恋人の家へ出掛けようと私室を出ると、玄関の前で腕を組み仁王立ちで通せんぼしていた兄が退いてくれなかったので。 「あの無能のどこがいいんだよ!!」と顔を真っ赤にして怒鳴った門番に「兄さんに似てるとこ」、と答えると、赤鬼はぽかんと口を開けて硬直してしまった。 その赤鬼の脇を擦り抜けて約束の時間には遅れずに済んだというわけなのだが。 それを入れ知恵した張本人は、ソファの上で突っ伏しクッションを腹に抱き込み声も出ずにぶるぶると震えている。 「笑いすぎです、大佐」 大層珍しいそのだらしのない姿を視界の端に捉えながら、アルフォンスはちょきちょきと新聞を切り抜く。 「か……可哀想に鋼のの奴め……ッ」 「あなたがそう言ってみろって言ったんでしょうが」 「それにしたって……!」 堪えきれずにげらげらと笑い出した恋人に、うるさいですよ、とアルフォンスは新聞紙で折った飛行機を投げつけた。尖った先がこつんと黒髪に当たる。 「近所迷惑ですから少し静かに」 「両隣は私が借り上げているから大丈夫だ」 「あれ、そうなんですか。倉庫にでも?」 「左の部屋は書庫で、右の部屋は研究室だな」 ひーひーと肩で息をしながら、目尻に溜まった涙を拭いロイは身を起こした。本当笑いすぎです、とうんざりと半眼になり、アルフォンスは溜息を吐く。 「地位も名誉もあるいい年したおじさんが泣くほど大爆笑しないでください」 「そんなおじさんが好きなくせに何を言う」 「うわ、ボク凄い変態みたいじゃないですか。そういう言い方やめてください気持ち悪い」 ボクは女の子が好きです、ときっぱりと言い切った青年にロイはにやにやとひとの悪い笑みを浮かべて足を組み、傍らに落ちていた飛行機を手に取り少し曲がってしまった先を直して、ひょいとアルフォンスへと投げた。ふわり、と滑るように落ちた紙飛行機が膝に広げた新聞の上へと着陸する。 「では私のどこがよくて付き合っているのかね」 「あー……」 どこでしょうねえ、と宙を睨んだアルフォンスに、ロイはおいこら、と眉を寄せた。 「そこは嘘でも全部だとか優しいところがとか仕事をしている姿に惚れてとか、なにかそういう甘いことを言うべきところだぞ」 「あー、そういうバカなとこは結構好きです。あとボクを好きなところが好きです」 「……………。……鎧のときのほうが可愛かったな、君」 「あ、そこも好き」 「どこだ」 「鎧のボクが好きって言うとこが」 ぱちくり、と黒い眼を丸くした恋人に、アルフォンスはえへへと笑う。 「兄さんとかウィンリィとか、元に戻れてよかったって言うけど鎧のときのほうがよかったとは言わないんです、当たり前だけど」 「………君は鎧でいたかったのか?」 「いや、全然。生身に戻れて凄く嬉しいし、二度とあんなのごめんですけど」 「じゃあ、なんだ」 アルフォンスは小さく首を傾げる。柔らかな生身の首は音を立てることはなくて、けれどロイはその仕草に鎧の少年を錯覚する。 「大佐って、鎧のボクからしか知らないんですよね。鎧になる前のボクのことは知らない」 「初めて会ったときには既に鎧だったからな」 「だからなのかな。鎧でも生身でも、ちゃんとボクのこと好きでしょ」 「………それはまあ、」 「兄さんとかウィンリィとかばっちゃんとかがね、どんな姿でもボクのこと好きでいてくれるのは当たり前っていうか、ボクだってあのひとたちがどんな姿になったって好きですけど、でも他人のひとで、人間じゃなかったボクに、キスしたのって大佐だけですもん」 変態ですよね、と笑う青年にがっくり項垂れ、ロイは呻く。 「変態って君な……」 「だって無機物で子供で男ですよ。すっごい変じゃないですか」 「……………。」 「でもそういうとこが好きです」 あーうー、と呻く黒髪の大人にアルフォンスはきょとんと首を傾げる。ロイは頬杖を付いて半ば口元を隠し、左手の人差し指をぐるぐると回した。 「あー、アルフォンス」 「はい?」 「それでは君は、私が鎧の君より今の君のほうがいいと言ったら好きじゃなくなるのかね」 「そのときは生身のボクが好きっていうとこを好きになります」 「……………。……鎧のほうが好きだったから鎧に戻ってほしいなと思っていたとしたら」 「戻りたくないんでご希望には添えませんけど、鎧マニアな大佐を好きになることにします」 「鎧マニ……い、いや、えーと、ではもし君を嫌いになったら? 君を嫌いなところが好きになるのか」 「あー……」 アルフォンスは斜めに視線を馳せて呟いた。 「嫌われてるのに好きなのは辛そうだなあ……」 「……君、一度好きになった人間に嫌われたことがないだろう」 「そうですね。あんまり人付き合いないから」 「そうか?」 「ええ。兄さんの知り合いとかは多いですけど、ボク個人の友達とかは、あんまり」 言って、アルフォンスは肩を竦めた。 「まあ、そのときは潔く振られたもんだと思って諦めます。傷心を慰めてくれる女の子とか探します」 「切り替えが早いな」 「失恋の特効薬は新しい恋です」 「……ちょっと待て。君、私が初恋ではないのか」 「そんなわけないでしょ」 失礼な、と唇を尖らせた青年にロイは僅かに固まった。アルフォンスは指を折る。 「ボクの初恋はウィンリィですよ、兄さんと一緒に即振られたんですけど。あとリゼンブールにいた頃も好きな子はいたし、パニーニャもちょっと好きだったなー。あとランファンも凄い可愛い子だったけど、リンがいたからどうしようもなくて。それから中尉も好きでした」 「は!?」 ちょっと待て、と焦りを滲ませて身を乗り出した恋人に、なんですか、と青年は首を傾げる。 「まさか私と別れたりしたら中尉に靡こうなんてことは」 「あ、いいですね。あのひとほんとに三十歳なんですかってくらい綺麗だし、フリーなんですよね、今? 仕事とかにはボク理解あるし、家事も大分上手くなってきたからいい主夫になれ」 「ふざけるな若造! 君になぞ中尉はやらん!」 「ってなんで大佐が怒るんですか。ていうか嫉妬するとこ間違えてませんかそれ」 「間違えてなどいないぞアルフォンス。大体君、彼女とどれだけ年が離れていると思っているんだ。そんな青二才で地位もなければ金もないしがない錬金術師なんだぞ君。そんな甲斐性なしに中尉がやれるかバカ」 「バカにバカって言われると傷付きます。どこのバカな父親なんですかあなたは」 ていうかなんか兄さんそっくりだ、とぼそりと呟いた言葉を聞き逃さずに、ロイは眉を顰めた。 「……なあ、アルフォンス。前から訊きたかったんだが」 「はい」 「君、鋼のと私とどちらが好きなんだ」 「兄さんに決まってるでしょ。大佐なんか足下にも及びませんよ」 期待を打ち砕かれたのかげんなりと肩を落とす、先程まで愛する副官のために恋人をこき下ろしていた黒髪にアルフォンスは「良かったですね」と抑揚なく続けて切り抜きを終えた新聞を畳んだ。 「なにがいいんだ。あんな弟バカに負けたんだぞ」 「だってこれからもっと好きになる可能性があるってことだし、大体大佐、ボクが兄さんより大佐が好きです物凄く愛してます捨てられたら生きていけない、なんて言ったらすっごく負担になるでしょ」 ふ、と、黒い瞳からわざとらしく戯れていた色が抜けた。素の色になってしまったその眼に、アルフォンスは笑う。 「違いますよ、だからわざとそう言ってるってことじゃなくて、ボクは大佐がいなくても大丈夫です。大佐がボクがいなくても大丈夫なのと、同じ」 「………アルフォンス、」 「兄さんがいなくなったらボクは凄く辛いっていうか、もしかすると生きていけないし、兄さんだってボクがいなくなったらどれだけダメになるんだろうって思うと心配で仕方がないんですけど、でも大佐はそんなことないから凄く安心なんです。のんびりできる」 そういうとこも好きです、と呑気に笑った青年に、ロイは脱力してソファへと沈んだ。 「なんだか寂しいなあ」 「熱烈に愛して欲しいんですか?」 「熱烈に愛してもらうのもまた気分はいいんだぞ」 「でも面倒くさいんでしょ」 「面倒なことはたしかに増えるがね」 「じゃあ大佐がボクを熱烈に愛してくれればいいじゃないですか」 ロイは何かを考えるように視線を彷徨わせ、ふっと肩を竦めた。 「面倒くさいな」 「恋することを面倒くさがるとロクなことになりませんよ」 「君だって面倒がっているんだろうが」 「違いますよ、真剣です。全身全霊で恋してますよ。浮気の影もありません」 ひょい、と再び飛んできた紙飛行機を掌に受け止めて、ロイはかりかりとこめかみを掻いた。 「………なるほど、恋に夢中になっていないだけの話か」 「ええ、まあ。他に楽しいことがたくさんあるので」 「恋にばかり気持ちを割いていたのではもったいない?」 「ボク欲張りなので」 「知ってる」 薄く笑い、知ってるよ、とどこか深いところで理解を示したロイに、ああこういうところも好きだなあ、とアルフォンスはへへ、と笑う。立ち上がり近付いて来たその掌が、頬を包み撫でた。 「まあ、錬金術やら友達やら猫やらなにやらに浮気をするのはともかくとしてだ」 「はい」 「今は私といるのだから、恋に夢中になってくれてもいいんじゃないのかね」 「いいですよ。レシピの切り抜きも終わったことだし」 「………料理のレシピに浮気してたのか」 「キャラメル・レザンですよ。好きでしょ、レーズン」 「ショコラ・レザンのほうが好きだ」 「後でレシピ探しておきます」 言いながらゆっくりと額が寄せられ、乾いた唇が触れた。アルフォンスは小さく笑って、離れて行くその唇に、ちゅ、と可愛らしく音を立てて口付けた。 |
■2005/8/6 アルはキャラメル。でも大佐はチョコレートのほうが好き。焦げた砂糖と蕩ける砂糖。
アルをしっかり男だと認識している大佐が書いてみたかった。しかし恋愛的ロイアルの大佐はなんかこう、変なひとになりやすいんですが何故だろう。…変態だからでしょうか(こら)
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