「兄さん兄さん。はい、あーん」 語尾にハートマークでも付きそうな甘い口調で言った弟は、可愛らしく首を傾げてスプーンを差し出しエドワードを見つめた。スプーンの上にはとろりと甘いアイスクリームが乗っている。 エドワードは鼻先に出されたスプーンを見つめて固まった。 「……………あ、アルフォンス君?」 「なあに?」 可愛らしいボーイソプラノで可愛らしい抑揚のその声は全長2メートル20センチの巨大な鋼鉄の鎧から響く。エドワードは常態とは違う弟の唐突な行動に付いて行けず、ぎぎぎ、と固まったままの首を無理矢理曲げてアルフォンスを見上げた。 「これはなに、かな?」 「アイスクリームだよ。見て解らない?」 「そうじゃなくてだな」 「そこのお店で落っこちそうだった看板直してあげたらお礼にくれたんだ。でもボク食べられないし、早く食べないと溶けるし」 だから兄さん。はい、あーん。 それでも恐ろしいものでも見るような目でスプーンを凝視している兄に焦れたのか、アルフォンスはぐっとエドワードの口許へと半分溶け掛けたアイスクリームを突き出した。スプーンの先で口を突かれそうになり、エドワードは反射的にぱくりとくわえる。閉じた唇の間をアイスクリームで冷えたスプーンがするりと抜けて行き、舌の上に冷たくて甘い氷菓子が残った。 「美味しい?」 無駄に可愛い仕種でがしゃ、と首を傾げて尋ねてくる弟に、エドワードは泣きたくなりつつ「うん」と頷く。 「………太陽が眩しいなあ」 「太陽が暗かったら困るじゃない。はい、もう一口どうぞー」 「わははははは」 良く考えろアルフォンス。 乾いた笑い声を上げながらエドワードは心の中で叫ぶ。 ここは広場だ。噴水前のベンチだ。公衆の面前だ。隣のベンチにはいちゃいちゃしているカップルが二組。 そんな連中に挟まれて、今のオレとお前は明らかに浮いているとは思わないか弟よ。 通行人の視線が痛い。兄ちゃん泣きそうだ。 「もう、何してんのさ、兄さん。溶けちゃうでしょ」 「………あのな、弟よ」 むっとした声で咎めたアルフォンスに、謂れのないお叱りを受けたエドワードは片手を上げた。 「そのアイスクリーム、オレが自分で食べるんじゃダメなのか」 「えー」 なにが不満だ弟よ。 普段ならどれだけ頼んだところで(たとえ風邪でぶっ倒れていたとしても)絶対にこんなことしてくれないくせに。 「………どーしても『あーん』ってやりたいのか?」 「うん」 素直にがっしゃんと頷いたアルフォンスに、エドワードはぎこちない笑顔を浮かべた口許を引き攣らせた。 「な、なんで?」 「だってボクがもらったんだもん」 「オレに喰わせてんじゃん」 「食べられないんだから仕方がないでしょ」 「だーかーらー、オレが自分で喰えばいいだろって」 「それじゃ兄さんにあげちゃうことになるじゃない。ヤだよ、もったいない」 「なにがもったいないんだ………」 いいからはい! と乱暴に突き出されたスプーンから溶けたアイスクリームが垂れそうになるのに慌てて、エドワードはぱくりとスプーンに食い付いた。そのまましっかり歯で噛み柄を機械鎧の右手で掴み、アルフォンスの手からもぎ取る。 「もー、なにすんだよー」 「こっちのセリフだバカ」 スプーンを右手に確保し、エドワードは左手をひらひらと振る。 「ほら、溶ける前に喰ってやるから、寄越せ」 「ヤだ」 「あそ。んじゃ溶けるだけだな。あーもったいない」 む、とアルフォンスがむくれたのが雰囲気で解った。 「………いじわる」 「どっちが!?」 明らかに苛めだ。なんかの罰ゲームかこれは。 拗ねているアルフォンスにはー、と溜息を吐き、エドワードは懐柔しようと重い口を開く。 「せめて宿に戻ってからとかさ……」 「溶けちゃうもん」 「は、恥ずかしくないか? こんな広場で兄貴に『あーん』なんつってモノ喰わせて」 「兄さんが思うほどみんな気にしないよ」 お前が思うよりは気にしてるよみんな。 畜生視線が痛い太陽が眩しいぜ、と半分自棄になりながら、エドワードはばし、と膝へ左手を置いて右手のスプーンをアルフォンスに差し出した。 「ほら!」 「いいの?」 「やりたいんだろ? さっさとしろ! 溶けるし恥ずかしいから!」 アルフォンスは嬉々として「うん!」と頷きスプーンを受け取り、大分緩み始めていたアイスクリームをすくってエドワードへと差し出した。 「はい、あーん」 「あーん」 投げ遺りに言ってエドワードはぱくりと冷たい夏の菓子を頬張る。ひんやりと冷たくみるみる溶ける甘い氷菓子を嚥下すると、そのタイミングを見計らっていたように次が差し出されている。 早過ぎず遅過ぎないその餌付けのような仕種に促されるまま次々にアイスクリームを胃に納め、エドワードは弟を見上げた。 「これでいーか? ごちそーさん」 「うん。美味しかった?」 「美味かった」 「本当?」 「嘘吐いてどうすんだよ。美味かったよ」 声を立てずにただスプーンと器を持つ両手をわずかに胸に引き寄せた仕種で、エドワードは弟がはにかむように、どこか安堵するように笑ったのを知る。今アルフォンスに肉体があったなら、この可愛らしい声と仕種の弟は頬を赤らめてにこにこと微笑んでいるのだろう。 「………どうした? なんか嬉しそうだな」 「だって嬉しいんだもん。また作ってあげるね」 「は?」 目を瞬かせたエドワードに、アルフォンスは照れるように肩を竦めて見せた。 「ボクが作ったんだよ、これ」 「…………は?」 「看板直してあげたお店にアイスクリーマ−があってね、面白かったから見せてもらってたら、作ってみないかって言われて」 アルフォンスはえへへ、と笑う。 「でもほら、ボク味見出来ないでしょう? 分量とかはちゃんとしてたから大丈夫だとは思ったんだけど」 「って、オレは実験台か?」 「違うよ−。初めて作ったアイスクリームだから兄さんにあげたかったの! でも不味かったら悪いなあって思って……」 ボクが作ったなんて言ったら、兄さん美味しくなくても食べちゃうでしょう? エドワードはぽかんと開けそうになった口をぐっと閉じた。思わず緩みそうになる頬に力を入れ、口許を片手で覆う。 「………お前、反則だ」 「え?」 「すっげー嬉しい。ああクソ可愛い。滅茶苦茶可愛いぞお前」 「ちょ、ちょっと、そんなこと大声で言わないで」 慌てたアルフォンスににやりと笑い、エドワードはベンチに片膝を立てて鎧の面へと顔を近付けた。 「オレだって恥ずかしかったんだぞ、お互い様だ。………愛してるよアル」 「うわなに言ってんのバカじゃないの兄さん!」 「冗談だと思ってんだろ、アル。冗談じゃないぞー、兄ちゃんは本気だ」 「ラムは抜いたのに! 酔っ払い!」 「誰が酔っ払いだ」 「じゃあ嫌がらせだ」 ヒドイや兄さん! と喚いて逃げようとするアルフォンスへと絡み、エドワードはにやにやと笑う。 「逃がすか! 仕返しだ」 「うわやっぱり嫌がらせだ!」 「愛があるからいいんだ」 「いくない!」 アルフォンスはしつこく絡み付く兄に痺れを切らし、えいっと掛け声を掛けてその小柄な身体を肩へと担ぎ上げた。エドワードが「うお!?」と奇声を上げる。 「おいこらアル! 下ろせ!」 「るっさいバカ兄! もー二度とアイスクリームなんか作ってやらない!」 「えー、また喰いたいなー」 「いーやーだー!」 兄を担いだままがしゃんがしゃんと慌てて走り、アルフォンスは宿へと向かう。肩の上の兄は壊れたような気味の悪い笑い声を上げている。 こうなっちゃったときの兄さんてもう何言ってもダメなんだよね。 「もう、恥ずかしいんだから」 「………公衆の面前で『あーん』のほうが恥ずかしいと思うんだが弟よ」 「愛があるからいいの!」 エドワードはげらげらと笑った。 「そりゃそうだ!」 「嫌味なんだから納得しないで!」 通行人の奇異の視線に晒されながらアルフォンスは宿を目指す。 肩の上の兄はまだ無気味な笑い声を上げている。 「アイスクリーマーの図面、図面屋に見に行こーな、アル。仕組みが解ったら錬成してやるから」 「もう作らないって言ったでしょ!」 「そんなこと言わずに作ってくれよ。アイスクリームなら牛乳入ってても食えるから」 「アイスクリームじゃ背は伸びないよ兄さん」 「…………それを言うな弟よ」 上下に揺れる肩の上で器用に身を捩り、エドワードはアルフォンスの首に腕を回して兜に頬を寄せ笑った。 「料理の練習しようぜ、アル」 「は?」 「オレが味見してやるから。上達したらオレに飯作ってくれ」 「目玉焼きくらいしか作れないよ?」 「オレだってそうだ。でも料理っつーのは科学実験に似てるらしいからな、結構面白いかもしれねーぞ」 「………それはそうかもしれないけど」 エドワードはくくく、と笑う。 「興味が出て来たろ?」 「…………なんだか騙された気分」 エドワードは喉を震わせて笑い、気のせいだ、と言ってアルフォンスの頭を抱き締めた。兜に小さな振動。 もう、兄さんてば恥ずかしいんだから。 この鎧を見下ろすほどの巨漢が周囲にいないことに安堵しつつ、アルフォンスはしつこく兜へ唇を降らせる兄を咎めるように肩を揺すった。上げる奇声に思わず笑う。 兄さんと一緒に、料理の練習。 上達したら他のひとにも食べてもらおう、と少しうきうきとして、アルフォンスは足を緩めた。 「………アール」 「なあに、兄さん」 「お前の手料理はオレが全部喰うんだからな!」 なんで考えていることが解るんだろうこのひと。 アルフォンスは答えず、ただ肩を揺すって更に念を押そうとする兄の口を封じた。 |
■2004/6/19 いちゃこらした話を書きたくて。ずっと「はい、あーん」を書きたかったんです。
そ、それだけ。
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