どうした、と耳元で掛けられる声に吐息を錯覚して眩暈がする。
 オレは受話器を握り直し、や、なんでも、と笑ってじゃあ来週なと言って、前日にまた連絡したまえと相変わらず無駄に偉そうな大佐に忘れなかったらとか電話があればとか適当に返して通話を切った。
 はあ、と盛大に溜息が洩れる。ベッドに胡座を掻いたまま俯いて両手でごしごしと顔を擦り、何してんの兄さん、と首を傾げるアルに何でもないと笑って、オレはまた溜息を吐いた。
「何溜息吐いてんの。お腹でも痛い?」
「なんでそうなる」
「兄さん今日食べ過ぎなんだもん」
「昨日ほとんど食ってねーからいいだろ」
「いやよくない。なんでそう偏るかな」
「忘れちまうんだよなー、なんか。思い出すとすげー腹減るんだけど」
「没頭し過ぎなんだよ。身体壊しちゃ元も子もないんだから健康管理はしてよね。旅暮らしは健康が第一!」
 へいへい、と苦笑して、オレはごろりと横になった。アルはしばらく首を傾げてオレを眺めていたが、やがて膝の上で開いていた今日手に入れたばかりの本を読み始める。オレは眼を閉じた。
 
 どうした鋼の、と。
 耳元に掛けられる声に吐息を錯覚する。
 
 体温など感じるはずのない電気信号の組み合わされた疑似の声に胸が騒ぐ。
 実際に会ったとしても触れられるわけでもないし触れるつもりもないが、オレは想像の中で出会う大佐の腕を引いて抱き寄せる。抱き締めてたくさんキスをして、何度も好きだと囁いて犯す。オレの頭の中の大佐はいつも濡れた眼をして何も言わなくて、それはもしかしたら快感のそれではなくて涙なのかもしれないとオレは憂鬱になる。
 頭の中ですら、オレは大佐に受け入れてもらうことを自分に許していない。
 
 なのに。
 ────会いたい。
 
 あの声が聞きたい。あの気配に触れたい。香水の匂いの中の僅かな体臭を感じたくて笑う顔を見たくて触れたくて抱き締めたくてキスをしたくて。
 会わずにいればいるほど、けれど確実に会う回数を重ねるたびに、その欲は肥大してオレを追い詰める。
 
 オレはぱっと瞼を開いた。天井を真っ直ぐに凝視する。
「………何、兄さん。怖い顔して」
 本を読んでいるとばかり思っていたアルに、オレははっと視線を向けた。アルは膝に本を乗せたままこちらを眺めて、かしゃと小さく音を立てまた首を傾げて見せた。
「なに?」
「……………アル。ちょっとこっちこい」
 オレは起き上がって手招きをする。アルは何なんだよー、と文句を言いながらも本を置いて素直に寄ってきた。
「何?」
 両膝を床に突き、ベッドの上に座るオレと視線を合わせて首を傾げるアルフォンスの首に両腕を巻き付けて、オレはその鉄の兜を抱き寄せた。
 冷たい。
「………兄さん?」
 わあん、と、短く微かにアルの声が響いて行くのを肌で感じる。
 
 この、無機の身体をアルに与えたのは、オレだ。
 アルをこんな身体にしてしまったのはオレだ。
 
 アルはこんな身体でも死んでしまうよりは良かったと言って、自分は生きているのだと言ってオレに笑う。笑ってありがとう兄さん、と嬉しそうに胸に手を当てる。
 
 この身体、大切にするね。
 本当の身体を取り戻すまで、これがボクの大事な身体なんだから。
 
 掌でアルの首の後ろをそっと撫でる。この向こうに、アルの魂。
 頑丈なようでいて本当は生きた人間などよりずっと脆くて不安定な、この、無機。
 
 ───心を分けるわけには行かない。
 心は増えてゆくものだと言うが、今のオレにはそんな余裕がない。
 決して、決して逃げてしまうつもりはないが、それでもオレはオレを信用できずにいる。
 
 もし───生温い恋に、逃げてしまったらと思うと。
 アルを、見捨ててしまったらと思うと。
 
「───アル」
「うん?」
「愛してるよ」
 うわ、とアルフォンスは心底嫌そうな声で呻いた。
「兄さん気持ち悪!」
「失礼なヤツだな」
「いやだって気持ち悪いよ! ちょ、ちょっと離れてくれる!?」
「いーやーだ」
「な、なんで!?」
「お前は冷たくて気持ちいーなー」
「いやなにそれわけわかんない! 今日って寒いんじゃないの? 暖房効き過ぎてる?」
「ちょうどいいぞ」
「だったら寒いでしょボクにひっついてたら! ていうか気持ち悪いからはーなーれーろー!」
「お断り」
「過剰なスキンシップはセクハラだと思うなボク!」
「今日はお前抱いて寝ようかな」
「やめてー!!」
 ぎゃーと喚いてべり、とオレを引き剥がしたアルは素早く部屋の隅へと退避した。オレは唇を尖らせて見せる。
「冷たいな、アル」
「そりゃ鎧だからね!」
「そういう意味じゃねーよ。ほら、来いって。仲良くしよーぜ」
「に、兄さん、ヒューズ中佐が移ったんじゃない!? なんか変!」
「そっか?」
 うんっ、とぶんと音を立てて頷き、アルはわたわたと立ち上がる。
「ボ、ボク、散歩して来ようかな!」
「たまにはオレといろよ」
「いやでもここ田舎だから星が綺麗だしね! じゃあね、兄さん! 夜更かししないで寝るんだよ!」
 ちゃ、と片手を上げでがしゃがしゃと部屋を出て行ったアルを笑って見送って、オレはふ、と溜息を吐いた。ごろ、と胡座を掻いたままベッドへと倒れ込む。
 
 クソ、畜生。
 
 何をやっているんだオレは。

 
 
 
 
 

■2004/11/27
兄さんぐずぐず。
エドアルではないのです。エドアルではないエドロイでアルの立場を保持することが擬態の裏コンセプト。嘘です。でもアル視点の話を入れればタイトルの意味が解るかもしれません。解らないかもしれません。わたしに解っているからいいんです。でも説明できません。(解ってないんじゃ)

NOVELTOP