その手の本に出て来る女のように喧しく喘いだり嬌声を上げたりすることなんか全然ない。それどころか睦言を囁くことすらしてくれない。
 ただ水の中のやわらかな生き物のように緩慢に動き静かに息をして、それが深い吐息になったりふっと詰められたりするその瞬間が、そりゃあもうぞくぞくするほど色っぽいのだ。確実に直撃だ(何に)。
 そんでもって変声期などとっくの昔に終えた低い掠れ声で、緩く背に手を回して「鋼の」なんて呼ぶもんだから、くらくらするのを必死に堪えて「こんなときくらい名前で呼べよ」と言ったんだ。
 
 そしたら。
 
 
 
 
 
 
 
「笑いやがったんだぞアイツ! しかもくすくすなんて可愛いもんじゃねェ! 爆笑だ爆笑ッ! 突っ込んでる最中に大ウケされて嬉しい男がいるかッ!?」
 
 突っ込むとか言うなバカ兄。
 
 アルフォンスは「ふーん」と可能な限り興味なさげに冷たく相槌を打ってみたが、今夜は恋人の家へ泊まるとうきうきと出て行ったはずなのに夜半に足音荒く帰って来た兄は、そんな弟の冷たい反応にも気付かずまだ喧しく喚いている。
「それで怒って、止めて帰ってきちゃったんだ?」
 仕方なくそう訊ねてみると、エドワードは「いや?」ときょとんとした眼で弟を見上げた。
「最後までしてからだけど。途中で止めたら辛いだろ、オレが」
「……………。………そうですか」
 弟にセクハラして何が楽しいのだ。
 アルフォンスの内心もお構いなしに、セクハラ兄はまだぶちぶちと怒っている。
「でもその後もさあ、アイツ最後まで笑いっぱなしでさあ。なんで笑いながらイけるんだよ。どっかおかしいんじゃないか? 病気かな」
 いやアンタの頭が病気だよ。
 もちろん心優しい弟はそんな本音は口にしない。心で思うだけだ。
「でもいいじゃない」
「なにが」
 アルフォンスはがしゃり、と可愛らしく首を傾げた。兄がこの角度に滅法弱いことは充分に理解した上だ。案の定、怒りに燃えていた(こんなことで激怒しないで欲しいんだけど)エドワードの眼が僅かに和む。実はこの兄、可愛いものに目がない上に弟にも目がない。
「笑ってくれるってことは楽しいと思ってくれたわけでしょ?」
「楽しがられて嬉しいか!?」
「兄さんは嫌がられたほうが嬉しいの?」
「………オレは変態じゃないぞ弟よ」
「うん、解ってる」
 奇特なだけだよね、とは胸のうち。
「だからさ、その………そ、そういうときっていうのは(14歳に何言わせるんだよこのバカ兄!)やっぱり無防備なわけじゃない? 心を許しているひとと、ていうか、好きなひととしかしないわけでしょ? そんなときに笑ってくれるっていうことは、ほんとに心を許してくれてるってことなんじゃない?」
 エドワードはふっと大人びた笑みを浮かべた。アルフォンスが生身であったなら確実に青筋が立ったであろうそのムカツク表情。
「お前ほんとにそういうとこ子供だよなあ」
「………ほんとに子供なんだからしょーがないでしょ! 何か異存があるわけ」
「うーん、別に好きじゃなくても出来るもんなんだよ、ああいうのは。女はどうか知らないけどさ」
 アルフォンスは心持ち半眼になった。搾られた視界で兄はわずかに困ったような、潔癖な弟を宥めるようなそんな顔をしている。
「………兄さん、大佐のこと好きじゃないの」
「好きだけど、大事じゃねぇよ。お前のが大事」
「だって……恋人なんでしょ?」
 エドワードはくっく、と笑ってブーツを脱ぎ捨て、ベッドに転がった。
「恋人なんかと比べ物にならないくらいお前が大事」
「………解んないよ。ボクなら、恋しいひとなら誰より大切だと思うけど」
「いいよ、お前はそれで。でもオレはお前が大事」
 アルフォンスは揃えた膝の上に手を置き、肩を縮めるようにして俯いた。
「………大佐が可哀相だよ、それじゃ」
「そんなことねェよ。アイツはアイツで大事なものがあるだろ。アイツはオレのことなんか大事じゃない。中尉たちのほうがよっぽど大事がられてるだろ。多分、部下のためなら平気でオレを消し炭にするよ」
「まさか」
「いや、本当に。そういう男だよ」
 
 伶俐でシニカルな笑みの下に、ゆったりと流れるマグマを飼う男。
 どうしたって手が届かないくらい大人の、熱く滾る焔を易々と飼い馴らす男。
 焔は完全に彼の支配下にあって、彼はそれをけしかけることを躊躇わない。
 後悔をしない。
 自分とは、違う。
 
(だからどうしてそういうことを口に出して弟に言うかな)
 どこから聞いても惚気だそれは。
 うっとりと(気持ち悪いよ兄さん)どこかを見つめて呟くエドワードはまだ何か言っているが、アルフォンスは両手で耳のあたりを押さえて気分だけでもその声を遮断してみた(実際はまる聞こえなんだけど。男への恋心なんて聞かされても困るよ兄さん)。
 アルフォンスは溜息を吐く肺と口がないことを残念に思った。盛大に呆れた息を吐いてやりたいところだというのに。
「おい、話してんだから聞けよアルフォンス」
「聞こえてるよ」
「その耳塞いでる手は何」
「なんでもないよ。ちょっとこういうポーズ取りたくなったの」
 ぷい、と顔を背けて見せると兄は「なんだよう」と不満げな声を上げたが、特にそれ以上言い募ることもなくふわあ、と大きく欠伸をして服を脱ぎ散らかした。横目でそれを見たアルフォンスは思わずぎょっとする。
 
 半裸のその首筋や胸に散らばる跡がどういうものなのか、特に詳しいわけでもないがアルフォンスにだってさすがに解る(どうやって付けるのかはよく知らないけど)。生身の左肩に残るのは噛み付かれた跡の気がする(よく見えないけど)。
 いやそれよりなにより。
 ほつれた三つ編みが首筋や背に貼り付いている。汗で貼り付きそのまんま、と言った様子だ。
 まあ運動した後のようなものなんだから(自分で言ってて悲しくなってきたよボク)仕方がないのだろうけど、つまり、それは、そういうことで。
 
「あのさ兄さん」
 平べったい声を出したアルフォンスに、「んあー?」と眠そうな声で返事をしながらエドワードは毛布へと潜り込もうとしている。
「ボク、鎧だからニオイとか全然解んないんだけどね」
「おー」
「………あのね、兄さん、凄く、………えーと、汗臭いんじゃないかと思うんだけど」
「そっかあ?」
 兄はくんくんと自分を嗅ぎ、僅かに片眉を上げた。しかしそれは一瞬のことで。
「別に臭くねーよ」
「自分じゃ解んないだけだよきっと。てゆーか、兄さんお風呂入ってないんじゃないのもしかして」
「入ってねーよ。腹立ったからすぐ帰ってきたもん」
 ああ鎧でよかった。生身だったら多分今ボクの頭の血管がキれてた。
「前から思ってたけど、兄さんてほんとデリカシーないよね!」
「あぁ? 何怒ってんだよ。お前はニオイ解んねーんだからいいじゃん」
「そういう問題じゃないでしょ!? はやくシャワー浴びておいでよ!」
「いいよ、もう眠……」
「いーから早く行けッ! このセクハラ兄ーッ!!」
 ベッドから引きずり出され放り出されて床に転がり、何すんだ、と飛び起きたところへ止めとばかりにタオルと着替えと石鹸が投げ付けられた。
「なんでそんなに風呂入れたいんだよー」
「うっさい言わすなバカ!!」
「うぉッ!?」
 追い討ちで投げ付けられたチョークに見事に額を打たれ、続いて分厚い角を金属で補強された辞典が飛んで来るのを慌てて避け、エドワードはバスルームへと飛び込んだ。背中で扉を押さえてはあ、と息を吐き、くんくんと自分を嗅ぐ。
 
「あー………いいじゃねぇかよ、香水のニオイくらい」
 女物じゃねぇんだし。
 
 アルフォンス君てばほんとヤキモチ焼きで困ったもんだわー、などとへらりと笑い、エドワードは下着を脱ぎ捨ててシャワーコックを捻った。
「あーあ、いい夢見れると思ったのになあ」
 鼻歌混じりのエドワードの声は水音に紛れてアルフォンスには届かない。

 
 
 
 
 

■2004/5/22

アルフォンス君はイカ臭いとか言えない。←恥じらえよ

斎賀千剣ちゃんの残留熱保管庫にてBoys,be ambitious!! がUPされています。ロイエドの方なのに甘露を気に入って下さって(ロイエド前提)エドロイにチャレンジしてくださったのですよー!(うひひ)
作品タイトルから直接作品に飛べますので、是非v
うちに負けず劣らず気の毒なアルが存在します(そこかよ)

 
>>> 残留熱保管庫からいらっしゃったお客さまへ
ロイエドなどほとんど存在せずそれどころか実はエドロイサイトですらないサイトですみません…。「へびが囁く」はアル至上主義アル受エド攻サイトです。メインは一応エドアルですがエドロイその他の無節操サイトでもあります。もしお気に召されましたら、どうぞごゆるりとご覧下さいませv

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