4 / キャンプ  


 
「あー、オレもアルと海行きたい」
「行けばいいじゃん」
「誘ったら『パニーニャが行けないから行かない』って断られた」
 あーらら、と笑ってパニーニャは窓枠に頬杖を突いた。室内で椅子をがたがた言わせながらエドワードは机へと足を乗せる。そのつまらなそうな様子に、パニーニャはうーん、と宙を睨んだ。
「早くしないと夏休みも終わっちゃうしねえ……」
「オレまだアルとどこも行ってねぇ。お前のせいで」
「ひとのせいにしないでよ。その分ウィンリィといっぱいデートしたんでしょ?」
「あいつはあいつ、アルはアル!」
「浮気者」
「どっちも本命だ」
 あはは、とパニーニャは笑った。
「エドのそういうきっぱりしたとこ好きだよ、あたし」
「そりゃどーも」 
 ふん、と鼻を鳴らして頭の後ろで手を組んだエドワードを眺め、パニーニャはふと閃いたように指を立てた。
「あ、そーだ! あのさ、エドってあのひとと仲いいんでしょ」
「あのひと?」
「えっと、マスタングせんせ……ってちょっと!?」
 バランスを崩してぐらりとよろめき椅子ごとがったーんと倒れたエドワードを、窓枠に手を突いて身を乗り出し目を丸くしたパニーニャが見下ろした。
「もー、間抜け」
「るせえ! ッ痛ェー……」
 後頭部を撫で、エドワードはよろよろと身を起こす。
「そ…それで、ロイが何だって?」
「いやだから、仲いいんでしょ?」
「よくねーよ!」
「そうなの?」
「全然よくねぇッ!」
 ふーん、じゃあ無理か、と呟いたパニーニャになにやら焦っていたエドワードは眉を顰めて奇妙な顔をした。
「………無理ってなにが。つか、なんだ突然。なんでそんなこと訊くんだ」
「いや、仲いいならお願いして、今度の土日にでもキャンプに連れてってもらえないかなーって思って」
「はあ?」
「監督する大人がいないとなにかあったとき面倒じゃない。飲酒したとかしないとか、不純異性交遊とか言われそうだし」
「……そりゃまあ、親に付いてこられんのも嫌だしな」
 でしょ、とパニーニャは頷く。
「だから一緒にキャンプしませんかって誘って欲しかったんだけど。あたしはあんまり知らないけど、あんたとかアルとかウィンリィは知ってるひとだから気楽でしょ?」
「でもあいつにだって都合はあるぞ」
「うん。だからまずお伺い立ててもらって、ダメならあたしリドルさんに頼んでみるから」
 パニーニャはにかっと満面で笑う。
「せっかく夏休みなんだし、みんなで遊ぼうよ」
「……………」
 エドワードは視線を逸らしてがりがりと頭を掻き、ふっと溜息を吐いた。
「……訊いてみる」
「よろしく!」
 ぴっと敬礼のように手刀を額へ当て、パニーニャはまた満面で笑った。
 
 
 
 
 
「……どうしてこんなことになっているんだろうなあ……」
「エルリック兄弟にあなたが口説き落とされたからです」
「いや、承諾したのは君だし」
 この週末はふたりでゆっくりする予定だったのに、と肩を落とすロイに、引いてますよ、とリザは川面を指差した。
「割に釣れますね、ここ」
「あの子たちは火は熾せたんだろうか」
「熾せなかったらあなたが熾してあげれば済む話でしょう。あなたなら一瞬なのですから、しばらくは放っておいてあげましょう」
 ああしてきゃあきゃあと騒ぐのも楽しいのですから。
 まあそうだけど、と呟いてロイは釣り糸をたぐり寄せた。また溜息が洩れる。その様子にリザがわずかに首を傾げた。
「往生際が悪いですね」
「往生際って」
「それともエドワード君に会いたくなかったんですか」
「なんでピンポイントで鋼のなんだ」
「解らないのなら構いませんが」
「全然解りません」
 既に三匹が泳いでいるバケツへと釣ったばかりの魚を放し、ロイは釣り針に釣り餌を付けた。
「釣りというのは」
「はい」
「気持ち悪いものだなあ」
「………なにがですか」
「だってこんな釣り餌を腹に収めた魚を食べるんだぞ。釣り餌を出されても食べられないのに、魚を食べれば一緒に腹に納まるわけだ」
「それを言ったらなんでもそうでしょう。食物連鎖と言いますし」
 リザに被せられた大きな麦わら帽子の影の下で、はは、とロイは笑った。
「リザちゃんは錬金術師のようなことを言うなあ」
「錬金術師はあなたとエルリック兄弟です」
「そうだったね」
 のんびりと言って釣り糸を垂らす上司兼恋人に、リザはふっと小さく溜息を洩らした。
 なんだかんだと文句を言いつつも、まんざらでもないのだ、この男は。
 飽きる前に魚の掛かるいい環境でのんびりと釣り糸を垂らして、強い日差しは麦わら帽子の影で、涼しい顔に流れる汗はこの自分が拭ってやって、気持ちの良い可愛い子供たちに懐かれて。
 どこか達観した老人のようなこんな時間を、彼が割に愛していることをリザは知っている。
 日々の忙しい時間を愛するのと別のベクトルで、この人生の余暇のような時間をこの男は愛おしく思っているのだ。
 
 そして彼のそんな部分が、リザの抑揚の少ない心のどこかを小さく刺激し、琴線を震わす。
 
 精力的に仕事をこなす姿も頼もしいが、その反動のような怠惰な姿と、ほんの時折見せる、彼の本質の一部であるだろう父性の塊のような、語らず、ただ泰然と待つその姿。
「………なんだい?」
 無意識にこめかみへ掛かっていた黒髪を払った指に、ロイが眼を瞬かせてリザを見た。リザはいえ、と小さく返し、それからひとつ瞬きをして僅かに笑んだ。
「可愛いひとだなと」
「は? 誰が?」
「あなたが」
 ぽかんと見返したロイは、一瞬ののちにかあっと白い膚を紅潮させた。まったくどうしてこんな可愛い反応を示すのだろうこのひとは、と苦笑して、リザは頬を包んだ大きな手に促されるままに眼を閉じた。ゆっくりと呼気が唇へと触れる。
 
 と。
 
「おいこら、子供の前でいちゃつくな色ボケ中年!」
 どす、と聞こえた鈍い音に眼を開くと、背を蹴られたロイが蹲っている。ロイの背に靴跡を付けた張本人は鋭い金の眼を半眼にして「引いてんぞ」と竿を指した。
「リザさん、バーベキューの準備出来た」
「火は熾せた?」
「全然ダメ。このチャッカマンもらってっていい?」
 家庭教師を指差して着火器具呼ばわりをした少年に、リザはにこりと微笑んだ。
「ええ、構わないわ。釣りはもう終わりにしましょう。早く準備しないと暗くなってしまうしね」
 フォローのない恋人にロイは蹲ったままううう、と呻く。それを冷ややかに見下ろして、エドワードは唇を歪めて生意気な笑みを浮かべた。
「夜は花火な。よかったな、ロイ。大活躍で」
「………マスタング先生」
「よかったですねー、せ、ん、せ、い! たまには役に立てて!」
「たまにって言うな」
 身を起こし、どうも魚に逃げられてしまったらしい釣り糸を回収してロイは溜息を吐いた。
「あー、子供のお守りは疲れる」
「それ女子に言ってやれよ、いっぱつで嫌われっから」
「女の子はいいんだ」
「………どうなのリザさん。こんなの恋人にしといていいの」
「少し考えておくわ」
「冗談だと解ってくれリザちゃん」
「私のも冗談です」
 にこりともせずに言ったリザに解りにくい冗談だ、と心の中で同じことを考えて、男二人は釣り道具を片付けに掛かった。
「先行ってていいよ、リザさん」
「そう?」
「うん。重たいからオレらで持ってくから」
「………そう」
 なにやら意味ありげな間をおいて頷いたリザに、二人はきょとんと眼を瞬かせた。
「え、何かまずい?」
「……いいえ、なんでもないわ。じゃあよろしくね、エドワード君」
「うん」
「すぐに行くから、火を熾す準備だけ見てやってくれるかな、リザちゃん」
「はい」
 踵を返し去っていく姿勢の良い後ろ姿を見送るロイを、エドワードがおい、と小突いた。
「ぼんやりしてねーで片せって」
「あ、すまん」
「ところでなに、その麦わら帽子」
「リザちゃんに被せられた」
「………子供みてぇ」
「悪かったな」
 言い合いながら手早く片付け、逸早く折りたたみ椅子と釣り竿を脇に抱えて立ち上がったエドワードは、おい、とロイを呼ぶ。
「なん……」
 顔を上げたロイの麦わら帽子の大きな鍔が、子供の割に大きな手にちょいと払われ上向いた。僅かに触れ、すぐに離れた唇にロイは不機嫌に眉を寄せる。
「リザちゃんとのキスは邪魔したくせに」
「オレと出来たからいいじゃん」
「キスならなんでもいいってもんじゃない」
 バケツとクーラーボックスを両手に提げて立ち上がり、ロイははー、と溜息を吐いた。
「……どうしてこんなことになっているんだろうなあ……」
「アンタがオレに口説かれて断らなかったから」
「いや口説かれてないから」
「いーじゃん別に。減るもんでもないし」
「気分的に減る。というかへこむ」
「往生際が悪ィぞテメェ」
「………君、もしかしてずっと立ち聞きしてたな」
 へへ、と悪戯小僧の顔で笑うエドワードに渋面を向けて、ロイはもう一度溜息を吐いた。
「可愛い彼女も弟もいるくせに」
「アンタとは浮気ですからー」
「浮気は男の甲斐性とか思っているなら君の考え方は前時代的だ」
「浮気者の代表が何言ってんの」
「失礼な。私はリザちゃんだけだ」
 どうだか、と鼻で笑うエドワードの膝裏を軽く蹴り、ロイはあーあ、と呟いた。
「子供のお守りは疲れるなあ」
「大人のお守りも疲れるよ」
 げし、と仕返しとばかりに膝を蹴られ、ロイの手に提げられていたバケツから水が飛び散った。
 あーあ、とロイはまた呟いて、溜息を吐いた。

 
 
 
 
 

■2004/8/27
あれ、エドウィン入んなかった……(とほほ)。エドアルも全然だし。…エドロイなんかいいからエドウィンとエドアルを入れるべきでした。わーん。

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