「じゃあ約束しろ。弟には手を出さないと」
ボクは本当に本当にショックだった。兄さんがあっさり命を捨てようとしたことにも、それがボクのためだと信じているということにも。
狙われているのは兄さんだ。ボクをおいて逃げたってあいつがボクを殺したかどうかはわからないし、大体あいつにボクを殺す方法が理解出来たかどうかも解らない。
血印に気付いて壊そうとしなければ、血印さえ欠けずに残ることがあれば、たとえちいさな鉄の板一枚になったってボクは生きてる。魂が有ることだけを生きている、と指すならば。
兄さんさえ生きていれば、ボクはまた身体を造ってもらって自由に走り回ることができる。
けれどあのときもし大佐たちが間に合ってくれなかったら、ボクの目の前で兄さんが死んでしまったとしたら、ボクはあの壊れた泣くことも出来ない身体のままで永遠にいなければいけなくなったはずだ。兄さん以外の誰も、ボクを直すことはできないんだから。そういう風に造ったのは兄さんなんだから。
そうなったら多分、ボクはリゼンブールへ送られて、ウィンリィとばっちゃんとデンと一緒に過ごすことになったと思う。
動けない身体で食べることも眠ることも必要にならないボクでも、ロックベル家のひとたちは最初は相手をしてくれると思うよ。
でも、ウィンリィがお嫁に行ったら?
ばっちゃんが死んでしまったら?
誰か話相手に来てくれるかもしれないね、最初は。
ばっちゃんやウィンリィは、ボクの側を去る前に壊れた身体をちょっとでも修理してくれるかもしれないね。それでボクはちょっとは動けるようになるかもしれないね。
ああでも、それで? だから?
駆け回ることなんかきっと出来ない。今以上に不格好な姿で一人で旅は出来ない。
生きるための世話をしなくていい相手なんだから、そのうち誰も僕を訪ねてこなくなる。
ボクはみんなに忘れられてしまう。
兄さん。
それでもボクは生きてるの?
ただ魂があるだけの置き物になって。
それでボクは生きてるの?
うん、解ってる。生きてるんだ。
それでもボクは生きている。
ボクに意識がある以上、少なくともボクは自分が生きていることを信じてる。
でも、だからこそ。
ボクの人間の尊厳はずたずたになる。
ねえ兄さん。
そういうこと、あのとき、解っていたのかな?
兄さんはとても頭のいいひとなのに、ときどき理想に殉じようとすることがある。
ボクにはそれがとても不安で心配で───正直に言うね、ちょっと、不満だ。
兄さんはボクのために頑張ることが美しいと思っているんでしょう。兄さんのそれが美意識なんでしょう。
ボクもね、ずっとそれはいいことなんだと思ってたんだ。アームストロング少佐が泣いてたでしょ、愛だって。ボクのために命を捨てる覚悟で魂を錬成したことが美しいって。
ボクも美しいと思うよ。美談ってやつだよね。あ、やだな、怒んないでね、嫌味じゃないんだ。
ほんとに凄いと思ってるんだ。奇跡っていうのはあるんだなって。奇跡という名前の偶然で、世界はとても美しく物語を紡いでく。
だってあのとき残ったのがもしボクだったとしたら、ボクは多分、兄さんの魂を造ってあげることなんか出来なかったんだ。ボクにはそんな力はないもの。
それだと、ほら。ただの悲劇だよね。
スカウトに来たマスタング……あのときは中佐だったっけ、中佐に改めて誘われることもなかっただろうし、機械鎧を付けることもなかった。めそめそして今もリゼンブールにいたよ。多分ね。
だからね、ボクは兄さんの決断力がとても眩しくて、凄いなって、ずっとずっとそう思っていたんだ。うん、ずっとね。ほんとは子供のときからずっと。
母さんを錬成しようって言われたときも、ボクじゃ怖くてそんなことは考えつかないなって。やっぱり兄さんは凄いって。兄さんがいれば、ボクらふたりで母さんを生き返らせてあげられるって。
スッゴクいい考えだと思ったんだ。
兄さんは、勘違いしてるみたいだけどね。ボク、嫌なら止めてたよ、ちゃんと。
あれは兄さんのせいじゃない。ボクらふたりのせいなんだ。兄さんだけのせいじゃない。ボクがこんな身体になったのは兄さんのせいじゃなくて、自業自得。兄さんの左足が自業自得なようにね。
右腕は、ボクのせいだけど。
ねえ、兄さん。兄さんはボクがいなくなったらどうするんだろう。
兄さんの右腕を貰っちゃったままこんなことするの、凄く心苦しいんだけど。でもね、あのとき。
兄さんがボクのために殺されそうになったとき。
あのときから、ちょっとずつ「あれ?」って思ってたんだ。
兄さんの決断力って、ねえ、もしかして。
それって、兄さんのためのものなんだよね?
ボクを大事にしてくれていることは凄くよく解るよ。その気持ちが嘘だなんて言うつもりなんかない。ボクだって兄さんが大事だもん。
だけど、兄さんはボクを大事にするのとおんなじくらい、兄さんの美意識を大切にしているんだよね?
違うなんて言わないでね。ボクはそう思うんだ。どうして、って言われても困るよ。だってそう思っちゃったんだもん。
それにそれは別に悪いことじゃないよ。ボクにだってそういう気持ちはある。マルコーさんのところで賢者の石を奪わなかったとき、ボクもそれでいいって思ったもん。
他のひとを不幸にしてまで幸せになりたいとは思わなかったもん。
だけど、ボクは、元の身体に戻るためなら、
なり振り構わず縋り付くことなんかどうも思わないんだよ、兄さん。
何のこと言いたいのか、解った?
兄さん。
兄さんはとても頭がいいひとなのに、どうして先を見越して今踏み止まることが出来ないんだろう。
どうしていつでも走ってしまうんだろう。
そこが、ちょっと心配だ。
無理しないでね。
ちゃんとご飯食べて。夜は眠るんだよ。根詰め過ぎるとよくないよ。
だってほら、もう元に戻る方法は無理に探さなくていいんだから。兄さんの手足、ウィンリィならきっと一生見てくれるよ。
なんならウィンリィと結婚しちゃえばいいよ。
ねえ、だからね、兄さん。
元気でいてね。
ボクがいなくても。
兄さんが幸せであればいいと思ってる。ほんとだよ。ボク、兄さんが大好きなんだ。
目的を果たしたら、一度は必ず帰ってくるから、探さなくていいからね。あ、でもそのとき、もしかすると兄さんの手足も戻してあげられるかもしれないね。
でも、兄さんが怒ってたら、もう顔もみたくないってそう言うんだったら、ボク、もう二度と顔見せないから。
ねえ、兄さん。
元気で。
さよなら。
次に会うときは、きっと生身の身体だよ。
だってあの輪っかの蛇は、
まだ何匹もいたはずなんだ。
あの、強欲なひとの他にも。