ふわふわとしてどきどきとしてそわそわとしてしまう気持ち。 恋をする気持ち。 それはとても幸せな気持ちなのだと、どうもふわふわもどきどきもそわそわもしていなさそうな飄々とした顔で煙草を吹かしながら言った大人の蘊蓄を大して興味なく聞きながら、オレは(オレだって恋くらいはしているよ)と考えた。 じっと見つめられるとふわふわとする。 可愛い声で呼ばれるとどきどきとして。 その独特のにおいを感じるだけでそわそわとしてもう落ち着かない(パンツの中も落ち着かないって意味だよ勿論)。 オレの可愛いあの子は囚われの王子様(もちろんお姫様なんかじゃあない)。 鋼鉄の鎧の中で救いの手を今か今かと待ち望む、だけでは飽き足らず、オレの背をぐいぐいと押し振り向いて必死で掴まえておかなくてはすたすたと先へと行ってしまいそうな威勢のいいオレの右腕。オレの意義。 だからオレは必死でその手を掴まえて回り込んで通せんぼをしてオレの前を行くなと言ってオレが戻してやるからなと事あるごとに宣言してうんと言わせ、あの子を鎧に閉じ込める。 オレが戻してやらなくちゃ。オレがあの子を救う王様になってやるべきだ。 でなきゃあの子は自分でその殻を破ってどこかへ飛んで行ってしまうのだ。 オレの元を飛び立ってしまうのだ。 ああでも、そろそろ限界だ。 恋をしたいなあ、と未だ得ぬものへの憧れをうっとりと呟くその口調のままで、元に戻りたいなあ、とあの子は言う。 人間に戻りたいなあ、と、未だ得ぬものへの憧れを示すようなうっとりとした口調で、甘く、夢を見るように。 なあ、アルフォンス。 お前は人間だったよな。 お前は人間なんだよな。 叶わぬ夢を夢見るような、うつくしいものへの憧れのように、人間を夢見るのは止めてくれ。 じゃなきゃオレの繊細でぼろぼろで今にも千切れそうなこの弱っちい(腹立だしいほど貧弱な)神経はぶっつりと切れてしまいそうになるんだよ。 なあ、アルフォンス。お前は人間なんだよな。 お前はオレの弟だよな。 お前は血が繋がっているんだよな。 お前とオレは繋がっているんだよな。 お前は生きているんだよな。 お前はオレに残された最後の希望なんだよな。 なあ、アルフォンス。 生きていると言ってくれなきゃオレのこの熱は報われない。 生きていない鎧に欲を覚えているとは思いたくないんだアルフォンス。 オレは傲慢で嫉妬に満ちて何物も貪り欲を覚え生きることに怠惰で何物も欲しがり世の中に怒り狂っている天に唾吐く人間だ。 底抜けに汚くどうしようもなく愚かで救いようのない大馬鹿者だ(そんなことは昔から解っていただろうアルフォンス)。 衝動をどこへ逃がせばいいのか解らないんだよ、アルフォンス(お前に迷惑かけたくないんだこれが異常なことだってことはオレにだって解るのさ意外にまともなところもあるだろう?)。 なあ、アルフォンス。 アル。 アルフォンス。 お前を抱きたいんだよ、本当は。 だから早く受肉しろ。 オレの頭の中には人体錬成理論はずっとずっと収まり続けているのさ。 オレの夢の中に出てくるお前は年々年をとっているのさ。 だからオレは14歳のお前を正確にイメージ出来るんだ(悔しいことにオレより相当背が高いんだよお前は予想通りだろう?)。 だからあとは賢者の石があればいいんだ。それだけなんだ。 あの赤い石が欲しいんだ。 お前のために欲しいんだ。 それはオレのためなんだ。 お前を抱きたいんだ。 酷いことをしたいんだ。 お前を泣かせてやりたいんだ。 お前を笑わせてやりたいんだ。 そして一緒に嘆きたいんだ。 世の中はなんて暗く酷くて救いがないのだろうと共に嘆きたいんだよアル。 そうしたらお前はこう言うだろう。 元に戻りたいなあ。 はは。 元ってどこまで元なんだよ。(と、オレは妄想の中のアルフォンスを嘲笑した。) 兄さん、とアルフォンスが飛び上がる。ああなんて顔をしてるんだよ、アル(オレにはあいつの表情が解るのさ)。 なんだよ、アル。 (これ食べて!) チーズ? と、ピーナッツ? (早く食べて!) なんだよ、チョコレートも? いらないよ甘いものなんか。 (いいから食べて!) ああもう、解ったよ仕方がないな、アルは。 (食べた? よく噛んで) うん、なに? (アルはオレを毛布で包み込んで抱きかかえた。) (じゃ次は眠って) はは、赤ん坊みたいだ。 (子守歌も歌おうか) (アルは本当に子守歌を歌う。) (アルは歌が上手くてオレはとても眠くなる。) (可愛い声だな。) (オイルの臭いがするな。) (アルのにおいなんだよこれが。) (ああ、変な夢を見そうだ。) 実際変な夢を見て、オレはアルの腕の中で目覚めた。頭がすっきりとしている。身体も軽い。 「ああ、兄さん起きたね。体調はどう?」 「ん、平気だ。具合悪そうに見えたのか?」 「ていうか、すっごい凶悪な顔してた。3日くらい寝てませんて顔だったよ。苛々しててさ」 「ふーん?」 「やっぱりカルシウムは効くよねえ。兄さん、牛乳が飲めれば面倒はないのに」 「うっさい。代用品はあるんだからいーだろ。つか、お前いつもチーズとか持ち歩いてんの?」 「チョコレートもね。黒砂糖もちょっとあるよ」 アルフォンスは自慢げに胸を張った。 「万が一食べ物がないときでも低血糖だけは免れるよ、兄さん」 「………まあ、手っ取り早く身体動かすなら糖分だけどな」 「兄さんの体調管理はボクの仕事だもんね」 世話が焼けるんだもん、と笑うアルフォンスに、オレはちょっと苦笑した。 本当はカルシウム不足でも寝不足でもないんだけどな、アル。 けれどこのいつまでも青春のやってこない肉体のない弟にそれを言ってやっても仕方がないから。 「あー、ちょっと風呂行って来るわ、オレ」 「え、お風呂?」 「シャワー借りてくる」 「って、兄さん軍部のシャワールームって狭いし暗いしみっつにひとつは壊れてて水しか出ないからイヤだって言ってなかった?」 「背に腹は替えられん」 「………意味解んないし。いつもはお風呂嫌いなくせに」 だってパンツの中がごわごわしてて凄く気持ち悪いんだよ。 と正直に言うわけにも行かないので、まあいいだろたまには、とだけ言ってオレは着替えの納まったトランクをひっ掴んで立ち上がった。 「先に宿取りに行っててもいいぞ、アル。いつもんとこだろ?」 「あ、うん。…じゃあそうしようかなあ。資料室、ボクの分の閲覧許可は取れなかったみたいだから」 「あ、そうなのか?」 「うん。兄さんが寝てる間にね、ホークアイ中尉が知らせに来てくれた。2時から6時くらいまで兄さんだけならいいよって」 「そっか。んじゃオレは資料室見てから行くから、宿取っといてくれよ。あとはぶらぶらしてていいから。ほら、駅前の広場でなにかやってたろ。あれとか見てくれば」 「うーん…でも」 「お前見たそうにしてただろ。いいから行ってこいよ。で、面白かったら教えてくれ。明日一緒に見に行こうぜ」 そういうことなら、と言うようにうんと頷いた鎧の面に表情はないが、それでもオレにはアルが嬉しそうにしているのが解る。 「んじゃ、後でな」 「うん、後でね」 まだ床に座り込んだまま手を振るアルフォンスは本当に本当に可愛くて、オレはどうしたらいいのか解らなくなってしまうのだけれど、それでも幾分か熱が落ちたせいかアルフォンス曰く凶悪な顔、にはならずに済んだようだった。 表情の変わらないアルの表情はオレには解るのに、くっきりと表情の出るはずの肉の顔を持つオレのポーカーフェイスにアルはたびたび騙される。 素直で可愛いアルフォンス。 オレはひらひらと手を振って、じゃあな、と言って背を向けた。 やっぱり溜めるとろくなことはないのだけれど、アルの腕の中でぐっすり眠れたのだからそれはそれでいいのかもしれない。 とりあえず問題は。 シャワールームに先客がいなきゃいいなということだけだ。 兄さんは馬鹿だなあ、とボクは思う。 気付かないわけないでしょ。 腕の中に抱えたひとが、寝言でボクのことを呼びながら、もぞもぞと蠢いているんだから。 もう。お陰で万が一にも他の人に見つかったりしないように、眠ってしまってからも毛布でみのむしにしてだっこしてるはめになっちゃって、すっごく恥ずかしかったんだからね、このバカ兄。 ボクが元に戻ったら。 兄さんはボクに欲情するのだろうか。 多分しないと思うけれど(だって受肉したらボクは男の子だからね今はどちらでもないというか人間ですらないのだけれど)、もしそうなったらぶん殴ってやろうとボクは決めている。兄さんの目が醒めるまで、何度でも殴ってやろうと思ってる。 (だってそうしなきゃボクの繊細とも言えない前向きな神経が捻れて切れてしまいそうになるんだ。) ボクは、兄さん。 あなたと兄弟でいたい。 家族でいたい。 親友でいたい。 かけがえのない愛するひとでいたい。 恋は必ず終わるのだと。 黒い髪をしたあなたの上官が言っていた。 だからね兄さん。 あなたがもう少し大人になってその衝動も大人になるまで、ボクはもう少しこのままでもいいかなんて思い始めているんだ(それはちょっと危険な思考な気がするんだけどでも自分の身を守るためなのだから当然のことのような気もする)。 兄さんの苛々は食事や睡眠やマスターベーションで治まるものだけど、ボクの苛々はなにで治めればいいんだろう兄さん。 (ボクの繊細とも言えない前向きな神経は) ボクは早く元に戻るべきなんだろか。そして食事を取って睡眠を取ってマスターベーションすべきなんだろうか。そうすればこの苛々は治まるものなんだろうか(そしてそれは先程の考えと矛盾する)。 ねえ、兄さん。 賢者の石が欲しいねえ。 真理の欠片が欲しいねえ。 |
■2004/8/23 気が狂った話ではなくて単に溜まってたんですと言う話(下品)。
ところで松本大洋とは全然関係ないです青い春。
■NOVELTOP