がしゃがしゃとやかましい足音を立ててずんずんと脇目も振らず真直ぐに歩いて行く鎧の背を見ながら、ロイはコートのポケットに手を突っ込んだまま軍靴で石畳を鳴らしこちらもやかましく歩いた。
 兜の総飾りが足早に歩く振動と風で呑気に棚引きその腹からはにゃーん、なーんと可愛らしい猫の声が響くのに、鈍色の広い背中は憤りに曇り彼の周囲だけ明度が低い錯覚を覚える。
 ロイに気付いて手を振ってくるカフェの給仕に微笑みを投げやあ大佐、と親し気に声を掛ける露天のおばちゃんに手を上げてロイはそれでも足を止めずに大股で鎧の後を付いて歩いた。
 
 鎧との距離は10メートル。連れと言うには遠く、しかし顔見知りでなおかつロイは明確に彼の後を追っているわけだから、連れと言えば連れかもしれない。一方的で、恐らく鎧の少年にしてみれば酷く不本意な道連れだが。
 
 程なくして通りを抜ける。
 どこまでも続く道などというものは存在せず、ここが町中である以上は通りの終わりは存外直ぐで、前を行く少年は少しみすぼらしくなり始めた建物の間の鋪装されない土の道をざくざくがしゃがしゃと変わらぬ足取りで歩く。ロイはほんの少し足を速めて、少年との距離を10メートルから5メートルへと縮めた。
 
 このままいけば後は墓地で、それを抜ければスラムが広がる。
 
 それを知らぬ少年の足は緩まない(彼がこの街へと来たときは、駅と司令部とその間にある宿と図書館と市場にしか用がないのだから当然だ)。
 墓地を半分過ぎたところでロイは再び足を速めて少年の横へ並び、墓地の終わりでその鉄の腕を掴んだ。
 
「ここから先は行ってはいけない」
 
 鎧の少年は足を止め、間を置いてがしゃん、とロイを見下ろした。
「ほっといてください」
「そうも行かない」
「猫の飼い主を探さなくちゃ」
「ここから先の住人にまともに動物を飼う余裕があるとは思えない」
「だってそうしないと兄さんが!」
 むくれたような声を出した少年をロイは真面目な顔で見上げた。
「よく周りを見なさい。ここがどういう場所への入り口なのか、君にだって解るだろう」
 訝し気にロイを見つめ、少年はしぶしぶといった様子で周囲を見回して静かになった。かしゃ、と微かに音を立て、彼の僅かに怒っていた肩が落ちる。
「スラム、なんですか」
「ああ」
「……………。………すみませんでした」
「何を謝る必要があるんだね」
 猫を捨てろ、捨てない、と兄と大喧嘩をして司令部を飛び出した少年はそれからずっと怒っていたのだけれど、ここに来て初めてしゅんとうなだれ腹を押さえた。みゃあん、と小さな声が反響する。
「………どうしよう」
 ロイはふと頬を緩めた。
「まず、帰ろう」
「……でも」
「雲行きも怪しくなってきた。このまま雨に打たれては猫が凍えてしまう」
 少年は表情の変わらぬはずのその面にしょんぼりとした色を浮かべ、かしゃんと小さく頷いた。
 
 
 
 
 
「それで、どうして喧嘩になったんだね」
 いつものこと、と片付けるのは簡単だが、一応理由を尋ねたロイに腕を引かれながら、やもすれば足を止めそうになる少年は渋々と言った様子でぽつりぽつりと話し出した。
「……昨日、雨だったでしょう? ボク、兄さんが司令部に出掛けてる間に買い出ししようと思って商店街に出てたんだけど、そのときこの子たちが雨に打たれてるの見付けて……」
「ああ、可哀想になったわけだ」
 少年はこくんと頷き、それから慌てて弁解するように続けた。
「だって、この季節の雨って凄く冷たいし、元気そうだったけどまだ子猫だったからあのままじゃ風邪引いちゃったろうし、近くに親猫はいないみたいだったし……」
「だが、その猫たちを連れて旅は出来まい?」
「だから飼い主を捜してるんです!」
 少年は憤りも露わなまるで唇を尖らせてでもいるような拗ねた声で抗議した。
「最初っからそのつもりだったんだ。一晩だけあったかいとこで身体を乾かしてあげて、飼い主見つけようってそう思ってたんだ。ボクだって旅しながら動物が飼えないなんてことは解ってるのに、なのに兄さんてば」
 
 頭ごなしに捨てて来いの一点張りで。
 
 ロイは立ち止まってしまった少年の腕を引く。
「解ったから止まるんじゃない、本当に降って来るぞ。君は猫が風邪を引くのは可哀想でも、私が風邪を引くのは構わないのかね」
「え、あ、そんなことは」
 すみませんっ、と慌てて歩き出した少年にくつくつと喉を鳴らして笑い、ロイは腕から冷えた手を離してコートのポケットへと突っ込んだ。ふと見上げると僅かに首を傾げた少年が見下ろしている。
「……どうかしたか」
「あ、いえ……」
 ぱちり、と瞬くロイから首を捻りながら眼を逸らし、少年は黒い雲の掛かる空を見上げた。湿気を含んだ冷たい風が、少年の兜の房飾りをするすると靡かせる。
 不思議そうに見上げているロイに堪りかねたのか、少年はしばしの沈黙の後にふと言葉を継いだ。
「………いつもの兄さんならあんな風には言わないのに、どうして」
 ぽつんと洩らされたその疑問にロイは目を細め、少年から視線を外して真っ直ぐに続く路地の先を見つめた。
「君の兄は以前こう言っていたよ。自分の弟は決して可愛いからという理由で猫や犬を拾うのではない、と」
 自ら逞しく生きている野良に手を伸ばすことはしないのだと。
 ただ、酷く弱った子猫や病を患う老犬を、そのままでは助かる見込みのない者を、誰の体温にくるまれるでもなくただ冷たくなって行くしかない弱く小さな生き物を、悪意のない慈悲で拾い上げてくるのだと。
 
 アルフォンスは愚かしいほどに底抜けの慈悲を持っていて、それを捨て去ることをしない。
 
「誇らしげにね、そう言っていた」
 少し驚いたように見下ろした少年が、眼窩の赤い光を緩く明滅させている。ロイは見ようによっては皮肉にも思える笑みを薄く口元に掃いて、少年の鉄の腕を軽く叩いた。
「君が元気な猫を拾って来たのが気に食わなかったんじゃないのか。離してやっても勝手に元気に生きるだろうと、そう言うことなんだろう」
「───でも、まだこんなにちっちゃいし最近雨も多いし、そろそろ冬だし……」
「生き物というものは割に逞しいものだよ、アルフォンス君。それに子猫子猫というが、もう独り立ちは済んでいるんじゃないのか。若くはあるがもう立派に大人だよ、その猫たちは」
 少年の腹の中で二匹の若い猫が時折鳴く。少年はその腹を両手で押さえ、じっと見つめて何か考えている様子だ。
 ロイは再び立ち止まってしまった少年を見つめ、今度は何も言わずにじっと待った。ぽつん、と大粒の、冷たい雨が頬を打つ。
 兜を打つその雨粒の振動に気付いたのか、空を見上げた少年はゆるゆるとかぶりを振った。
「……あの、大佐」
「なにかね」
「…………。……市場に放しちゃ、迷惑ですか」
「大丈夫だろう。ウエストマーケットなら野良猫の溜まり場だ」
「溜まり場ならもう縄張りが決まってるんじゃ」
「その猫はどこで拾ったんだね」
「広場の近くの商店街の……」
「ではその辺りに放してやればいい。その辺りが縄張りなのだろうから」
 兜を鳴らしながら小さく頷いて、少年は少し肩を竦めるようにしてみるみる雨に濡れて行くロイを見つめた。
「うん、そうします。……でも、あの、今日は──今は、この雨が止むまでは」
 ロイは瞳を糸のように細めて笑い、少年の冷えた腕を再び取る。
「おいで。司令部より私の家が近い。雨宿りをしよう」
「え、でも大佐、仕事は」
「大丈夫だ」
「中尉が怒ってるんじゃ」
「大丈夫、もう上がりだったんだ。君たちが来るというから待っていただけで」
「………じゃ、兄さんが待っているんじゃ」
「待たせておけばいいさ」
「待たせてって」
「君の言い分を聞きもせずに頭ごなしに怒鳴る兄など、少し心配させるくらいでちょうどいい」
 そうだろう、と笑ったロイにそんなことは、と狼狽えた声を出した少年が、本当は兄の待つ司令部に飛んで帰って謝りたいと考えていることなど人の悪い大人には筒抜けだ。
 だが大人は敢えてそれは指摘せずに、もう一度笑って眼に入ろうとしていた雨粒を睫で弾き指で拭い、コートの襟を立てて少年の腕を引き、強引に歩き出す。不本意そうな少年はそれでもこの雨の冷たさを思うのか、ロイの手を振り払うこともせずに付いて来た。
「………大佐」
「なにかね」
 かしゃ、と少年が肩を竦めた音がした。
「風邪、引かないでくださいね」
「そうしたら君が看病してくれ」
 肩越しに見上げた少年はいつものように小さく首を傾げている。ロイはふと人の悪い笑みを浮かべた。
「君のお陰で風邪を引いたならそれが筋だろう?」
 ぽかんと見つめた少年に冗談だ、と笑ってロイは腕に手を滑らせ、その大きな鎧の掌を掴んでまるで小さな子供にするようにその手を引いて歩く。
 大佐、と恥ずかしそうに小さく呼んだ少年は、それでもその手を振り払うことはしなかった。
 
 古い毛布が詰め込まれた少年の腹の中で、二匹の猫がなあん、と鳴いた。
 
 
 
 
 
 冷たい雨は兄弟が東部を去っても居残った。
 ロイは広場を横切り、酒場すら店じまいを済ませた深夜の商店街を足早に横切る。吐く息が白く、霧雨は傘を抜けて風に乗りコートを濡らして身体を冷やす。
 ふと、猫の鳴き声を聞いた気がしてロイは足を止めた。先日鎧の少年と共に猫を放した路地のすぐ側だ。
 あの猫たちだろうか、と考えて、ロイは何気なく路地を覗いた。もぞもぞと動く、小さな影。
 逃げもしないその影に近付くと、ふと上げた顔の中、茶色の瞳がきらりと光る。妙に人懐こく見上げてくるその虎縞には見覚えがあった。やはりあの日放した猫だ。
 この辺りが縄張りだったんだな、と考えながら、ロイはもうひとつの蹲ったまま動かない影を覗き込んだ。そっと差し出しその背を撫でた手に、虎縞が額を擦り付ける。
 ロイは虎縞の顎を掴むようにしてくすぐってやりながら、左手ですっかり冷たくボロ布のように湿った若い猫を拾い上げた。ぐにゃりと掌に乗る身体は脱力しきっていて、もはや命の欠片もない。
 あの子が東部を去ってからで良かった、と小さく息を吐き、ロイはごろごろと喉を鳴らす虎縞を見下ろした。
 
 せめて、この猫だけでも。
 
 右手で掬い上げると驚いた虎縞がコートと手首に爪を立てた。それに眉を顰めることもなく腕に抱いて立ち上がり、肩に引っ掛けた傘が落ちてしまわないよう揺すり上げたとき、驚くほど鋭く汽笛が響いた。びくんと震えた腕の中の猫は、あっと言う間もなくロイの腕から飛び降り足下をすり抜けて広場へと躍り出た。傘が落ちる。
 傘を残したまま二歩引き返し広場を覗くと、どこへ隠れたものか虎縞の姿はもう見えなかった。
 ロイはしばらく街灯に濡れた路面を光らせる広場を見ていたが、やがて引き返して傘を拾い、ふと左腕に抱いていた灰色の猫の死体を見つめた。顔を上げた先にゴミ箱。
 僅かに思案し、ひとつかぶりを振ってロイは死体を抱え直して路地を出た。
 
(灰色のほうは縄張りを変えたようで、東の住宅街で似たヤツを見掛けたよ)
(もしかしたら誰かに拾われたのかもしれないな)
 
 そんな下手な言い訳を考えながら、ロイは寄り道をするために深夜の公園へと足を向けた。
 春には花を付ける木の下に埋めてやろう、と考えて、その感傷に小さく笑う。
 
 これは、自らの意思ではない。
 ただ、あの鎧の少年ならばきっとそうするだろうと思うから。
 
 秋の雨は冷たく濡れた猫を抱く腕を胸を冷やし、今風邪を引いても看病してくれるひとはいないな、と考えて、ロイは薄く笑った。

 
 
 
 
 

■2004/11/9

暗い話になってしまった……あれ?
アルを見守る大佐とそれに全然気が付いていないアル。に見せ掛けて実は大佐はアルが大人になるのをじっと待っているだけのよくない大人なのかもしれない。(おい)

あ、これは大人の欺瞞と勝手な(子供に対する)感傷の話です。(タイトル意味説明)(解りにくいです)

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