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 深夜、三日月が沈む頃。
 ばっちゃんもウィンリィももちろん兄さんも、静かに静かに眠っている。
 ボクは気配に気付いてぴょこりと頭を上げてしっぽを振ったデンの頭を撫でて、勝手口から外へ出た。
 星の光が地上を照らす。
 もこもことした真っ黒なあの影はおばけの森。
 きらきらと星を引っ掛けているのはマグノリア。
 丘の上の四角い影は去年建てたばかりの学校。
 ゆるくカーブを描く道は白い小石がうっすら光り。
 
 天にも星。
 道にも星。
 
 がしゃんがしゃんと誰もが眠る田舎道を歩く。
 夜はボクの時間。
 ボクだけの時間。
 
 
 
 
 
 
「ただいま! アル!」
 学校から帰って来たウィンリィはばん、と乱暴に玄関を開けて、広い居間でデンにふんふん言われながら兜を磨いていたボクにづかづかと近付いた。息が弾んでいる。走って帰って来たのだろう。
「どうしたの、ウィンリィ。あ、おやつ、冷蔵庫の」
「おやつなんかどうでもいいの!」
「よくないよ。パンプキンプリンだよ。栄養たっぷりなんだから食べなきゃ。それにおやつ抜きじゃ夕食までにお腹がす」
「いいんだってば! そんなことよりアルっ」
 ウィンリィの剣幕にばっちゃんが顔を覗かせた。兄さんはやって来ることこそしなかったけど、プリンを食べている最中らしいくぐもった声で「うぉい」とか「どしたー」とか言っている。
 ウィンリィは頭のないボクの首に顔を寄せて、ちょっと考えてから抱えられている兜を覗き込み、また考えて首に顔を寄せた。ボクは黙って兜を乗せて、首を傾げて見せる。
「どうしたの?」
 ウィンリィは綺麗なおでこに汗を光らせたまま、眉間にしわを寄せて人指し指を立てた。凄く真剣だ。
「あんた、夜中に出歩いてるの?」
「ああ、うん、歩いてるけど」
 ボクは頷いた。
「みんな眠ってて暇だから、歩いたり走ったりする練習を兼ねて散歩してるよ」
「………やっぱり!」
 ウィンリィは額を抱えて天井を仰いだ。兄さんがどうしたんだよー、と松葉杖を突きながら危なっかしい足取りで現れる。
「学校で噂になってたのよ!」
「なにがだよ」
 よっこらせ、とばっちゃんの手を借りてベンチに座った兄さんがぼりぼりと痩せた首を左手で掻いた。最近少しマシにはなったけど、兄さんはこの五ヶ月でびっくりするくらい痩せてしまった。機械鎧と馴染むために身体中のエネルギーを使ってしまって、その上長いこと寝たきりでいたから仕方のないことなんだけど。
 でもだからこそ、兄さんはたくさん食べてたくさん眠ってたくさんリハビリしてたくさん筋力トレーニングをしなくちゃならない。
「兄さん、プリン食べたの?」
「食べた」
「プリンなんかどうでもいいんだってば!」
「だから何なんだよ」
「だーかーらー! 噂になってるんだってば! 学校で!」
「どんな噂?」
 ウィンリィはびしりとボクを指差した。
「おっきいおばけ鎧が夜中に町の中を歩き回ってるって!!」
 兄さんがなんとも複雑な顔をした。
 ばっちゃんは黙って煙管を吹かしている。
 ウィンリィははっと気付いたようにボクの顔を恐る恐る見て、突き付けていた指をぎこちなく折った。
 
 ボクは。
 
「あ………は、はははははっ!」
 
 思わず、爆笑してしまった。おなかを抱えて。
「ちょ、ちょっと、アル……」
「あ、あは、ご、ごめん、でもなんか、お、おかし……くくくく」
 
 だって、ボクがおばけだって!
 
 みんなおばけが夜中にうろついていると思って怖がっているんだと思ったら、その正体はボクなんだよ、と思ったら、悪戯が成功してみんなを吃驚させたみたいな気になって、なんだかとっても可笑しくなった。
「ちょっとアル! もー! いい加減に笑うのやめて!」
「ご、ごめんね、ウィンリィ。でも、すっごい可笑しくて」
「なにが可笑しいのよ!」
 ひーひーと言いながら、ボクは目の端を思わず拭い、それからあ、そうか、と気付いた。この身体はどれだけ大笑いしても涙は出ないんだった。
 兄さんが凄く複雑な顔で見てる。
 微笑んでいるように見えればいいな、と思いながらそんな顔しないでよ兄さん、とボクはちょっと首を傾げて見せて、それからばっちゃんとウィンリィを交互に見た。
「ねえ、ばっちゃん、ウィンリィ、兄さん」
 ボクはできるだけ明るい声で、笑っているように聞こえるよう気を付けて、ずっと考えていたことを告げた。
「そろそろボク、みんなにボクが鎧になっちゃったって、言おうと思うんだけど」
 ウィンリィは黙ってしまった。兄さんは俯いてしまった。
 ばっちゃんは煙草の煙をむはーっと吐いてボクを見て、に、と口の端で笑ってみせた。
「あんたがそうしたいならそうしようか、アル」
 ウィンリィと兄さんが弾かれたようにばっちゃんを見た。ボクはがっしゃんと頷く。頷くたびに響く音に最近ようやく慣れたけど、兄さんやウィンリィが黙っているときは本当に大きな音に聞こえて、それにはまだちょっと慣れない。
「いつまでもみんなにおばけがいるって思わせておくのも悪いしね」
 ばっちゃんはそうだね、と頷いてくれた。
 ウィンリィはほんとにいいの? と心配そうにボクを見てくれた。
 兄さんはただ俯いて、前髪に隠れたその顔は見えなかったけど、痩せた左手がぐっと握られたのは解った。
 ボクは微笑んでいるように見えればいいな、と思いながら少し首を傾げた。
「兄さん」
「………ん?」
「いいよね?」
 兄さんが顔を上げた。ちょっと情けなく眉を下げて、弱く笑う。
「お前がいいんなら、オレは」
「じゃあ、いいよね。……ありがとう、兄さん」
「なんでありがとうだよ」
「なんでも。言いたかっただけ」
 兄さんは不思議そうな顔をしていたけど、ボクはそれ以上は言わなかった。
 だって本当に、ただ言いたかっただけだから。
 ありがとう、兄さん。
 ボクに、「これがボクだよ」とみんなに言える身体をくれて。
 
 ボクを、天と道とに星のある、この世界へと呼び戻してくれて。

 
 
 
 
 

■2004/6/15
後編があるかもしれません。
故郷の話は優しい話がいいと思う。エドにとってだけではなくアルにとっても、故郷は安らぎの場所であればいいと思います。
でもこの話は優しい話ではない気がします。いや、個人的に。
『ふちをのぞく』のひとつ。

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