毎日考えているわけじゃない。そんなに俺は暇じゃない。 けれど年に何度か顔を出すこの子供を見るたびになんだか変だ不思議だと思い続けていたのだけれど、やっぱり今日も不思議なままだ。 何故嬉しいんだろうか俺は。 からかって怒らせて楽しい。たった十五のくせにこちらの話についてくる様が楽しい。鋭い眼を歪ませて馬鹿な軍人の不正を暴いてやったとにやにや笑うその皮肉で子供らしい残酷さと正義が入り交じる笑顔が楽しい。馬鹿じゃねーのと声に出さず罵り半眼で眺める様が楽しい。弟と戯れている様を見るのが楽しい。 この子供をあやすのはとても楽しいし、嬉しい。 そもそもの発端は四年前。彼の家のとある一室は血の海で、その腐り始めた血の下に敷かれた錬成陣に鳥肌が立った。歓声を上げたかった。天に叫びたかった。大声で笑いたかった。 Gloria! ここに俺より馬鹿がいた! たった十一のガキだから何だ。馬鹿は馬鹿だ。ガキだろうがなんだろうがあれだけの錬成を行える頭脳を有しているのだ。その結果に何が待っているかなど知らなかったのではなく知ろうとしなかっただけだろう。決意を鈍らせたくなかったから知ろうとしなかった、たったそれだけのことだろう。我が侭を通して正しいと思い込みたくてけれど正しくないことを知っていたから己の正当を覆す可能性のある情報を敢えて遮断しただけの話だろう。 人体錬成の記録などちょっと古い錬金術書を漁れば山ほど出てくる。一晩で全員が姿を消した家人。頭部をまるごと失くした死体。手首ばかり残して消えた賢者。半身を失い助けも呼べず一昼夜苦しみ抜いて死んだ学者。皮膚を剥がれた隠者。四肢を失くした科学者。なんの損傷もなかったのに中身を開けてみたら内臓も脳味噌もからっぽだった医者。 それらすべてが錬金術師。それらすべてが禁忌に挑み、愚かに破れた馬鹿者ども。 人体錬成に挑んでおいて、ゴシップ混じりとはいえそんな負の記録をなにひとつ手にしたことがないなど信じない。それは敢えて手にしなかった、たったそれだけのことなのだ。時の錬金術師どもは人体錬成理論を残しはしなかったが、人体錬成にて何を奪われ何を失ったか、そんな記録は噂として、都市伝説として、日記として、走り書きとして残して来た。 だから俺は嬉しくなった。 何を成せるか何を失うか、それをすべて承知した上で、けれど承知していることを己に気付かせることなく誤魔化して、愚行に手を染めた馬鹿がここにもいた。 愚かで、愚かで、愚かで、愚かな錬金術師。 命を拾っただけでも有難いと思え。お前はそれだけ馬鹿だったのに、それでもそうして生きているんじゃないのか。 お前は死ぬべきところを生き延びた。 傲慢にも愚かにも、自らすら騙して己の正当を曲げず信じたことを行って、そうして今生きているのじゃないのか。 ならば俯くな。 胸を張れ。 俺は信じたことをしたのだと、虚勢であっても宣言して笑え。 永遠に自分を騙せ、愚かで幼い錬金術師。 なのにそのちっぽけでいかにも軽そうな子供が虚ろな眼で顔も上げず上目遣いでこちらを窺う姿を見た途端、愉快な気持ちが全て萎んで空になった胸に怒りが満ちた。そのとって変わった怒りは驚くほどに熱く推進力を得て、俺は子供の胸倉を掴んで何か怒鳴り散らしたような気がする。激高していた。 俺の腕に鋼の手を置き、ごめんなさい、と俺を通り過ぎた虚空に向かって謝罪した、子供の声の大きな鎧が、俺の沸騰する脳味噌と滾る胸を冷やすまで。 「この子たちが元の身体に戻る方法も、あるいは」 自分で言っていておかしくてたまらなかった。 元の姿、だと。 兄はともかく弟は、それはつまりは人体錬成を行うということじゃないか。 有り得ない。出来るわけがない。 死からの完全復活など不可能だ。 魂が戻っただけでも相当有り得ないことだ。死者の魂の黄泉返りを行ったこの子供は人体錬成には失敗している。人体錬成に失敗し魂の錬成に成功した、その一瞬の間に何か得たものでもあったのか。母親の復活の失敗が、彼になにかひらめきを与えたのか。だからこそ魂を復活させるに至ったのか。 興味は尽きない。そんな例は文献でもお目に掛かったことはない。 だが、興味に眩んで視野を狭め前だけを見て走るほど俺は暇ではないし純粋でもない。 だから、あの子供を軍へ誘ったのは、それが目的だったわけではない。今思えば何故そうしたのかまるで解らない。放っておいても良かったはずだ。 若くして絶望を味わいそれを乗り切るだけの力を得れずに片腕片足であの機械鎧技師の家に世話になり、やがてあの家の少女か近所の娘と結婚をして、無気力に面白みもない人生を惰性で生きて、錆び付いていく弟を残して死んで行く。それでもよかったはずなのだ。むしろそのほうが絶望した人間には相応しい。 なのに俺は彼に示唆した。楽園の蛇のように囁いた。 知恵の実を食えと。 ほら手が届くだろう。お前に未来を与える実だ。熟れた甘い匂いを放つ、酷く腐ったその実はお前に。 未来を。 ───未来などあるか。 賢者の石など存在しない。 彼の手足はあるいは戻るかもしれない。医療系統術はティム・マルコーの失踪で相当に研究は遅れたと言われているがそれでも未だ続けられてはいるし、あの少年の頭脳をそちらに傾ければ手足の一本や二本生やす術は組み上がるかもしれない。 だがあの鎧は駄目だ。あの子は生涯あのままだろう。 罪を口にするのなら、それが罰だと、そう思い知れ。 それは兄への戒めで、弟への罰だ。 足掻くなら足掻け。それが罰だと思うなら。罪も罰もお前の決めた先入観だと悟るまで。 裁きを下す神などおらず、誰もお前を裁きはしないとそう、悟るまで。 そんなわけで初対面のときから何故か俺は彼に入れ込み過ぎなほど入れ込んでいて、今も姿を見掛けると楽しく嬉しくなってしまう。 ので。 「鋼の」 「なに?」 ちょっと告白してみることにした。 「私は君が好きなようなんだが」 「伝聞かよ。どこの『ワタシ』サマだアンタに妙なことを頼んだのは」 「いや伝聞ではなくて私だ私」 鋼の錬金術師は心底嫌そうな顔で文献から眼を上げ、私を斜に眺めた。 「………何言ってんの?」 「いやだから、告白」 「からかってんだ」 「大真面目だが」 「その割に顔が笑ってんだよ、大佐」 「君に会えて嬉しいもので」 「だったらもっと胡散臭くない顔で笑えよ」 「失礼な。地顔だ」 「地顔が胡散臭いのか……」 きのどくにー、と投げ遣りに言って鋼は再び文献に眼を落とした。 「………おい」 「なんですかー」 「もっと違ったリアクションはないのか」 「どうリアクションしろってんだよ」 「オレも好きだよとかむしろ嫌いだとか」 「………何。アンタの好きってそういう好きなの? 今の告白だった?」 「告白だと言ったと思うんだが」 ああそうなの、と言って妙に引き攣った笑顔を薄く見せ、鋼はしばし固まった。 「………冗談ではなくて?」 「大真面目だ」 「好きなようなんだが、とか言ってたけどそれは確定ではないってことだよな?」 「まあ多分間違いなく好きだろう。何故かは知らんがね。何故だと思う」 「オレに訊くなよ」 うー、と唸ってがりがりと頭を掻き、こちらが不思議になるほど困惑した渋面で鋼はしばし俺から目を逸らし何事かを思案しているようだった。俺は黙ってそれを見る。 いや本当に解らない。 見れば見るほど可愛くない。 子供でチビのくせに妙に骨太な身体は子供らしさはまるでないし当然女性を連想させるものでもない。近くにいると微かに駆動音の響く鋼の手足はいつでもオイルの臭いを薄く漂わせていて、鼻が敏感な者なら眉を顰めるだろう。意思の強そうな眉と吊り上がった眼はいつでも挑むように輝いてやはり可愛げの欠片もない。そのくせ長い髪はなんのつもりか女の子のように三つ編みだ。 その上極度のブラコンで短気で乱暴者。声もでかくて騒がしい。 「いやー、不思議だ」 「……なにが」 「私が君を好きなのが」 「…………。……気のせいだとか言うなよ」 「言わないよ。不思議だがどうもやはり好きなようだ。好ましい、とかそういう好意を随分上回っている気がする」 「……あれだな、スゲェ色気のない告白」 「色気が欲しいのか。変態だな」 「ちげーよ!」 苛々と怒鳴って少し黙れ、と言って、鋼はまたそっぽを向いて考え始めてしまった。 何を考えることがあるんだろう、と思う。好きでも嫌いでもどうでもいいでも気持ちの悪いことを言うなでも何でもいいだろうに。別に愛の告白でもあるまいし。 愛の。 愛。 「………ああ」 「今度はなに」 「いや、……もしかして今のは愛の告白だったのか?」 「……………違うのかよ」 「いや」 どうだろう、と首を捻ると鋼は心底うんざりとした顔で俺を見上げた。 「こんだけ悩んだオレはなんなんだ!」 「何で悩んでいるのかと」 「真面目な告白だっつーから悩んだのに!!」 「……………。……君、なかなか誠実な男だったんだな、実は」 「……ちげーよバカ」 ぼそり、と言って俯いてしまった鋼は俺が声を掛けようと手を上げ掛けた瞬間がばりと顔を上げ、そのままの勢いで床から立ち上がった。椅子に座り肘を突いていた俺と視点の高さが逆転する。 「どうしたね?」 「どうしたね、じゃねえよ」 えらく不機嫌に言って、鋼は一歩踏み出しばんと机へ両手を突くと身を乗り出して俺と額を突き合わせた。 「あのな」 ぎゅうと眉間に皺を寄せた顔はまるで十五の子供ではなくて、渋面ばかりしていては顔だけ先に老けるぞとは思ったが、鋼は軽口を聞ける状態でもないようだったので取り敢えず俺は黙って彼を見つめた。鋼の一文字に引かれた口がぐっと歪み、鋭い眼が細められ眼光を増す。 「………アンタが悪いんだからな」 「は?」 「オレがアンタを好きだって、まさか知ってたわけじゃねェんだろうけど」 一瞬、言葉が耳を素通りした。 「…………は?」 辛うじてそう呟いた俺は、多分かなり惚けていたんだろう。気が付くと色気も何もない仕草で唇が押し付けられていて、瞬いている間に離れて行った。乾いた唇の触れるだけの口付けは何の余韻も残さない。 「………鋼の」 「あんだよ」 「……………。……何をした?」 「見たままだろ……」 ああうんそうだ、見たままだ。キスだ。わけが解らん。なんでキスだ。 「つまり君は、私に恋をしていると」 「そう言ったろ!! 一々確認しねーと解んねーのかアンタは! 大人かそれでも!」 「……突拍子もない行動について行けないのは大人でも同じだ」 「どこが突拍子ねーんだよ!! 告白して来たのは大佐だろ!? このアホ大佐!!」 「アホって」 「もーいい! 帰る!!」 「おい、まだ資料を読み終わって」 「明日また来る!!」 そう言って扉を乱暴に開けて資料室を飛び出して行った鋼は言葉通り翌日も来て、資料を読んで北へ行った。 俺はどうして彼を好きなのか不思議なままだった。 その疑問が解けるのは、それから数ヶ月ののち。 葬儀を終えた青空の下、風の出て来た真新しい墓石の前で。 彼は何もかも承知した上で、それでもなお挑まずにはいられなかったのかも知れないと。 俺はあのとき、愉快だったわけではなくて、本当は。 悲しくて仕方がなかったのだと。 あの子供が哀れだったのだと。 彼が時折痛みに瞳を歪ませながらも生きて元気に走り回っていることが、とても嬉しかったのだと。 ───それが好意の正体だ。 疑問は解けた。そして残った問題は。 俺に恋をしていると言った、彼の気持ちの行き場は一体。 今更になってあのときの唇の余韻を感じ、俺は酷く、困惑した。 |
■2004/9/14 全然違うカンジのエドロイも書いてみたかったっていうかこれエドロイ?(凄い疑問)
タイトルがわけが解らなくなってしまったのは反省していますがいつものことなので気にしない。
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