アルフォンスは通りの隅へと追い詰められていた。 気を付けていないと肩当ては窓の庇を擦るし足はごみ箱を蹴飛ばすし、兜だって看板をがんごんと揺らす。 まだ真冬というにはちょっと早い時期なのに、異常気象だとかで二十年ぶりの大寒波に見舞われているこの地域は、今日は特に冷え込みがきついせいもあって他に通行人がほとんどいないのがまだ救いだ。ただ民家だけでなく店舗も半分以上が軒を閉ざしていて、目指す花屋が開いているのかどうか、アルフォンスにはそれが心配だった。 隣で車道側を歩いていた兄が、詰まったようなくしゃみをしてぎゅうと肩を縮め昨日慌てて購入した灰色のマフラーに顔を半分埋めた。真っ白な息が湯気のようだ。 「うー……さぶい」 声がぶるぶると震えている。 そりゃそうでしょうよ、と呟きながらアルフォンスは少し足を早めて兄の前に出た。エドワードは歩調を合わせて再びぴったりとアルフォンスに並ぶ。 足を緩めて少し後ろへと下がってみる。 やっぱり歩調を合わせてぴったりと並ばれた。 「………あのさ、兄さん」 「あんだよ」 「こっち側来て。ボクが車道のほうに行くから」 「あんで」 「歩きにくいんだよ。兄さんぴったり寄ってくるんだもん」 うーとかおーとか返事らしき呻きを上げて、エドワードは素直に場所を入れ替えた。アルフォンスはほっとして、車も馬車も馬もまったく通らない、寒波にがちがちに堅くなった煉瓦敷きの道を兄から少し距離を取って歩いた。 が。 ぴたり、と再び兄はアルフォンスに寄り添う。 「……………」 なんで寄ってくるのこのひと。 アルフォンスは無言でさらに車道側へと少し移動して距離を取った。やはり無言のエドワードはアルフォンスがずれた分だけ移動して、またぴったりと横に並ぶ。 無言の攻防を繰り返し、ほどなくしてアルフォンスは先程とは反対側の隅へと追い詰められた。ごん、と窓の庇が肩を擦る。 「…………あのさ、兄さん」 「あんだよ」 先程と同じ会話を繰り返し、アルフォンスは仏頂面でがたがたと震えている兄を見下ろした。 「何で寄ってくるの。もうちょっと離れてくれない?」 エドワードがじろりとアルフォンスを睨む。睨まれる覚えのないアルフォンスは、僅かにむっとして顎を引いた。 「なんで睨むんだよ」 「なんでじゃねぇ。お前こそなんで離れたがるんだ」 「なんでって……寒いでしょ」 アルフォンスには気温は解らないが温度計は見ることは出来るし、その雪でも降ってくれたほうがまだマシなのではないかと思えるほどの気温に驚くまでもなく、宿の人々の格好や会話や顔色で今日が恐ろしく寒い日であることは理解できた。 そんな日なのだから寒風に晒されたこの鋼鉄の鎧は天然冷房と化しているはずで、横に並んでいてはただでさえ寒いというのにより一層気温は下がり、きっと氷の側に立っているのと同じくらい凍えるはずなのだ。 だから離れて歩きたかったのに。 というかついて来なくてよかったのに。 しかしそんな弟の思いやりを無視したエドワードは、兄なりの思いやりでがちがちと合わない歯の根を鳴らしながら「寒くねぇ」と答えた。 「震えてるじゃない」 「外が寒いだけだ」 お前のせいじゃない。 アルフォンスは溜息を吐いた。 もう、そんな風に気を遣われても嬉しくないよ、兄さん。風邪引かれるほうが嫌なんだから。 「兄さん、先に宿に戻りなよ。この様子じゃお花屋さん開いてるか解んないし、広場でも露天は出ていないだろうし」 「お前だけ行かせられるか」 「だってボク寒くないし」 「一緒に行きてェんだよ」 解れバカ、とむくれた兄に、アルフォンスはあーあ、と呟いて曇天を見上げた。 「兄さんはバカだなあ」 「バカとはなんだバカとは」 「だってバカじゃない」 「だー! 何なんだ! ケンカ売ってんのか!」 「違うよー」 アルフォンスはくすくすと笑って兄の頭や首に指が触れないよう注意しながらフードをつまみ、金髪にぱさりと被せた。 「兄さんが大好きだなあと思ったの」 「…………何だ突然」 アルフォンスはがしゃん、と首を傾げた。 「照れた?」 「照れてねェ」 「ふうん」 エドワードはふいと視線を顔を逸らした。フードのてっぺんがくるりと動く。 「………ちょっと嬉しかっただけだ」 アルフォンスはくすくすと笑い、もう一度曇天を仰いだ。 ほら、母さん。 ボクらは仲良くやってます。 奇跡的に開いていた花屋から、季節が季節のため種類の乏しい花を、それでも一生懸命見繕い可愛いブーケに仕立ててもらったアルフォンスは、代金を渡すときに店員のお姉さんがぶるぶると震えたことで自分の周囲がどれだけ気温が下がっているのかを知った。 やっぱり寒いよね、ボクの周り。 兄さんってば本当に愛すべきバカだ、とちょっと笑って、アルフォンスは花束が寒さで萎れないようできるだけ身体から離して、兄がかじかむ手で部屋の鍵を開けるのを待った。 「ッあー! あったけー!」 スチームで暖まっていた部屋に入った途端弛緩した兄は、コートもマフラーも手袋もそのままで部屋の真ん中の絨毯の上へどたりと寝転び安堵の息を吐く。 「あー、今日はもーどこにも行かねーぞー」 「明日には列車が動くといいねえ」 「……この寒さじゃ復旧作業はかどらねーだろうから、怪しいとこだな」 そうだねえ、とおっとりと頷いて、アルフォンスはブーケを丸テーブルの上へ置く。暖かな空気にさらされた鉄の身体がばきん、びし、とちょっと吃驚するような音を立てた。 「アール」 「なあにー」 「もうちょっとあったまったら身体拭いてやるからな。結露するから」 「あ、うん。お願い」 「こんな日なんだから、どっちかっつったらお前の方が外出ると面倒だと思うぞ」 「なに言ってんの、兄さんの機械鎧だって結露しちゃうよ。それに風邪を引くのは兄さんなんだから、やっぱり兄さんは留守番してればよかったのに」 エドワードがごろりと寝返りを打ってアルフォンスを嫌そうに見上げた。 「あのなー、この日に言うかそれ」 「おつかいくらいひとりでさせてくれても誰も文句は言わないよ」 「オレの気分の問題なんだ!」 「なに言ってるの。ボクが言い出さなきゃ黙って流すつもりだったくせに」 「………悪かったな、薄情で」 アルフォンスは「そんな意味じゃないよ」、と首を傾げて兄を見つめた。 「でもねえ、悲しいことは避けないほうがいいよ」 「逃げてるって言いたいのか?」 「そうじゃないよー。そうじゃなくて、我慢するのもいいけど、悲しいときはちゃんと悲しいって思ってたほうが、きちんと思い出に出来ると思うんだ」 不思議そうに見上げるエドワードの目に気付き、アルフォンスはもう一度首を傾げた。 「そう思わない?」 「………悲しいことはないほうがいい」 「そうだね」 「悲しいからって立ち止まってる暇はねーぞ、アル」 「解ってる。でもたまには立ち止まるのもいいよ。振り向かなければいいんだよ」 エドワードはふ、と目を伏せて口元に笑みを掃く。 「……そうか」 「そうだよ」 言いながら、アルフォンスは兄のトランクを開いて小さな櫛を取り出した。黄楊の柔らかな色が、まだわずかに油を含ませ優しい艶を浮かばせる。刻まれた細工は繊細で、明らかに女性向けの品物だ。異国風のこの櫛は父からの贈り物なのだと聞いたが、多分その事実は兄は知らない。知れば捨てられてしまうかも知れないから、アルフォンスはずっと秘密にしている。 アルフォンスに必要がないのはもちろん、エドワードもこの櫛を使うことはない。 ただ、家を焼くときに、兄に倣って何も持ち出しはしなかったアルフォンスがひとつだけ残してくれと頼んだ、母の形見だ。 この真冬に少し早い時期と、秋の深い嵐の時期とに二度死んだ、ボクらの母さんの大切な思い出を、少しでも象徴するようなものをなにかひとつ。 お墓と裏庭に置いていく母さんの、墓石代わりの品物をひとつ。 アルフォンスはそっとブーケの横へと広げた清潔なハンカチの上へ櫛を置いた。 「この季節はあんまりいい花がないよね。高いし」 「仕方ねーだろ、冬だ」 「でも、あのお姉さん、一生懸命可愛く作ってくれたよ」 ほら見て兄さん、と呼ぶ声に誘われて身を起こしたエドワードはブーケを覗き込む。 「お、ほんとだ。母さんが好きそうだな」 「押し花には出来ないけどね」 「ドライフラワーってどうやって作るんだっけ。母さんとお前で作ってなかったか」 「風通しのいい日陰にしばらく吊しておかなきゃいけないから、ボクらには無理だよ。発つときにここの女将さんにあげて行こうか」 エドワードが呆れたような顔をした。 「お前ほんっと女好きだよな」 「人聞きの悪いこと言わないでよ」 「確かに結構若いし綺麗なひとだとは思うけど」 「………兄さんが女の人を褒めるの、珍しくない?」 「そうか?」 アルフォンスはうん、と頷いて椅子へと座り、頬杖を突いた。ふわりと曇っていた鎧の表面から、つう、と水滴が落ちる。 「あーほら! 拭いてやるからこっちこい!」 「あ、ごめんね。って、兄さんが先! 機械鎧、中が結露しちゃったら手入れが大変だから!」 「一緒にやれば問題ねーだろ」 ベッドの上へ開きっぱなしで置いてあったトランクからタオルを出して絨毯の上へどっかりと座った兄の向かいへ座り込み、タオルを受け取ってアルフォンスは投げ出されている兄の足を、ズボンを捲り上げて拭いた。兄は動くなよ、と文句を言いながらアルフォンスを拭いている。がぽりと兜が外された。 「頭外さないでよ兄さん」 「お前中も湿ってる」 「嘘ー」 「ほんと。バラして拭くからな」 「……面倒だなー」 「仕方ねーだろ、こんな日に出歩いたお前が悪い。明日にしろっつったのに」 「だってどうしても今日中にお花欲しかったんだもん……」 「去年も一昨年も花買えるようにとこに着くの間に合わなくて、二日も三日も後にやってたろ」 「せっかく今年は間に合ったんだもん」 母さんの一度目の命日に。 天国から引きずり下ろしてしまったあの日ではなく、病に倒れた母が死んだ、木枯らしの吹く数年前の今日に。 「ま、気持ちは解る。だから黙って拭かれてろ」 はあい、と不満げに返事を返し、アルフォンスはふと気付いた。 そういえばここの女将さんて、ちょっと母さんに似てるよね。 長いブルネットとか、優しげなカーブを描くちょっとふっくらした白いほっぺたとか、丸い眼とか、撫でた肩とか。瞳の色は母さんのほうが明るい緑だったけど。 「兄さんてマザコン」 「はあ? 突然なんだよ」 「ボクも相当マザコンだけど」 「だからなんだっつーの」 「べーつーにー」 「………可愛くねえな」 「可愛くなくて結構です」 「むかつくぞお前」 ふふ、と笑ってアルフォンスは胸当てを開いている兄に嵌め直してもらった頭を傾げた。 「兄さん」 「んー?」 腹の中へ頭を突っ込んで拭いている兄の声が近い。殷々と響くその声がなんだか今の自分と同じもののような気がして、アルフォンスは不思議と安堵した。 「仲良く行こうね」 「仲良いだろ、既に」 「ケンカしても仲直りしようね」 「………取り成してくれるひとがいねーからな」 「もー、揚げ足ばっかり取るんだから」 「今日のお前が変なんだよ」 ごん、と背の内側が軽く叩かれ、エドワードが血印へと顔を寄せた。 「解り切ったことばっか言って」 囁く声は息を混ぜてアルフォンスの虚ろな体内へと響く。 「……母さんに聞かせてあげたいなあって思って」 「非科学的だ」 「気分の問題だよ。兄さん情緒なさ過ぎ」 「そんなもん腹の足しにもならねェ」 くっく、と笑う兄にくすくすと笑い返して、アルフォンスは半ば以上自分の中へと身体を突っ込んでいるエドワードの足を引っ張った。 「うわ、こら、引っ張るなって、アル!」 「早く出てよー」 「まだ拭き終わんねぇから!」 じゃら、と鎖帷子が鳴る。 「………兄さん」 「なんだよ」 アルフォンスはうっすらと笑う。声は無く、兄にはその微笑みは伝わらない。 もう一度なんだよ、と返す兄の声が殷々と響いてまるで自分と似たもののような気がして、アルフォンスは少し嬉しかった。 「呼んでみただけ」 「………やっぱ変だぞ、お前」 熱でもあんのか、と冗談めかして言う兄に答えず笑って、アルフォンスは首を巡らせ窓の外を見た。 雪が降り始めていた。 |
■2004/6/27 センチメンタルアルフォンス。
兄弟はお母さんの命日とか全然頓着していないというか原作では出て来ませんが、どう考えているんだろうなあ。
しかしあまりに暑い日が続くので涼しい話を書いてやる! と考えた話だったんですが、書いた今日は涼しいのです。…単に時期外れなだけの話になりました。あ、もちろん命日が冬ってのは捏造です。あとタイトルも明らかに捏造です。英語で統一するとmother's boyにしなきゃいけなくて、語呂が悪いなと。
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