がさがさがさがさ。 掻き分けても掻き分けても一向に脱出できない緑の中で、エドワードは草いきれにだらだらと流れる汗を拭い天を見上げた。同じ角度で上向いた黄色い大きな花は皆やや南を見上げていて、そちらに視線を向ければ黄色の隙間からきらきらと光る太陽が覗く。 エドワードはちっと小さく舌打ちをして再びがさがさと緑を掻き分けた。 「アールー!! どこだー!?」 「ボクこっち、兄さん!」 「こっちってどっちだ!?」 「こーっちだってば違うそっちじゃない!! もうっ兄さん動かないで!」 遠くからの叫びにぴたりと動きを止めれば、ああ違う動いて動いて! と可愛らしい声が騒ぐ。 「どっちだよ!」 「動かずに動いて!」 「なんの話だ!?」 「だからー、そこの場所にいるまま動いてって言ってるの!」 ああなるほど、と頷きエドワードは向日葵の茎をゆさゆさと揺らす。がさがさと音がするたびに、青い匂いがむっと鼻腔を強く満たした。 「あ、兄さん見つけた!」 がさがさわさわさと向日葵を揺らし続けていると、ざざ、と大きく掻き分けられた茎の向こうから鈍色の巨体が姿を現した。見上げた面をきらりと太陽に光らせて、アルフォンスは安堵したようにほっと肩を落とす。 「もー、近道しようなんて言うから!」 「だってお前、ここ突っ切ればもうすぐなんだぞ」 「けど却って時間掛かっちゃったじゃないか。兄さん小さいんだからこのくらい予測し」 「小さい言うな!」 「普通のひとなら迷うってばこれは。ボクでも顎まで隠れるんだから」 言いながら、よいせ、と襟首を掴まれてエドワードは大きく腕を泳がせた。 「おおお、おいなんだ!?」 ぐんと視点が高くなり、気付いたときにはその大きく広い肩に乗せられたエドワードは、膝から下を被う黄色い海にぽかんとした。 「よし、これなら迷わないだろ?」 兄を肩車した鎧は、がさがさがしょがしょと海を掻き分け目的の方向へと進んで行く。 「兄さん、ボク熱くない?」 「いや、大丈夫」 「火傷する前に言ってね」 「熱くねーって。もっと日当たりがいいとこで日向ぼっこでもしてんならともかく、そんなに日差し強くねえよ、もう」 足下を見下げれば伸びる緑の茎の中を極力折らないよう、弟がゆっくりと歩く様が見える。それでも振り向けばアルフォンスの通った跡は(そして先程己の掻き分けた跡は)道になっていて、エドワードはありゃ、と首を竦めた。 「ここって誰かの持ち物かな」 「うーん、凄い向日葵畑だもんねえ。自然のものじゃないかもね」 「見つかる前に行こうぜ、文句言われそうだ」 「兄さんのせいじゃん」 「一蓮托生」 「やなこと言わないで!」 まったくもう、とぷんぷんと憤慨する鎧に笑い、エドワードはふと目に付いた綺麗に咲き切った小振りの花をひとつぶちんと鋼の右手でもぎ取る。弟の兜に腕を乗せて太陽に翳しながらくるくると回すと、太陽の光を半ば透かした小さな花びらはきらきらと光った。 「………なに?」 ふいにくるくると房飾りをいじられて、アルフォンスが顔を上げる。 「動くなって、……よし」 ごん、と機械鎧の右手で兜のてっぺんを叩き、エドワードはにっと笑った。 「似合う似合う」 「って何してんのちょっと!」 「あ、取るなって!」 「房が絡まっちゃうだろ!?」 「って落ちるっつーの! 暴れんな!!」 房飾りに括られた向日葵にわたわたと慌てるアルフォンスの兜をもう一度、今度は拳でがいんと叩きエドワードは進行方向を指差した。 「オラ行くぞ進めー」 「ちょっと、ボク兄さんの乗り物じゃないんだけど!」 「今はまさに乗り物だ」 「落とす。置いてく」 「ごめんなさいアルフォンス君! 早く行こうぜ、腹減った」 うもー、と不満げに呻きながらアルフォンスは再び歩き出した。エドワードは笑いながら兜の上へと頬杖を突いて、端が近付いて来た黄色い海を眺めた。 リゼンブールの向日葵畑で。 この鎧の弟が緑の深海に呑まれ溺れたのはもう、随分と昔で。 きっと憶えてねえよなあこいつ3歳とかだったもんなあたしか、と考えながらそのどこか幸せな思い出に浸っていた弟を捜して自らも緑の中へと駆け込んで二次遭難に遭った兄は、ねえ、と小さく傾げられた兜にぐらりと揺れて慌ててしがみついた。 「な、何だよ」 「昔さあ、ボクら向日葵畑の中で迷子になったことあったよねえ」 兄さん憶えてないかなあ、と楽しそうに言う声は、あの日泣いていた幼子のものより遙かに大人びて。 「兄さんとはほんと偶然会えたんだよね、たしか。でも二人して泣き疲れて眠っちゃったみたいで、夜になってからようやく見つけてもらえたとかってさー。ボクら気付いたときにはベッドの中で朝だったけど、見つかんなかったら向日葵畑で子供が遭難なんてシャレにならないことになってたって、ばっちゃんが笑ってた」 「………すんげえ怒られたんだよな」 「うん。後から聞いたけど、ボクらを捜すために向日葵畑、相当刈り取っちゃったらしいよ。言われてみればあの後畑が禿げてた気がする」 「うわ、そーなの?」 「うん」 「アル、よく憶えてんなあ。お前まだちっちゃかったのに」 「前はそんなでも無かったんだけど、」 この身体になってからね。 「色んなこと思い出すからさ」 「─────、」 僅かに、気温が落ちた気がした。 その不吉な気配に無理に笑おうとした兄を余所に、弟はのほほんと続ける。 「記憶力がよくなったのかな。便利だよね。思い出して良かったこととか忘れて困りそうなことはメモしてるんだ、ボク」 生身に戻ったらまた忘れちゃうかもしれないからさ、と楽しそうに言う鎧は歩くたびにがしょんがしょんと揺れて、馬車や列車に乗り慣れない者なら酔いそうだ。 エドワードは兜へと両腕を置き、ぺったりと顎を乗せた。火傷をするほどではないが、太陽に照らされた鉄が温かい。 「んじゃ、思い出せねーことはお前に訊けばいいわけだ」 「ボクが知ってることならね。───あ、出れたよ、兄さん」 がさ、と最後の茎を掻き分けて畦道へと出たアルフォンスは、溜息のようにふう、と声を洩らして肩を上下させ、エドワードを下ろした。 「お疲れ様でした。これに懲りて変な近道はもうしないこと! 急がば回れだよ、兄さん」 ぴこぴこと人差し指を振る鎧の、その兜には向日葵が括られている。 多分忘れているんだろうな、と考えて、記憶力は増したくせにところどころが抜けている弟にこっそり笑いエドワードははいはいと頷いた。 「んじゃ、行くかー」 「うん」 がしょんがしょんと、向日葵を付けた弟が追って来る。エドワードは向日葵と同じ角度で太陽を見上げた。 あの太陽に追いつけなくても構わない。 見上げ、首を巡らす向日葵で構わないから。 決して、あの光を見失わずにいられればと。 がしょんがしょんと付いてくる、鎧が太陽に光っている。 |
■2005/8/11 アイラーヴァタ/Airavata
「大海から生まれたもの」の意。アイラーヴァナ。インドラ神の乗っている白い象。別名アブラマータンガ(雲の象)/アルカソーダラ(太陽の兄弟)/ナーガマッラ(象の力士)など。話と全然関係ないタイトルに…(俯き)
えーとまあ、兄さんはアルがとても好きだと言う話。(そうなのか)
■NOVELTOP