「あっ、おはようございますホークアイ中尉! あの、すみません今夜、」
「おはよう。ごめんなさい、今日は私は日勤に続けて夜勤なのよ」
「あ……、そうですか、あの、ではこれを」
 差し出された小さなブーケに僅かに眉を下げ、リザは困惑げに微笑して見せた。
「ありがとう」
「いえっ、日頃お世話になってますから!」
 じゃあ、と敬礼をして真っ赤な顔で駆けて行く軍曹はたしか本日は夜勤明けのはずだ。これを渡すために、そして今夜のディナーに誘うために待っていたのだろうと思うと眼中にないことが少々気の毒になって、リザは溜息を吐いてブーケを抱えていた花束の中へと混ぜ抱え直した。就業時間にこんなものを渡せばもれなく叱られてしまうだろうことを解っている優秀な部下たちは、リザが登庁しロッカールームへ辿り着くまでの短い時間を無駄にすまいと目を光らせていたようだ。これで四人目だ。
「毎年大したものね、リザ」
 ロッカールームへようよう辿り着き、ふー、と朝から溜息のリザに総務課に勤める同僚がタイトスカートのファスナーを上げながら笑う。
「だからさっさと彼氏作んなさいよって言ってるのに」
「相手がいないのよ、今」
「上司はどうなの、マスタング大佐。彼もあなたが付き合えば他の子とは別れるんじゃない」
「上司は上司。仕事がやりにくくなるわ」
「あなたも大佐も私情を持ち込むようなひとじゃないでしょ」
「言い換えるわ。趣味じゃないのよ」
 ロッカーに入りきらない花束を古いベンチへと並べてコートを脱いだ顔色一つも変えないリザに、同僚は笑って紺青の上着を羽織った。
「ひっどーい! 彼、狙ってる子って結構いるのよ!」
「女ったらしで地位もお金もあるものね」
「それだけじゃないでしょ? 優しいのよ、あのひと、女にはね。こっちが嬉しくなるようなことを笑顔で言ってくれるんだもの」
「気障なのよ」
「そこらの不男が言うなら気持ち悪いだけだろうけど、結構ハンサムなんだもん」
「あなたも狙ってるひとりだったかしら、ノーラ」
「マスタング大佐の勤務表、二月分が届いたときに真っ先にバレンタインの日程を確認したくらいには狙ってるわね」
「残念ながら大佐も今日は日勤に続けて夜勤よ」
「みたいね。ほんと残念」
 肩を竦め、じゃあお先、と言って出て行った同僚に軽く手を挙げ、リザはばさ、と軍服を羽織った。軽くブラシを通して髪をまとめ上げる。鏡の中には目つきの悪い無表情の女がいる。
 
 まったく、浮かれて。
 
 バレンタインデーが悪い、ということではない。恋人や伴侶に愛を囁くこの日が悪いと言うことではけっしてない。
 ない、のだが、それに浮かれてざわめく周囲の騒がしさにはほとほと閉口させられる。
 こんな花束なんか貰っても枯らすだけなのに、とベンチに並べた薔薇を見て溜息を吐き、真っ赤な薔薇なんか司令室に飾るわけにもいかないし(そもそも司令室にはこれをくれた部下もいるのだ)、とどうしたものかと鬱々と考えながらリザはばん、とロッカーを閉めた。
 
 
 
 
「……………なんですかこれは」
 机の上に置かれたシンプルな化粧箱に収められた一本の薔薇に目を落とし呟いたリザに、始業時間までの合間にざわめいていた周囲がぎくり、と強張った。リザは目を上げて無表情で見渡す。そそくさと自分の持ち場へと戻って行く部下たちは目を合わせようとはせず、互いにひそひそと誰だ、知らねぇ、などと囁き合っていて、リザはそういえば去年のバレンタインに就業時間中に花束と告白を仕掛けて来た部下をその場で振った上に叱ったことがあったのを思い出す。
「あー、中尉、中尉」
 でもまだ始業時間には間があるし、いくらなんでも叱りはしないのに、と溜息を吐いて眉間に皺を寄せたリザに、書類から顔を上げてぽかんと眺めていた上司が軽く手を挙げた。
「私だ、私」
「………はい?」
「それの送り主。………なんでそんな嫌な顔をするかね」
 つい眉を顰めたリザに困ったように頬を掻いた上司は、ぱた、と万年筆を置いた。
「別に変な意味ではないから安心したまえよ。いつも君には世話になっているから」
「困ります」
「いやたかが薔薇の一本や二本」
「仕事でしていることですから、改めて感謝されるようなことではありませんし」
 お返しします、と丁寧に箱入りの薔薇を差し出すと、ロイはげんなりと半眼になった。
「いや、頼むから貰ってくれ」
「困ります」
「だから含みはないと言っているだろう。返されても私も困るよ。持ち帰るのが嫌ならほら、給湯室に一輪挿しがあるから、机にでも飾っておいてくれ。放っておけばそのうち枯れるから」
「放っておいてただ枯らしたら可哀想でしょう」
「だからと言って返されたらごみ箱直行だぞ。私は花など飾らないし、もっと可哀想じゃないか」
「他の方に差し上げてください」
「…………一度誰かに進呈したものを他に女性に、今日この日に? あのなあ……」
 はー、と溜息を吐いて額を抱え、ロイは助けを求めるように周囲に目を馳せたが、誰も視線を合わせてはくれなかったようで半眼のまま再びリザを見た。
「そんなに嫌なら来年からはしないから、まず今年は貰っておいてくれ」
「…………ですが」
「なんでそんなにこだわるかな、バレンタインだぞ。親しい異性に感謝を示す日でもあるんじゃないか」
「……………。……何もお返しできませんし」
「何か返して欲しくて贈り物をするように見られているなら心外だ。日頃の感謝だと言っているだろう、気にしなくていい」
 この話はこれで終わり、とばかりに転がした万年筆を掴み再び書類に視線を落とした上司のつむじを見下ろし、リザは僅かに首を傾げた。
「ほら中尉、始業時間になるぞ。早く薔薇を生けてしまいなさい」
「…………今年だけです」
「解った解った」
「来年は受け取りませんから」
「念を押さなくてもいいから」
 追い払うように振られた手にぺこり、と頭を下げ、リザは箱ごと薔薇を胸に抱き、給湯室へ向かった。
 
 
 
 
「派手に振られましたね、大佐」
「……………あそこまで拒否反応を起こすとは思わなかった」
 憂鬱な溜息を吐いたロイに、銜え煙草のハボックがひっひ、と肩を揺らして笑った。
「でもま、心苦しいから受け取れませんなんて言ってもらえるんだから、言いたいことも言わせてもらえずにごめんなさい今日は夜勤なのー、とか言われてる連中よりは脈はあるんじゃないっすか」
「いやだから、別に狙っているとかそういうわけでは」
「あれ、じゃあ大佐は中尉が他の男性に取られてもいいんですか? 僕は嫌ですけど」
 きょとんと丸い目を瞠ったフュリーにいやだから彼女が誰と付き合おうと自由だろう、と言い掛けたロイに、うんうんと頷いたブレダとファルマンが追い打ちを掛ける。
「だから、ちゃんと捕まえておいてくださいよ」
「………なんで私に言うかね」
「あんたくらいでしょ、捕まえておけそうな男なんて。逃がしたら恨みますよ」
「お前らが捕まえておけばいいだろう」
「俺らが?」
「冗談でしょう?」
「無謀なことをおっしゃいますな」
「もちっと考えて物言ってくれませんかね」
「………貴様ら上司をなんだと思っているのかね………」
「あ、中尉が戻りました」
 ひそひそと囁いたフュリーの声にさっと持ち場へと散った部下に組んだ指の上に顎を乗せたまま深々と溜息を吐いたロイを、きびきびと歩み寄ったリザが、自分の机へとこん、と花瓶を置きながら大佐、と呼んだ。
「何かね」
 
 ふ、と。
 
 薄く、唇に笑みが掃かれる。
「綺麗な薔薇ですね」
「…………は」
「渋い色ですけど、落ち着いた赤で、好きです。銘柄はなんというんですか」
「あ、えーと……ブラックティーだと思ったが。寒い時期だとそういう褪せたいい風合いになるんだ」
「そうですか」
 ブラックティー、と覚え込むように呟いて、リザはもう一度、今度は先ほどよりもはっきりと微笑んだ。
「有難うございます」
「え、」
 始業のベルに被った謝礼の言葉にぽかんと見つめたロイの視線の先で、リザは既に微笑を収め有能な副官の顔に戻り、積まれた書類を手に取った。くるり、とロイを見た鋭く大きな赤茶の瞳はいつもの無表情だ。
「大佐」
「は、はい」
「仕事をしてください」
「………………。………はい」
 もう一度笑わないかな、と考えながらしばらく副官を見つめていたロイは、再び仕事をしてください、と今度はいささか凄まれて、慌てて万年筆を手に取った。
 
 とりあえず来年もチャレンジしてみよう。
 
 むくむくと沸き上がった下心混じりの上司の心情を察しているのか否か、リザは無表情のまま指で肉厚の花弁に乗った水滴を軽く弾いた。蕾が開き始めたばかりの薔薇は微かに揺れ、すう、と水滴を落とした。

 
 
 
 
 

■2005/3/13

タイトルとタイトル画像に偽りあり。…………うちのロイアイは全然しっとりしないのは何故だろう。
ところで箱に一輪のブラックティー、何のパロか解る方いらっしゃいます?

バレンタイン限定SS。フリーSSでしたが、現在は配付は終了しておりますので持ち帰らないでくださいませー。配付終了とともにデッドリンクしてましたがこっそり復帰させてみました。

初出:2005/2/14

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