テーブルに、何かを隠すように置いた両腕の合間にその男は何か囁きかけて微笑んだ。 その男が目に止まったのは単に珍しかった、それだけのことである。何が、と言えば何もかも、と答えよう。 深くくすんだ赤の外套も、その背に抜かれた錬金術師を彷彿とさせる不思議な紋様も、長く伸ばした髪も、ぼろぼろのトランクも、何よりその金の瞳も。 私はそっと席を立ち、男の斜向かいへと移動して座った。くすくす、と小さな笑い声が聞こえる。店のざわめきに隠れそれはほとんど人の耳に入ることはないが、もし注視する者があれば、気が触れているものと思うだろう。 実際、私もそう思っていた。 きゃらきゃらと高い、子供の笑い声が男の忍び笑いに混じるのを聞く、までは。 杯を傾けるふりをしながらちらりと視線を向ける。帽子を被ったままでいたのは幸いだった。広い鍔が私の視線を隠してくれる。 男の腕の合間には、小さなブリキの人形が座っていた。男はそれに語り掛け、まるで人形からの返事を聞くように微笑みながら少し黙り、それから再びくすくすと笑う。私は人形を注視した。 ほんの、僅かに。 ブリキのその腕が持ち上がり、男の差し出した指を、 ───掴んだ。 ごん、と、下ろした杯が思い掛けず強い音を立てた。男がふっと顔を上げて私を見つめる。ブリキの人形は男の指に手を乗せたままぴたりと固まった。今このとき男を見たのなら、人形の小さな手をすくって手遊びをしているだけに見えただろう。 男は凛々しく端正な顔立ちをしていた。 二十代後半か、三十代前半、と言ったところだろうか。広い顎を持ちはっきりと筋の通った太い鼻は真っ直ぐで、鋭すぎる険のある金眼は眦がきつく吊り上がり、その視線はまるで形を持つかのごとく強烈で、左右に強く引かれた大きな口は意思の強さを示すようだ。 その視線に縫い止められ下ろした杯を上げることも目を逸らすことも出来ずにいた私に、凛々しく真っ直ぐな眉がほんの僅か緩み、微笑らしきものが掛けられた。 「よく、出来てるだろ?」 声質としてはそれほど低くもない声が、不思議と低音の響きを持って喧噪を縫い私に届いた。私はええまあ、と呟く。男の鼓膜を震わせたとは思い難かったが、男は相槌と理解したのかひとつ頷いて、人形をそっと掴んで私に向けて見せた。 人形の片手が、私に挨拶でもするかのごとくゆるりと上がる。 瞬いている私にくす、と笑い、男は人形に伏せた視線を落として手遊びをするようにその腕をちょい、と指で動かし親指で小さな鈍色の頭を擦り撫でた。 「オレの知人に機械鎧技師がいるんだけど、そいつが道楽でこういうものも造っててね」 「………発条仕掛けですか」 「いや、どうだろうな。仕組みは教えてくれないから。でも捻子を巻かなくてもいつまでも動くよ。───ほら、こうして」 男はテーブルの上に人形を立てた。バランスがいいのか二本の足で立った人形は、ほどなくしてく、と片足を突き出し、こつ、こつ、と数歩歩き、止まった。 男は自慢げな微笑を金の眼に閃かせる。 「な? ちょっとないだろう、こんなにバランスのいい自動人形ってのは」 「………ええ、そうですね。あまり玩具には詳しくないんですが」 癖なのか、どこか皮肉げに歪ませた唇でくく、と笑い、男は人形をうやうやしくコートの内へと仕舞い立ち上がった。 「お帰りですか。───どうです、奢りますからもう一杯くらい」 「いや、明日が早いんだ。もう宿へ戻って眠らないと」 「旅行ですか」 「いや、旅だよ。ちょっと探し物をしていてね」 「はあ、長い旅なんですか」 そうだな、と男は呟いた。 「もう随分と長いこと旅をしているな」 白手袋の手がテーブルの上へと硬貨を置き、テーブルから離れる。私は慌てて立ち上がって男を引き留めた。 「あ、あの」 「ん?」 「あの、もう少しその人形を、」 「………ああ」 僅かに思案して、男は懐に手を入れ人形を恭しい手付きで掴み出し、私へと差し出して見せた。私は礼を言ってそっと人形を受け取る。 ブリキだとばかり思っていた人形は意外にずしりと重く、どうやら材質は鉄のようだった。 酷く良く出来ている。 子供の顔立ちに造られた薄く微笑んだその表情は瞳の形まで彫り込まれ、髪の筋まで入れられている。細い手足は相当に人間に近いバランスで、これがどうしてテーブルに立つのかが解らない。確かに、男の知人だという機械鎧技師は相当の腕前を持つらしい。 ふと、人形の背に触れた指に違和感を感じた。 ずしりと重い人形だが、それでも中は空洞のようで薄く伸ばした鉄で形造られている印象なのに、その背だけがどことなく、分厚い。 否、背だけが細工がなく、ただ一枚の鉄の板のようで、それだけがこの人形の欠陥に思えた。もう少し、人間らしい背の曲線が入っていれば、もっと─── 「触るな!!」 人形をひっくり返し、背に指を滑らせ掛けた私の手から声を荒げた男が人形を奪い取った。 「………え? あの」 男は眦を吊り上げ唇を引いた先程の表情で、けれどその虹彩には明らかに怒気を燻らせて私を睨む。 「……いや、悪い。背中は開けるなと制作者からくどく言われてるもんでね」 壊れてしまうから、と言ったその口調はどことなく取り繕っているかのようだったが、私はああ、と言って頷いた。 「それは、すみませんでした」 「いや、こっちこそ。怒鳴ってしまって悪かった」 じゃあ、と言って男は私が何を言う間もなくくるりと背を向け、人形を大切そうに胸に抱えたまま、トランクを下げて足早に店を出て行った。私はそれを見送りのろのろと椅子へと座り、それから己の指を見る。 あの背の鉄は、他の部分と明らかに感触が違った。 ざらざらと傷が多くどことなく厚く、鋳造そのものが別であるかのような違和感が。 つまり、そこだけ古い、のだ、多分。 私は男の出て行った入り口を見遣り、再び指を見下ろして、ふと思い出していた。 あの男が笑ったその声に混じり響いた、きゃらきゃらと高い子供の笑い声は、一体。 あれが人形の声であったなどと、誰に言ったところで信じまい。 けれど私は何故か強く確信していた。 あれは人形の声なのだ。 人形に向けられた男の優しげな微笑が脳裏に蘇る。私を刺した強い金の瞳のその視線。 あの眼は人形を外敵から守るためのそれであったのだ、と、私は疑うでもなく思い何かは知らない男の探し物が早く見つかればいいのに、と考えながら杯を干し硬貨を置いて立ち上がった。 店の外は冷たく乾いた風が吹いていて男の影はどこにもなく、この町唯一の宿の本日の客は私だけで、あの金眼の男と人形の行方は知れず二度と会うこともなかった。 |
■2004/10/24 雑記SSにしようかどうか迷いました。というか未だに迷っている。
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