕と、その中心に───肉塊。 肉塊は所々骨らしきものを覗かせ、肉を紫色に、内蔵を黒に変色させてどろどろと腐っていた。 三人は立ち尽くす。腐肉のせいではない。 「───あれ、エドワードの」 呟いたハボックの言葉を遮るように、ロイが高らかに踵を鳴らして大股でそれに歩み寄った。 錬成陣の脇に転がるブーツと衣服と───鋼の手足。 血の一滴、肉の一欠片も付いていないそれを掴み持ち上げて、ロイは酷く険しい顔をした。 「───弟は『これ』なのか、鋼」 研究をしたいと言っていた、その結果がこれなのか。 自らの全てを奪取されて、残ったものは、この腐肉───なのか。 「将軍」 一見いつもと変わりのない、けれど常に行動を共にするロイやハボックには力無いと解る声で呼んだリザが、あれを、と振り向いた上官に部屋の隅の暗がりを指差した。 壁に寄り掛かり蹲る、大きな影。 誰も何も言わなかった。影は動かなかった。 もはや魂の無いであろうその巨大な鎧へと、鋼の腕を掴んだままロイは歩み寄った。それに副官二人が続き、片膝を突いた上官の背後へと控える。ハボックが天井を仰いで十字を切り、リザは無言でもはや眼窩に光のないそれを凝視した。 「…………アルフォンス」 ロイは呟き、義肢を抱えたままそっと手袋を抜き、素手でその塗られたオイルに埃を吸着させている鎧の顎に触れた。途端ちかり、と瞬いた眼窩に眼を瞠る。 「アルフォンス!?」 ふう、と浮いた赤い光はあえかで、瞬きをするように小さく明滅した。 「しっかりしろ、アルフォンス・エルリック! 生きているのか!」 声を荒げ肩を掴んだ上官に負けじとハボックが身を乗り出す。 「アル!!」 「アルフォンス君!」 永遠に少年である鎧の幽鬼は、ゆっくりと頭を上げ、三人をぎしぎしと見回した。その空洞の鎧の中を埃がゆらゆらと落ちた影が眼窩の光を受けて、踊る。 「………たいさ」 可愛らしい、けれどどこか遠くへ響くような、夢見る色のまるでない声はひび割れて、三人の鼓膜を緩く叩いた。 「しょうい………ちゅうい」 「ああ、そうだ。大丈夫か、アルフォンス」 ほ、と息を吐き、ロイが面の留め具の辺りを撫でる。その胸に抱えられた腕に視線を止め、鎧の少年はしばし沈黙した。 「………にいさ」 ぴく、とロイの手が止まる。舌打ちでもしたそうなハボックと僅かに眉根に皺を寄せたリザに赤い光がすうと流れ、少年はあ、と呟いた。 「いっちゃった」 「………アルフォンス、君の兄は」 「じゃあ、マスタング大佐。ハボック少尉。ホークアイ中尉」 唐突に理性的な、かつての声色を取り戻して少年はひとつ大きく眼窩の光を明滅させた。 「ボクもいかなきゃ」 「アル、」 「さようなら」 ふっと、蝋燭を吹き消すように眼窩の光が消えて。 がしゃん、と、鎧は崩れ錆びた。 立ち上る錆臭さは腐臭を上回り三人の鼻孔を突き、呆然とする軍人たちの前で、鉄屑となった鎧はがしゃがしゃと砕け、赤茶の錆へと姿を変えた。 それが、最期。 |
■2004/11/27
右側の天使は善へと導く。
エド→←アルでしょうか。相互片思い。
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