「何故君が私の部下に指名されたか知りたいか?」
 三日前の辞令でリザの上司となったばかりの男(少佐相当官国家錬金術師資格を持つため士官学校を出たばかりのくせに佐官の男)は口元に微笑を浮かべてそう言った。
 特に興味はなかったが言いたいのだろうと思ったので、リザは「はい」と従順に頷く。
 ロイ・マスタング少佐は笑顔を浮かべうん、と頷き返して(そんな学生みたいな顔で笑わないで欲しい。まだ22歳とはいえ少なくとも自分よりは二つも年上で、仮にも士官なのに)、手元の書類から顔を上げてリザを見た。
「私が将軍に頼んだのだよ、ホークアイ少尉。君を副官に欲しいとね」
 それは「何故」には相当しない答えだ。
 なのでリザは上司の発言を繰り返すことを承知した上で言った。
「何故私を?」
「うん」
 上司はまた笑う。整った顔に整った笑顔で、この司令部内でも結構な数の女性がころりと騙されていることをリザは知っている。
 別に女たらしでも構わないが、勤務時間内に職場で女を喰うのはいただけない。近いうちに止めてもらうよう進言しなくてはならないかとも思うが、あっさり上層部にばれて醜聞で失脚するならその程度の男なのだからもう少し様子を見ても構わないかとも思っていて、結局リザはこの三日間、この男の従順な部下だ。
「つまらなそうだったからね」
 上司はよく解らないことを言った。
「………つまらない女だから、と言う意味ですか?」
「いや、つまらなそうな顔をしていたからね」
 上司はにやり、と口角を吊り上げた。それだけで笑みの印象が年相応に粗野に変わるのをリザは無感動に見る。
 名門の出というわけでもない上司だが、高い地位に就くのだから少し勉強してもらう必要がありそうだ。どれだけ女あしらいが上手くとも、上層部に受けが悪いようではこの男についていかねばならない自分の出世も望めない。
 鉄面皮の裏でそんなことを考えているリザに頓着せず、上司は両手で頬杖を突いて(子供じみた真似はしないでほしい)嘯いた。
「そのくせとにかく何かに噛み付きたくて仕方がないという顔をしていた」
「………それほど飢えてはいないつもりですが」
「でも野心は強そうだ。けれど頭では半分諦めていて、しかし気持ちがついていっていない」
 上司はまたにんまりと笑ってリザを見つめた。
「そうだろう?」
 体力測定はC、射撃はC−、格闘はC+、知能はA+、学力はS、の。
 明らかに錬金術だけでこの地位を獲得した男が、リザを嗤う。
「私は軍人ですから、命令に従うだけです。野心など」
「うん、捨てたか」
「もともと持ち合わせておりません」
 ふうん、と呟いて、上司は頬杖を止め椅子に深く沈んで足を組んだ。サボっていないで仕事を片付けて欲しい。
「女性は大変だなあ。男社会では野心も抱けない」
「女性蔑視ですか」
「私はフェミニストなのでね。まあ、差別主義者ではあるんじゃないかな」
「そうですか」
「それだけかね? もっと罵られるかと思ったが」
 上司を罵るなど出来るわけがない。
 リザは上司の整った、まだ十代の子供にも見える童顔を見つめた。
「あなたがフェミニストだろうと女が出世出来なかろうと、私には大して関わりのないことです」
「君は女性だろうに」
「私は女である前に組織の歯車です」
 おやおや、と上司は大袈裟に肩を竦めた。
「心にもないことを言う」
「何故そう思われるのです」
「君は野心が強いに違いないからさ」
 にやにやと嗤い、上司は椅子から立ち上がり執務机を回ってリザへと近付く。
 まるでキスをするように、軽く傾けられた整った鼻と黒い切れ長の眼が近付くのを、リザは無感動に瞬き少なく逃げもせずに見ていた。
「男であればよかったと、思ったことはあるだろう?」
「あります」
「どんなときだ?」
「女ではどれだけ鍛えようとも男性ほどのスタミナを得ることが出来ません」
 くっ、と鼻先5センチのところで上司が笑った。くしゃくしゃの笑顔は男の子のようだが、リザを薄く見る目が真っ暗でまるで穴のようで、 
 
 ぞくり。と。
 
 背筋に怖気が走る。
 この男はどこか、まともではない。
 
 上司の首筋から香水の匂いが立ち上る。顔色は白いままだが、喋ったり笑ったりしている間に僅かに脈拍と体温が上がった証拠だ。
「しれっと嘘を吐くんだね。私よりも嘘が上手いかもしれないな」
「嘘ではありません」
「でも本当でもないな。それは嘘と大して変わりない」
「本当です。……他にどんな返答をお求めなのですか」
 上司はふと笑みを収めて軽く眉間に皺を寄せた。
「希望通りの返事が聞きたいわけじゃないよ」
「そうは思えませんが。私になにを求めてらっしゃるのです」
 上司の眉間の皺が深くなった。リザは崩れない表情の裏で、意外に扱いにくいこの上司の評価を調整している。
 知能はA+、学力はS。
 
 能ある鷹は爪を隠すというけれど。
 
 この男の知能は、数字よりも上か、下か。
 
 上司が僅かに顎を上げて1センチ、リザの顔に近付いた。呼気が触れる。
「………キスをしても?」
「恋人がいますので、お断りします」
 上司が変な顔をした。驚いたのか、反射的に顔が10センチ離れる。
「………君に恋人?」
「おかしいですか」
「おかしいというか、有り得ない」
 いるんだから仕方がない、と返したいところを我慢して、リザはふ、と小さく溜息を吐き抱えていたファイルをとん、と上司との距離を隔てるように机に突き揃えた。
「いつもあまり長続きはしませんし、今回もそろそろ破局だとは思いますが、今のところまだ続いています」
「って、今まで何人もいたのか? 君に恋人が?」
 身を起こして呆れたような驚いたような顔のまま見下ろしている上司をリザは見上げた。
「私にも人並みに性欲はあります」
「性欲、って」
 上司は天井を仰ぎ片手で額を抑え呻いた。
「………二十歳の女の子が性欲とか言うなよ……」
「少佐は女性に夢を見過ぎなのでは」
「君が変なんだ!」
「二十二歳で職場の女性とあらかた関係を持っている方に言われたくはありません」
 ああ、と上司は苦笑した。
「いつ言われるかと思っていたが、やっぱりまずいかな」
「スキャンダルで失脚したいのなら私が転属願いを出してからにしてください」
「手厳しいな」
 リザは僅かに首を傾げる。
「……勤務時間外に、プライベートで軍とは無関係の方とお付き合いなさる分には、何も申しません」
「ほう、寛容だね」
「代替であれ、欲求は発散なさったほうがよろしいでしょうから」
「……………」
 ぽかん、と間抜けな顔で上司がリザを凝視した。
「……あれ、ええと、私は君に焔を錬成するところを見せたことがあったかな?」
「いいえ。まだ見せていただいたことはありませんし、偶然見た、ということもありません」
「じゃあ、何故?」
「何故、とは」
 上司はぱちぱちと瞬いて、まじまじとリザを見つめた。
 深く唸るように嘆息が洩れる。
「………ホークアイ少尉。君、ひとを殺したことはあるか?」
「犯罪を犯そうとは思いません」
「戦場には出たことはないんだったよな?」
「あなたと同様、先日士官学校を出たばかりの新兵です」
 ふうむ、と再び唸り、上司は腕を組んだ。
「なるほどね」
「………何を納得なさっているんです」
「いや。……あのね、少尉」
 リザは僅かに乱れ掛けていた従順を取り戻し、はい、と返事をした。
「君の性欲の話なんだが、それ、性欲じゃないから。多分だが」
 首を傾げるリザに、上司は至極真面目に続けた。
「君、早いところ誰か殺してみたほうがいいと思うよ」
「………犯罪者になれと?」
「いや、機会なら近いうちにあるから」
 上司の瞳がわずかに細められ、人当たりのいい童顔にほんの少し、怜悧な欠片が見え隠れする。
「イシュヴァールにね、国家錬金術師が投入されることになった。殲滅戦だそうだ」
「……………」
「当然私の部隊も赴くことになる。もちろん、私の副官たる君もだ」
「そうですか」
 うん、と頷き、上司は僅かにリザへと顔を近付け低い声を一段と落とし、囁く。
「そこで、私は私の力を使い、充分に軍功を上げてイシュヴァールを鎮圧した後には中佐になる。……予定だ」
「……………」
「君もね、出来るだけ手柄を上げておきたまえ。掠め盗れる手柄なら、私から奪ってもいい。もちろん他の連中から奪っても構わない。多少の誹りなら私が黙らせよう」
「不埒なことを唆さないでください」
「君のために唆しているわけじゃない。私のために必要なんだ」
 顔が近付く。
 今度こそキスをされるのかと半分諦めたリザの唇には、呼気は触れても膚は触れない。
 
 低く微かな、ほとんど音のない声が、息で意味を伝える。
 
「大総統の右腕ならば、将軍にはなってもらわなくては、困るよ」
 
 戯言。に。
 背筋が震えた。
 
「………キスはしないのですか」
 まるでねだっているかのようだ、と思いながら確認をしたリザの唇に、ふっと笑みに洩れた息が掛かる。突き合わせていた額が離れた。
「部下と恋仲になるつもりはないな。恋愛関係はいずれ終わるものだ」
「同感です」
 片眉を上げた上司が可笑しそうに薄く笑う。
「さて、仕事を片付けようか。今日は定時で上がってデートなんだ」
「今日に限らず、いつでも終業後の予定は詰まっておられるのでは」
「仕方がない。腹の中で火が燻っているんだ」
 
 ああ、やっぱり。
 
 リザは俯きファイルを開きながら、唇の端でほんの一瞬笑った。
「火がお好きですか」
「好きだよ。落ち着く」
「私は硝煙の臭いで落ち着きます」
 椅子に戻り書類に眼を通していた上司が、ちら、とリザを見たのを感じる。
「軍人向きの資質だね」
「戦場でどれ程通用するものなのか、自分でも少し興味があります」
「私も興味があるな。自分がどの程度図太いものなのか」
「麻薬には決して走らないでください。更正の分、事後の時間が無駄です」
「君もね」
 リザは目を上げた。頬杖を突いた上司の、面白がるような視線とぶつかる。
 上司はにんまりと、十代の子供のように笑った。
「やっぱり君は、きつく締め過ぎて頭の捻子が一本か二本、壊れているみたいだな」
 リザは無表情に上司を見つめた。
「お互い様です」
「私の捻子は弛んでいるんだ」
 嘯き、肩を竦めて椅子に深く座り直した上司の評価の微調整を続けながら、リザはひとつ発見をした。
「………少佐」
「うん?」
 上司は椅子を回して背後の窓から空を見ている。
「仕事をしてください」
 
 上司に関する今日の新たな発見は、結構なサボり魔で、果てしなく馬鹿げた野望を持つ、ということ、と。
 その馬鹿げた上司の盾として、自分は生きていこうと決めてしまったこと。
 
 ああ、やっぱり馬鹿げている。
 
  
 
 だから仕事が終わったら射撃場へ行こう、と、リザは思った。

 
 
 
 
 

■2004/7/1

頭のイカレた若カップル。
こんなのリザさんじゃなーい! とわたしも思います。………すすす、すみませ…ん……(がたがた)。

あ、エイジスはイージス。盾です。

NOVELTOP