「ばっちゃん! 兄さんをたすけて!」
 
 幼く高いアルの声真似をした鎧の男が飛び込んで来たとき、即座にその正体を見極めることは出来なかった。エドは明らかに瀕死の重傷で、一刻も早く処置の必要な状態だったからだ。
 だからウィンリィとふたり治療室へ飛び込み、ばたばたとエドの処置に駆け回っていた間その鎧が何をしていたのかは解らない。でも恐らくはただじっと、玄関の前に座り込んであたしの指示に従って治療室を出たり入ったりしているウィンリィを見ていたんじゃないかと思う。
 
 が、そんな怪しい男をいつまでも女所帯のうちに居座らせておくわけにはいかない。エドを運んで来てくれたことには感謝はするが、どこからどう見ても子供には見えないと言うのに変声期も迎えていないアルの声を真似ていることがまず解せない。
 
 それに本物のアルはどこへ行ったのだ。エドがこんな大怪我をしたというのに。
 
 だがら、止血と輸血が済み、点滴を刺して一段落ついたと同時にあたしは治療室を飛び出し、ちんまりと正座しているそいつに突進して廊下に放ってあったスパナでその面当てを跳ね上げた。
 
 からっぽ。
 
「ばっちゃん」
 
 細く震える声がそのからっぽの空間に響いた。
 
「信じられないかもしれないけど、ボク、アルフォンスなんだ。兄さんがボクの魂を錬成してくれたんだよ。兄さんがいなかったらボク、死んじゃってたんだ」
 驚きに息を飲むばかりのあたしにすがるように、アルだという鎧は僅かに膝を進めた。あたしは一歩下がりそうになるのを根性で踏み止まる。
「兄さんは? 助かるの? まさか、死んじゃったりしないよね?」
 
 それはアルにこそ掛けられるべき言葉ではないのか。
 
 否、もう「死んじゃったり」してるんじゃないのか。
 
 これじゃまるで。
 
 まるでお化けじゃないか。
 
 そんなことを思い思わず憐憫からアルに手を伸ばしそうになったあたしの横を擦り抜けて、先程のあたしと同じように突進して来たちいさな影が、そのままの勢いで鎧にどかんと抱きついた。衝撃でがっしゃんと面当てが落ちる。
 
「ウィンリ……」
「アル! よかったね! エドもアルも生きててよかったね……!」
 
 大泣きしながら鎧に張り付いて──多分本人的には抱きしめているのだ──いるウィンリィの肩を恐る恐る支えているアルに、あたしは思わず溜息を吐いた。
 
 ああ、子供というものは、なんて!
 どうしてこう、大切なことはけっして間違えないものなのだろう。
 
 危うくアルを傷つけるところだった。
 この、自身を失ったショックと混乱は相当なものだったろうにそれを抑えて素早く立ち上がり、重傷の兄を抱えて駆けて来た優しくて可哀相なアルを。
 
「アル」
 あたしはまだ泣きじゃくっているウィンリィの頭を撫で、アルの腕を叩いた。かすかに掌に伝わる空洞音。
「エドは大丈夫だ、とりあえずはね。しばらくは熱も高いだろうし意識も戻らないだろうが、あんたのお陰だ、助かるよ」
 しばらく反応を待つが、アルは無言だ。当然表情もない。
 もしかして安堵しているのか、と気付き、あたしはにっと笑って見せた。
「さ、おいで。血だらけじゃないか、拭いてあげるから。ウィンリィ、エドについてておあげ。点滴が終わりそうになったら教えとくれ」
 
 素直に頷いたウィンリィが駆けて行くのを見送って、あたしはアルの手を引いた。と言っても指の一本を掴んで引き寄せただけだ。アルはよろよろと立ち上がり、訝しげに首を傾げながら足を踏み出す。
 もしかして、座り込んでいたのは歩けなかったからなのだろうか。
 家からここまで駆けて来たのだろうに、不思議なものだ。必死だったということなのだろうか。
 
「……アル。ここに来る途中で誰かに会ったかい?」
 がしゃん、がしゃん、と一歩一歩よろめき確かめながら歩くアルを辛抱強く待ちながら、あたしは訊いてみた。もし会っていたとしたのなら、こんな鎧を身に付けた巨体の男が血塗れのエドを抱えてうちに飛び込んだわけだから誰か覗きにきてもおかしくはないわけで、それがない以上は誰にも会いはしなかったのだろうが。
 案の定、首を横に振ったアルに、そうかい、と頷いてあたしは椅子に腰掛けるように指示をした。そうしてから椅子が壊れるかもしれない、とふと思ったが、意外にも通常サイズの木製の椅子は軋み一つ上げなかった。
 
 そうか、中身がないからか。
 
 鎧の重さだけでは大人一人分の重さにも満たないのだ、多分。
 
 タオルを濡らし、鎧を拭く。
 そうして掃除してやっている間に、あたしが問い質す前にアルはぽつりぽつりと事情を話し始めた。
 
「……どうしてこんなことになったんだろう」
 
 あたしはタオルを水の濁った洗面器に放り込んで、ぼんやりと呟くアルの膝に置かれた手に掌を重ねた。
 
「アル……。あたしにゃ錬金術は解らない。だから錬金術でひとが生き返るなんて考えたこともなかったし、そんなことは出来るはずもない、とも思うよ。だからこそ医者や、あたしたち技師がいる」
 無言のアルはその赤く光る目であたしを見ている。
「アル。エドが生きてて嬉しいかい?」
「………うん」
「そうかい、あたしも嬉しいよ。あんたが生きていることもとても嬉しい。でもね、アル」
 あたしはぎゅっとアルの指を握る。
「それはひとがいつか必ず死ぬから得られる喜びなんだよ。命は終わって、戻ることがないから美しい」
 握った指が微かに震えている。
「………あたしは、そう思うんだよ、アル。あんたたちが母さんの葬式で流した涙は無駄ではないんだ。それは生きて行くために必要な涙だ。けっして、後戻りできないがための涙だったんだよ、アル」
 両腕を伸ばし、背伸びをして、あたしは俯いているアルの頭を抱き寄せた。
 
「よくぞ生きててくれたねえ、アル。嬉しいよ」
「………ばっちゃん」
「あんたもエドも、あたしの大事な子たちだよ」
「ばっちゃん」
 震える声は涙に濁ることがない。
 
 ああ、この子はもう二度と泣くことは出来ないのだ、とあたしは気付いた。
 可哀相に。
 母を失い、苦しんでいたことに気付いてやれなかった。
 深い深い淵を覗いて、そのまま帰って来れなくなっていた子供たち。
 
 父親と、同じだ。
 
 錬金術とはこうも悪魔のような魅力を持つわざなのか。
 
 もっと早く、そのことに気付いてやれていたのなら。
 もっともっと、この子たちを愛していると伝えてやれていたのなら。
 
「アル。しばらくうちに住むといい。エドも元気になるまではうちにいなくちゃいけないんだしね」
 
 ちいさなアルは、一足飛びに大きくなった身体を震わせていつもと同じように素直にこくん、と頷いた。

 
 
 
 

■2004/4/12

ピナコばっちゃんが好きです(そうですか)。
この話は続きを書くかもしれません。書かないかもしれませんが。

あ。デン出すの忘れた。
デンも好きです。
というか愛してます(告白)。

NOVELTOP

 

 
あ、参考までに。
フルプレート(全身金属鎧)というのは普通、20キロ〜30キロ程度のものです。基本的に騎乗してランスで突撃するための鎧ですが、実際にはその下にキルト(中綿)の鎧下、鎧の上に羽織るマントなんかが入りますし騎乗用の盾(持ち手より下がぐーっと長いアレ。タワーシールド)も構えますし腰には剣も佩くので、もーすげぇ重量な上動き辛く、雨の中の戦闘で落馬して鎧の隙間からどんどん水が流れ込み起きあがれずに地上で『溺死』なんてこともあったほどだそうで。
まあ、フルプレート着て落馬なんかしたら、体勢を整える前に歩兵に殺られてしまいますがね。
アルの鎧はでかいので40キロ程度かな、と想像しましたが、大人の体重ほどあるとそれを着た騎士は常に大人を背負って戦うことになるんで、やはり40キロくらいが限界かと。飾り物であったとするなら、多分もっと軽くてそれこそ20キロくらいなんじゃないかなー。とか。思います。