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死体袋に自分が納まっている夢を見た。 「よう、聞いたか、ブレダ准尉。例の焔の中佐殿が来てるらしいって」 あー吃驚したあー吃驚した、と胸を撫で下ろしながら交代の時間までの仮眠から目覚めたハボックは、ぼそぼそと囁く戦友の声に起き上がらないまま耳を澄ませた。まだ外では昼の音がするのに薄暗い閉め切られた狭い天幕の隅で、ハボックがまだ眠っていると気を遣っているらしい戦友のぼそぼそとした声は続いている。 「いよいよ総力戦っつーとこかな。参るよなあ、イシュヴァールみてーに後ろからばんばん火ィ吹かれたんじゃ、俺らまで黒焦げになんじゃねーか」 「………いや、単に効果の問題だろ。焔の錬金術師の名前はかなりの威圧感がある。実際に出陣することはねぇだろうよ、仮にも佐官だぞ。それにイシュヴァールであの錬金術師が敵味方なく焼き尽くしたっつーのは流言飛語の類だ」 答える声はたしかハイマンス・ブレダとか言う名前だった気がする。地位はハボックと同じ准尉で年齢も同じだが、自らの隊が上官を含め全滅したとかでこの部隊に配属されて来たのだ。 負傷でもしていれば本国へ戻れたのだろうが、どれだけ運がいいのか(むしろ悪いのか)隊は全滅したというのにこのブレダという男は無傷で、無傷な以上既に人手の足りなくなり始めているこの前線から帰れるわけもなく、結局不幸なことに戦線に残されてしまったのだ。 長身のハボックの肩までしか届かない、堅太りした猪首のあまり目付きのよくないこの男は適度に下品で適度に口が回りあっという間に部隊に馴染んでしまったが、ハボックはまだそれほど話をしたことはない。しかし仲良くなりたいかと言えば正直どうでもいい感が強い。 そんなことを考えながらハボックは戦友とブレダの声をぼんやりと聞いた。 「なんだ、随分あの中佐の肩持つな。ファンか?」 「馬鹿言え。士官学校の先輩なだけだ」 「ああ」 戦友が頷いた気配がする。 「知り合いか」 「っつーほどでもねぇかな。だが無駄なことはしねぇ頭のいい先輩だったもんでな、味方を減らすなんつー馬鹿なことは似合わねぇと思っただけだ」 ほー、マスタング中佐の後輩。 ハボックはもぞりと寝返りを打ち、ぴたりと止まった会話に更に寝たふりを続けようかとも考えたが、ニコチンの誘惑に耐え切れず結局寝袋から身を起こした。 「もちっと寝とけよ、ジャン。うるさかったか?」 「いんや、煙草」 言いながら内ポケットへと手を差し込み掛け、ハボックはそこにある箱が空であることを思い出して舌打ちをした。 「………切れてたんだった」 「やんねぇぞ」 「一本くらい恵んでくれ」 「おめーは一本じゃ済まねーだろーがよ、ヤニ中」 ハボックは再び舌打ちをする。煙草が切れると柄が悪くなってしまうのは自分でも悪い癖だと解ってはいるが、この苛立ちはどうしようもない。ニコチン中毒なのだ、重度の。 「誰かいねぇかなあ、外に」 「下手に出てくと使われるぞ。部隊の組み直し中だ」 「………なんかあったのか?」 僅かに天幕の合わせを開いて昼の光を入れた戦友が肩を竦めた。 「国家錬金術師殿と一緒にお偉いさんが何人か入ったからな、上官方の寝床作りだよ」 「こんな状況の悪い戦線になにしに来たんだよ」 「焔の錬金術師殿のネームバリューに頼ろうってんだろ」 ハボックは思わず苦笑した。 「そりゃブレダ准尉の受け売りだろーがよ」 「………聞いてたんならそう言え」 「ゼラルド曹長」 戦友の名を呼んだブレダへ、ハボックは目を移した。ブレダは放置してあったハボックの腕時計を示し外へと顎をしゃくる。 「交代時間だ」 「お、もうそんなか。んじゃな、ジャン、ブレダ准尉」 天幕を捲って出て行く戦友を見送り、ハボックは黙っているブレダへと目を向けた。 ブレダは変わらずに無言でだらしなく開いた軍服の懐へ手を差し込みなにかを取り出し、ハボックへと投げる。反射的に受け取ったそれは未開封の煙草だ。 「くれんのか?」 「大事に吸え、ハボック准尉。もうそろそろ補給線が切れるからな」 なんだかさらりと物凄く嫌なことを言われた気がする。 「………よく聞こえなかった」 ブレダは天幕を引き日の光を入れ、傍らにぐしゃぐしゃにまとめてあった地図を引っ張り出して広げた。 「ここが補給線」 「……おう」 「俺が敵ならこっちの荒野を回って、ここを叩く」 「…………。……おお」 「補給部隊は一個中隊だ。この間の襲撃がフェイクだとして、あちらさんの部隊ふたつがこっちから回って襲撃したとしたら、切れるだろ? 補給線」 「……………。……おお……切れる……」 ハボックは呆然と地図を見た。 「な、なんでこんな単純なミスを」 「最初はいたんだよ、ここに。うちの部隊が。でも人手が足んなくなってこっちに引き籠もったからな、戦線が崩れたんだ」 「補給線が途絶えてんのにまだやる気なのか、上は」 「そのためのマスタング中佐だろう」 「アンタさっきあのひとは出ねーっつっただろうよ」 「出るふりくらいはすんだろうさ。それにあの中佐殿は目立ちたがりで堪え性がねぇからな、戦況が悪いと解れば振り切ってでも出るだろうよ。悪名高き英雄殿だ」 「……ただの先輩にしちゃあ、よく知ってんじゃねえの」 「お前もな」 にやり、と笑った三白眼に、ハボックは呆然としながらも無意識にフィルムを剥がし箱を開けくわえ掛けていた煙草をぽろりと落とした。 「………なんのことッスかね、ブレダ准尉?」 「『あのひと』なんて呼んじゃあ駄目だろうがよ、ハボック准尉。隠す気ならな。大体、お前自分で思うよりも目立つんだ。マスタング先輩の忠犬、煙突男っつったら士官学校の名物だったんだぞ」 「あー……そう」 やれやれ、とハボックは肩を竦めた。 「同期か、アンタ」 「知らなかったか?」 「アンタは目立たないお人だったってことだ」 「まーな。成績も大してよくなかったしな」 「わざとか」 「あん?」 「そんだけ頭回るくせして、わざと目立たねーようにしてたのか」 「お前の飼い主に聞け」 くっく、と喉を鳴らす所作を見て、ハボックは額を抱えながら落とした煙草を拾いくわえた。 「見掛けに寄らず喰えない男だなあ」 「俺なんか可愛いもんだろ、忠犬」 「イヌイヌ言わんで欲しいんスけど」 「でもあの中佐殿の腹心候補だろう」 ハボックは肩を竦める。 「あのひとの下に配属されるとは限らない」 「そんなところで手抜かりするような先輩じゃねぇだろう。わざわざ飼い慣らした忠犬が他に持ってかれるのを指をくわえて見ているほど欲のないひとでもない」 だからわざわざ出て来たんだろう。 ハボックは煙草に火を付け、黙って燻らせた。 「………やっぱ、そういうことなんだろうかねえ」 「そういうことなんだろうよ。手を上げなきゃ東方で手一杯のひとがわざわざこっちに援軍に来るなんてことにはならねぇはずだろ。国家錬金術師なら他にもいる」 「けど、あのひとの手柄にはなるよなあ?」 「手柄にするだろうさ、抜かりなく。でも願わくばもうちょい早く出て欲しかったな。うちの部隊が全滅する前に」 ハボックはブレダを見た。つまらなそうな顔をしてだらしなく胡座を掻いている男は刈り上げたダーティブロンドをさくさくと音を立てて撫でた。皮脂と乾いた汗のにおいがする。 「………なんで全滅したんだ? っつーか、なんでアンタだけ無傷なんだ」 「そりゃー俺が部隊長に嫌われてたからだ」 「はあ…?」 ブレダは憮然とした顔で溜息を吐いた。 「作戦に不備があると言ったんだ。それではみんな死ぬってな」 「………ほー。アンタんとこの部隊長っつったら、確か少佐」 「二階級特進で大佐だ。プライドばっかり高くていけねぇ。作戦から俺だけを外しやがった」 俺が行けばせめて半分は生きて戻せただろうに。 ハボックは無言でぷかりと煙を吐いた。こんなときでもニコチンは旨い。 もしかして、とハボックは思う。 さっきの夢で、死体袋に納まっていたのは、俺ではなくて。 こいつの漂わせる死の臭いが。 「なあ、ブレダ准尉」 「あん?」 「多分前線に出ることになるから、遺書書くなら今のうちッスよ」 「はあ?」 ハボックはにやりと唇を歪めて笑った。 「あのひとが出て来たんなら、俺のいる部隊を真っ先に使う。間違いなく」 ブレダが苦笑を浮かべた。 「お前のとばっちりで小隊長以下32名、全員死にに行けってのか」 「運命共同体ってヤツじゃねぇ?」 「納得行かねぇ」 言いながらげらげらと笑って、ブレダは二本目の煙草をくわえたハボックの肩を小突いた。 「大事に吸えっつったろうがよ」 「焔の中佐殿がさっさと終わらせてくださる予定なんで」 平気ッス、と言ってのんびりと笑うとブレダはまたげらげらと下品な声で笑う。ハボックはくわえ煙草の唇に笑みを刻んだままそっと胸を撫で下ろした。 こいつは軍人だ。 初めての戦場で部隊を全滅させられたったひとり生き延びて、その精神の痛手を癒す間もなく戦場に取り残された男だが、それでもこいつは軍人だ。士官学校の厳しい訓練を全て余すところなく吸収し、血と肉と精神にした男だ。 この男は仲間の死を悼んだとしても、それで病み付くことはない。 こうして軽口に笑いながらも、きっと頭の中では手榴弾の残数を数えている。 ふいに、天幕の外で上官が喚く声が聞こえた。集合しろと怒鳴っているように聞こえる。 「お偉いさんの訓辞でもあるのかね」 「そんなもんいいから寝かせておいてやりゃあいいのに」 やれやれと嘆息しつつ立ち上がるブレダの軍服を、ハボックは腕を伸ばして掴んだ。 「上着の前、締めておかんと殴られるぞ。うちの小隊長、そういうとこは厳しいおひとだから」 「………面倒臭ぇなあ」 ぶつぶつと文句を言いながら軍服を整えるブレダに笑い、身を屈めて天幕から顔を覗かせたハボックは横から伸びてきた太い指に煙草を奪われた。 「上官の訓辞を聞くのにくわえ煙草はねぇだろう、ハボック准尉」 「…………。……面倒臭ぇなあ」 「ほんとになあ」 くっく、と笑い合い、二人の准尉は駆け足で流れて行く人並みを、ゆったりとした足取りで追った。 |
■2004/7/4 書き直したい。(いきなりそれですか)
とっても捏造です、いつもながら。以前雑記で言ってた「嵐(仮)」とは別の話。
少尉コンビはとても好きなんですけど二人とも別のひとになった気がしてならない。…………。……新兵の頃ということでお目溢しをお願いします(おい)。
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