「お久しぶりです、マスタング大佐」 来客だと告げられて来て見れば、待っていたのは2年ぶりの鎧の少年だった。 相変わらず子供の声を保持した少年は丁寧に頭を下げ、それから小さく首を傾げる。 「あ、もしかしてもう大佐じゃ…」 「ああ、准将になったよ、去年な。ご無沙汰だったじゃないか、アルフォンス」 まあ座りたまえ、とソファを指して自らも向かいに座り、ロイは組んだ足の上に組んだ指を乗せた。 「どうしていたんだ、元気だったか? 連絡のひとつもよこさないからみんな心配していたんだぞ」 「すみません」 肩を縮めて巨体を小さくする少年にまあ元気ならいい、と笑って、ロイはふと胸に広がった不穏な黒い染みに気付かなかったふりをしてきょろ、と辺りを見回した。 「………兄はどうした。君一人か?」 「あ、はい。有用な文献が手に入りそうで、兄さんはそれ受け取ってから来るんです。ちょっと本腰を入れて研究したくて」 あっさりと頷いたアルフォンスに、ロイはそれと知れぬほどわずか、沈黙する。 「………ほう?」 噂が噂に過ぎなかったことにほっと安堵し、そう相槌を打つロイに、アルフォンスは続けた。 「中央のほうが研究するにも色々と便利だし、だからこっちで家を借りようってことになって、そのためにボク、先に来たんですけど……」 そこでアルフォンスは困ったようにわずかに俯いた。 「あの……ボク、未成年でしょ? だから、家を借りれなくて」 「ふむ?」 「兄さんから銀時計を預かってきたので、じゃあ即金で買い取りますって言ったんだけど、未成年には売れないって言われて」 「それはなかなか気概のある不動産屋だな」 「そ、それはそうなんですけど……」 「それで私に保証人になってくれと」 アルフォンスはえへ、と照れたように笑った。 「お見通しなんですね」 「そこまで話されたら解るよ」 喉を鳴らして苦笑を返し、ロイは契約書を出すように促す。 「郊外だな」 「はい。大きいお屋敷が多くて、でもひとはあんまり住んでいないし、研究するには持ってこいなんです」 「駅が遠いがね」 「篭っちゃえば関係ないですから」 それもそうか、と肯いて、ロイはさっと契約に目を通しそれが兄弟にとって不当に損な条件ではないことを確認し、サインをした。 「ありがとうございます」 「ゆっくりして行けるのか? じきに昼だから皆手が空いて戻ってくるはずだが」 アルフォンスはごめんなさい、と小さくなる。 「ちょっとこれから兄さんに電話して、図書館に行かなきゃないんです」 「そうか、忙しいんだな」 「すみません」 「いいさ、またゆっくりと顔を見せなさい。本腰を入れて研究を、ということはいよいよ目的が果たせそうなんだろう? 邪魔は出来んさ」 はい、と嬉しそうに頷いて、アルフォンスは立ち上がった。 「それじゃあ、大……将軍。また今度、ゆっくり」 「ああ。兄にもこちらへ来たら顔を出すように伝えてくれたまえ」 頷き、がしゃんと鎧を鳴らして頭を下げて、鎧の少年は静かに扉を閉じて出て行った。 二ヶ月だ、とロイは何度目になるかも解らない溜息を溜息を吐いた。 保証人を頼んでおいて二ヶ月も音沙汰無しとは一体どうしたことだ。エドワードならともかく、あの鎧の少年はそう言った気遣いに長けているはずなのだ。兄が戻り新居に落ち着けば電話の一本も入るものだと考えていたのが甘かったのだろうか。 それとも、何か問題があったのか。 あの───噂。 「ちょっと落ち着いてくださいよ、将軍」 「貴様は心配ではないのか、ハボック中尉」 「そりゃ心配ですけどね、アルのヤツ、近いうちに連絡しますーなんてオレらにも言って行きましたし。けどま、忙しいんでしょうよ。何かに夢中になると周りが見えなくなるのはあいつも兄貴と同じですからね」 「それにしてもだ。………兄の死亡の噂が流れていると知らせてやれば良かったかな」 ハボックくく、と呑気に笑った。 「面白がられるのがオチだと思いますよ」 「……そうかね?」 「子供なんてそんなもんですよ。大体アルは、兄貴は殺しても死なないと信じ切ってる節がありますからね。だからたまに死に掛けると取り乱すんですよ」 子供ですから、と繰り返すハボックに、そういうものか、と呟いてロイは車外へと目を向けた。発展する前に寂れてしまった住宅地予定区画は閑散としていて、真っ昼間だというのに行き交う人影もない。住宅地というものは実はそれほどひとが行き交う場所ではないからしんとしていることは珍しくはないが、それにしても子供の声ひとつ響かないというのはやはり寂しいものだ。 「将軍、そろそろです」 それまで黙っていたリザの声に、ロイはああ、と頷いた。 比較的新しい屋敷がぽつぽつと並ぶ中に、その古めかしい屋敷はあった。 それなりに広い庭でも付いていそうな屋敷は瀟洒で、けれど大きさの割に窓が少ない。その少ない窓のどれもに鎧戸が下ろせるようで、居間は窓ガラスが姿を現している部分にもカーテンが降り、中の様子は窺えない。 これで地下室でも完備されていれば研究には持ってこいの場所だな、と考えながら、ロイは副官二人を引き連れて枯れた蔦の這うアーチを潜った。踏む石畳は荒れてはいるが、毎日誰かが踏むのか割れるほどではない。 瀟洒な屋敷から見れば随分と無骨で頑丈そうなそこだけ真新しい扉の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。 「………誰も出ませんね」 「留守かな」 リザの言葉に首を傾げながら、ハボックが止める間もなく無造作にドアノブに手を掛けたロイは鍵が掛かってる、と呟く。ハボックは額を抱えた。 「ッたり前でしょう。留守なら鍵くらい掛かってますよ。大体あんた、開いてたら入るつもりだったんですか」 「彼らが何を研究しているのか忘れたか、少尉」 ハボックは額を抱えた手の奥で瞬き、黙った。ロイは僅かに身を逸らし二階の窓を見上げる。 「………心配し過ぎるということもなかろう」 「でしたら二ヶ月も経つ前に動向をチェックするよう命じてくださればよかったのでは」 リザの言葉にいや、まあ、うん、と曖昧に呟いて、ロイは壁伝いに歩き出した。 「将軍、どこへ」 「ちょっと裏へ回ってみよう」 「仲良く夕飯の買い出しに出てるだけかもしれませんよ」 「裏庭を覗くだけだ、踏み込もうとしているわけじゃないさ」 心配するな、と時折驚くほど常識外れな事をして見せる上官から何の保証にもならない言葉を貰い、ハボックは肩を竦め何事もない顔でロイへと続くリザの後を追った。 湿った土を踏んで裏庭へと回る。裏庭は生垣とその周辺に茂る木々に覆われて、向こうを走る路地からは覗けないようになっていた。これはもともとこういった家を探していたのかそれとも後で植えたのか、と考えながらロイは茂る緑を払い、芝生の剥げた庭を覗く。 窓枠の下、膝を抱えて座る、小さな人影。 金色の髪の毛が光を受けてきらきらとしている。空を見上げ雲を映す大きな瞳も至高の金属の色をしていて、ロイは足を止めそれに見入った。 「………アルフォンス?」 背後で小さく部下が呟く。それにああそうだ、あの兄と同じ色をしている、と瞬いたロイを、気配に気付いたその子供はひたと見つめた。 ゆるり、と。 笑んだ、その可愛らしい笑顔の中の瞳は、叡智に満ちていて。 立ち上がりズボンの土を払った子供はポケットを探り、取り出した小さなそれを二本の指でつまんで陽に翳すように掲げて見せた。きらりと光を透かし、血のような赤が子供の肌に透明に落ちる。 子供は言葉を忘れてしまったかのように立ち尽くす大人たちにもう一度、今度はわずかに唇の片端を歪めた笑みを見せて、窓枠にそれを置いた。ことり、と、硬質の音が響く。 「アル!! みーっけ!!」 突如降って来た甲高い声に、ロイははっと視線を上げた。 「………エドワード君?」 呟いたリザの声に、ああそう言えば彼女もあのときのこいつを見ているのだった、と頭の片隅で考えながら、ロイは生身の両手を二階の窓枠に突き、中庭の弟を見下ろしている子供を見つめる。 初めて出会ったときの背格好と、高い声と、前髪だけが長い短髪と、───あのときにはなかった輝くような無邪気な笑顔。 よ、と呟いた子供は軽々と窓枠を乗り越え大人たちが何をいう間もなく階下へ飛び降り、バネのように跳ねて弟に飛び付いた。 「おっまえ、外に隠れんの反則だぞ!」 「ごめん、兄さん」 あははっ、と笑ったその声は隠る響きこそないものの、あの鎧の少年と同質のものだ。 子供たちは子犬のように一頻りじゃれ合い、弟を羽交い締めにするように抱き締めた兄は何か囁かれ、ふっとロイへと視線を向けた。貫くような強く飾り気のない、剥き出しの視線がリザへと移り、ハボックを掠めて再びロイへと戻る。 に、と、笑ったその生意気な顔に覚えがある。 「行こうぜ、アル!」 「うん、兄さん」 エドワードはアルフォンスの手を握り、踵を返した。ハーフパンツから覗く膝小僧は二つとも生身で、つるつると健康的に白く光る。握られたアルフォンスの手も同色の白さで、まるでビスクドールのようなのにその快活な動きは子犬そのものだ。 なのに何故か、生きていないような、気がする。 子供たちは立ち尽くす大人たちを残し、まるで夢の中消えゆくように、緑の向こうへと駆けて行った。 「し──将軍! いいンすか!? 行っちまいましたよ!」 「え? ………あ、」 「追います」 珍しく命令も待たずに駆け出したリザをハボックが慌てて追い掛ける。それを見送りまだどこか夢心地のまま、ロイはふと窓枠に置かれた赤い石へと近付いた。 ひやりと硬質の、けれど体温を移すうちにどことなく肌へと貼り付くような馴染む軟質へと変化する───それ。 全一。 そう呼ぶには不完全過ぎるのだろうか、この幾多の怨嗟と血とで造られたエリクシール、は。 ロイは辺りを見回した。裏口らしき扉がある。蔦はそこだけ剥がれていて、日常的に使われていたろうことが解った。 「───見失いました」 「だろうな」 息を弾ませ戻ってきた二人に呟くようにそう返し、ロイは鍵の下ろされていない裏口を開いた。薄暗い家屋へと踏み込むと、顔を見合わせたハボックとリザが追ってきた。 黴の臭いがした。 ロイは賢者の石を握り締めたまま歩を進め廊下を進み、ひとつひとつ扉を開く。副官たちは問うことなくただ黙って懐いた野良犬のように付いて来た。 「………見ろ、ホークアイ大尉、ハボック中尉」 階段下の扉を開き、その鎧戸の隙間から差し込む光に斑に照らされる床を見て、ロイは溜息を吐くようにそう言った。床に描かれた錬成陣。 その傍らに、蹲る鎧。 もはやただの鉄の塊でしかないそれの胸甲は外れ、兜はかろうじて首の上に乗ってはいるもののずれている。歩み寄り、肩へと手を掛けるとがしゃーんと響いて兜が転げた。 同時に、ごつん、と、中で何かがぶつかった手応えがある。 ロイは錆びた鎖帷子を掻き分け中を覗き、瞬いた。 「どうかなされましたか」 「ああ、腕だ」 「腕?」 「機械鎧のね。脚も。それから……」 無造作に差し込まれた手に握られたそれに、ハボックがうわ、と小さく呟く。リザが鋭く眉を上げた。 素手に掴まれた、頭蓋骨がひとつ。 「人間一人分の遺骨が納まっているようだな。10……4、5歳か。鋼のものだとすればもう少し上だろう。サイズは小さいが」 「鋼、って、だってエドはさっき」 「頭は大丈夫か、中尉。鋼はまともに歳を取っていれば今18にはなっているはずだろう? さっきの子供はどう見ても十かそこらだったろうに。恐らくは母親を錬成する直前……11歳の肉体だとは思うが」 そんな、とリザが小さく呟く。ロイは掴んだ頭蓋骨を両手に抱え直し、見つめた。 「死んだ……とは、聞いていたんだが」 あの子供たちはまた、深い暗がりの淵を覗いて───そのまま。 (逝って、しまったのだな) そしてもう戻るまい。 抱えた頭蓋骨の空虚な眼窩はそんなことを考えたロイを見つめ、僅かに嗤ったようだった。 からっぽの鎧の中で、転げた銀時計ががらん、と硬く鳴いた。 |
■2004/11/28
左側の天使は悪へと導く。
みぎとひだりのアルの行動の違いの理由、というものが一応存在しますが解らなくて問題ないです。こちらもみぎと同じく相互片思い。
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