「父さん」
声に顔を上げ頬を崩し、エドワードは扉の隙間からひょこりと顔を覗かせた息子を手招いた。
いつもは入ってはいけないと言われている書斎が珍しいのか息子はきょろきょろと見回しながらやって来て、ぼふ、と椅子に座ったままのエドワードの腰に抱き付く。
「何してるの? ……誰の写真?」
「父さんの弟だよ」
「弟?」
「お前の叔父さんだな」
「ふうん…どこに住んでるの?」
エドワードは金髪に包まれた小さな頭蓋骨をわしわしと撫でた。
もう10歳になるというのにまだまだ小さな体の息子はまるでかつての自分のようだが、それをからかわれてもこの子供はつっかかることをせず笑って受け流し、帰宅してから真剣な顔で牛乳を飲むのだ。
その負けん気の強さと誇り高さに弟を見て、エドワードは目を細めて写真立てを置いた。
「どこにもいないよ。もう死んでしまったんだ。24歳のときにな、お前のおばあちゃんと同じ病気でね」
風邪ひとつ引いたことのなかった弟は、あの年に流行った病であっさりと倒れた。気付いてやれなかったエドワードを責めず、ただ笑って、ごめんね兄さん、凄く苦労して身体を取り戻してもらったのにね、と言って。
写真立ての中の17歳の肉体を持つ24歳の弟を凝視している息子の肩を抱き寄せて、エドワードは眼鏡の奥の目を細めた。
「………アルフォンス」
息子が見上げる。
「お前の名前はこいつからもらったんだ、アル」
息子は再び写真を見つめた。
その弟にそっくりな横顔を眺め、エドワードはふいに痛んだ胸に僅かに瞑目した。
後を追う気力さえなくしたエドワードを支えたのは、大方の、そしてエドワード自身の予想通り幼馴染みだった。そして不思議と交流の続いていた軍人たちと、旅の途中で知り合った友人たちと。
人間は独りで生きていけるようには出来ていない。
いつまでも孤独と絶望に沈んでいられる生き物では、ない。
いつまでも孤独と絶望に捕まっていたかったエドワードはその願い虚しく立ち直り、けれどその大半を過去の思い出に浸ることで生きている。
いつ見捨ててくれても構わない、と言うたび工具でどつきまわしてくれた妻は、アメストリスでも五本の指に入る機械鎧技師として錬金術にただのめるばかりのエドワードと一人息子を養っている。
「父さん。いつか天国でこのひとに会える?」
「……会えないな。天国はないから」
でも、とエドワードは息子のくりくりとした金眼を覗いた。
「アルは世界になったんだ。この空気や水や今朝食べた卵なんかも、こいつと繋がっているかもな。だから好き嫌いしないでなんでも食べるんだぞ」
「それは父さんだろ」
いっつも牛乳残すじゃん、と唇を尖らせる息子に父さんはでかいからいいんだ、とエドワードは至極真面目に返した。
「父さんがこれ以上でかくなったら困るだろ」
「大人なんだからもう伸びないでしょ!」
反論しながらもわずかに動揺している息子に笑い、エドワードは立ち上がった。
「飯に呼びに来たんだろ? 母さんが怒鳴り出す前に行くか」
うん、と頷きつつも息子は写真から眼を離さない。
「アル?」
「………僕、このひと知ってる気がする」
息子は顎に手を当てて真剣に考え込み、もう一度うん、と確信めいた頷きを見せた。
その、年に似合わぬ大人然とした聡明な瞳に息が止まる。
それはまるで17歳のときに10歳の身体を取り戻した、あの弟の、ような。
「きっと会ったことがあるよ」
「…………、……そうか」
うん、と満面で笑って、ああお腹が空いた、とぱたぱたと駆けていく姿はまるきりの幼い子供なのに。
「………アル?」
───お前、なのか?
小さな呟きに写真は答えず、ただ閉め切った書斎の空気が僅かに流れエドワードの頬を撫で、ランプの炎を微かに揺らした。
まるで、微笑みのように。
空気に水に、食べ物に。
光に。
空に。
思い出の中に。
────その血の中に、いつでも、幸いは。
エドワードは立ち尽くし、噛み締めた歯の合間からひとつ、嗚咽を洩らした。