1 / 初めての恋 |
大体にしてエドワードの周囲の大人の男というものは、皆がたいがいいのだった。 錬金術と格闘の師匠であるイズミの連れ合いは元よりカーティス夫婦の営む肉屋の従業員メイスンも雇い主の趣味か相当にいい身体をしているし、滅多に家にいない父は格闘技こそ身につけてはいないが背も高く骨太でがっしりと出来上がった身体をしていて(いつ鍛えているのか謎だが決して贅肉で嵩が増しているわけではないあたりが不思議だ年の割にたるみがない)、だからその男の裸を初めて見たとき、これが大人の身体なのかと驚いた。 弟と幼馴染みと一緒にプールへと引率してもらったときだった(そのとき初めて彼の恋人兼部下だという綺麗なひとを紹介されたのだけれど、それはまた別の話だ)。 いつでもきちんと着ているカッターシャツの上から見る身体の線は逞しさとはほど遠く、やや丸顔の柔らかそうな頬をしている男だからてっきり貧弱なその身体もふよふよと柔らかなのだとばかり思っていたのだけれど、意外にも薄くではあるがきちんと綺麗なバランスで(たとえば雑誌やブラウン管の中の芸能人の身体が近いかもしれない)筋肉が乗っていて、逆に脂肪が全然なくてそのために細く貧弱に見えていたのだった。 無論筋肉が乗っていると言っても毎日みっちりと鍛えていると言うわけではないからささやかなものだが、それでも引き締まった腕や腹にエドワードは僅かに感心した。 なのでそれをそのまま言うと、君は鍛え過ぎだの、子供のうちから筋肉を付けすぎると男性ホルモンが活発になり過ぎて成長が止まるだの、だから君は小さいのだの散々言われてむかっ腹が立った。と思ったときには手が出ていた。 繰り返すがエドワードの周囲の大人の男というものは皆がたいがいいのだった。 シグやメイスンはがたいがいいだけでなくきっちり鍛えているからちょっとやそっと殴った程度では痛くも痒くもないし、父は特別格闘技を学んでいるわけではないからエドワードの拳をさらりと避けることなどは出来はしないが、それでも一発殴った程度で床に沈むなんてことはない(頭部を殴れば別だろうがそもそも顔を殴れる身長差ではない)。 だから腹部にごすりと拳を埋めた途端腹を押さえて蹲ってしまった彼に、手が出たエドワードのほうがぎょっとした。涙目で呻いている彼に彼の恋人が駆け寄って、えらく冷静な顔で大丈夫ですかと介抱し、エドワードは最愛の弟と最愛の幼馴染みに代わる代わる責められて、被害者のはずの男にまあまあと宥められまでして酷く不機嫌になったのを憶えている。 彼は結局一言もエドワードを責めることなく、茶化すように首を振りながら鋼のは乱暴者で困るなあとにやりと笑っただけだったけれど、後日彼の職場の最高責任者である父から翌日まで食事を取れずにいたらしいだの、殴られた跡がしばらく消えなかったようで数日は痛そうにかばっていただの聞かされてまた少し叱られて、腹が立つような申し訳ないような、八つ当たりしたいような謝りたいような微妙な気分になったものだった。 彼はエドワードの家庭教師だったから最低でも週に一度は顔を合わせてはいたけれど、口を交わせばいつもの通りだというのに会っていないときにふと彼を思い出すとなんだかもぞもぞとした気持ちになるのが不思議だった。けれど嫌ではなくて、それもまた不思議だった。 彼のような大人はエドワードの周囲にはいなかった。 エドワードが12歳で国家錬金術師の資格を取り最年少記録を塗り替えるまで最も若くして国家錬金術師となった人間だった彼は、エドワードも弟も兄弟の父も使わない気体錬成を得意としていて、逆に固体錬成は少し苦手なようだった(それでもその辺の錬金術師よりはずっと上手くやる)。 大学院の研究室のひとつで主任を任されていて、助教授の肩書きを持っている。 父親は警察庁長官でいわゆるいいとこのぼっちゃんで学校はずっと有名私立校で院まで出ていて、恋人は極道の娘で、国家錬金術師資格試験受験希望者の家庭教師を時々していて、教員免許も持っている(車はペーパードライバーで単車の免許はなくて移動はもっぱら自転車と電車だ)。 黒髪で黒い眼で童顔で色が白くて背はあんまり高くないけれどまあ普通で一見不健康そうだけれど実は結構身体は丈夫でタフで女の人を抱き上げることはできるけれど、引っ越しの力仕事の頭数に入れるにはやや心許ない。 優しげな態度と丁寧な口調と真っ直ぐな姿勢が好青年に見せているけれど裏では割りに性悪で、悪意に敏感で、報復を厭わず、基本的に現場主義で、文系の見掛けに騙された馬鹿が痛い目に遭ったと言う話を聞いたこともある(けれど被害者を見たことはないから本当かどうかは知らないしどういう方法で報復するのかも知らない)。 まだ二十代の若者で見た目は下手をすれば実年齢より十も下に見える程に若くて、でも中身は時々オヤジ臭い(釣りが好きで流行の歌と芸能人に疎い)。 そんな彼がなんだか気になってしまってあの裸の背中をもう一度見たいような気がして、エドワードの中で何がどう変換されたのかそれがそのまま性欲に直結してしまった気がしたから、二人きりで勉強を見てもらっているときにセックスをしてみたいから抱かせろと言ってみた。 彼は無表情でエドワードを眺め、それから空耳だったことにしたようで何も答えずに赤ボールペンを握り直してテキストに再び目を落としたので、エドワードもそれ以上は言い募らず何も言及せずにいたけれど、会うたびにそれを繰り返していたら四度目でようやくお断りだ、と返事が返ってきた。 それからもエドワードはことあるごとに同じことを言って同じ返事をもらっていたのだけれど、14歳の誕生日に、今日は誕生日だから何かひとつ言うことを聞け、と前置きをした上でいつものように顔も見ずに断るのだろうと予測しつつ同じセリフを繰り返してみたら、彼は少し思案げに顎を撫でた。 「…………今手持ちの金がないんだよなあ」 そんな風に言った彼に、エドワードはきょとんと瞬いた。彼はお構いなしに何か買ってやると明日の昼飯が、とかなんとか唸っていて、それからその黒い眼でじっとエドワードを見つめた。 子供のように綺麗に澄んでなどは勿論いなくてけれど酔っ払いのようにとろんと濁っているわけでもない、とても硬質なその黒い眼が切れ長で薄く二重で少し伏せるとあまりぱっちりとしているわけでもない睫が意外に長いことに、エドワードは最近気付いた。 その長い睫を瞬かせて、彼は僅かに首を傾げ、いいよ、と簡単に頷いたので、エドワードはこいつ女たらしだとばかり思っていたけど男ともやるのか両刀なのか変態だ、と考えたのだけれど、実のところ全然そんなことはないらしくて、セックス自体が初めてのエドワードと男とのセックスが初めての彼では当然上手く行くわけもなく、だからエドワードの初体験は結構散々だった。 腹を殴っても文句も言わなかった彼はさすがに文句たらたらで、男としたいのなら少し勉強くらいしてこいと情報の取得手段の限られる中学生にかなり無理を言い、けれどそこで怒るのも理不尽だったのでエドワードはぐっと堪えて、それがまたむかつくと文句を垂れる彼にむくれるだけに留めた。 再び見た彼の身体はやっぱりエドワードには物珍しい形と手触りで、それをずっと綺麗だと思っていたことに行為に薄く湿った肌を撫でているときにふと気付いてしまったので、エドワードは軽く狼狽えた。 それから何度か彼とセックスをしたけれど、結構気持ちがいいのでこの関係は割に気に入っている(彼がどう思っているかは知らないけれど、一度もいかせたことはない。同性を受け入れていけるものなのかどうかも知らない)。彼はキスが巧いので、それだけでも気持ちがいい。 好きだとか嫌いだとかで言えばあんまり好きでもないけれど、こいつはオレのものなのだ、と考えると少し気分はいいから、まあ嫌いではないのだろうとも思う。 何にせよ最愛の弟や最愛の幼馴染みと違って大事にしたい気持ちなど一欠片もなかったから、彼がそれを責めないのをいいことに、エドワードは今のところ自分勝手に彼との関係を愉しんでいて、それは彼の恋人に嫉妬することなどないけれど彼が他の女性にちょっかいを掛けているのを見ると背後から蹴飛ばしたくなる(実際に蹴飛ばしているが)程度の気持ちに留まっている。 それを、彼がどう思っているかは知らない。 別に知りたいわけでもない。だから尋ねようとも思わない。 ただ、こんな関係を歓迎しているわけではないのだろうな、と、予測するだけだ。 彼に恋をしているのだと認めてしまったら、それは幼馴染みへの裏切りなのだ。 だからエドワードは、ただ気持ちがいいだけのこの関係を、割に歓迎している。 彼がどう思っているかは知らないし、知りたくもないのだ。 だって万が一、好きだからなんて言われたら。 もしそれが嬉しかったりしたら。 (凄く困る) そしてなによりもっと困るのは。 君のことなどなんとも思っていない、自分の恋人はリザだけだ、と、多分物凄く普通の声で当たり前のことを言われてしまったら。 また、殴り付けてしまいそうな気がして。 夏の終わりに彼の言った、君は私に恋をしている、と、その言葉が。 いつまでも脳味噌の隅に居座り続けているのがほんのちょっとだけ不快だった。 |
■2005/2/5 恋をすっ飛ばしてウィンリィとアルを愛していることに気付いていないエドとそれに気付いている大佐。