「大丈夫ですか大佐、足ふらついてますけど。鍵は」
「大丈夫だ鍵くらい自分で」
「って鍵穴に差せないじゃないですか。貸してください」
「大丈夫だと言っているだろうに。ちょっと目がかすんだだけだ。ほら開いた」
「あんたが酒で目がかすむこと自体がおかしいんですって。大丈夫ですか、ベッドまで連れてきましょうか」
「男を家に上げる趣味はない。いいからさっさと帰ってお前も休め。お前明日は朝からだろう、今からじゃ3時間も寝れないぞ」
「あー、俺起きて5分で家出れるんでもう30分は寝れます」
「じゃあその30分のため帰れ、ほら」
「ちゃんと水飲んでくださいよ! あと酔い醒ましも飲んで。明日は午後からでいいですが夕方から会議ですからね、来なかったら中尉に殺されますよ。二日酔い酷かったら呼んでください、迎えに」
「いいから早く帰れというのに」
「だってあんた明日絶対二日酔いですって。普段二日酔いなんかならんから解らんでしょうが、辛いですよ、あれは」
「解った解った、登庁が辛いようなら呼ぶから迎えに来い。薬も飲む。それでいいだろう」
 さっさと行け、と片手を振ると口は悪いものの忠実な部下はまだぶつぶつと言いながらも階段を降りて行った。ロイは背中で車の扉の開閉する音を聞きながら、窓に明かりが灯らねば去らない部下のために家へと入り、鍵を掛け、壁に手を突きながら居間へと進み明かりを付けた。耳を澄ますとしばしの間の後、エンジン音が響き部下の去った気配がした。
 ロイは深々と溜息を吐き、置きっぱなしだった水差しから水を煽り酷く乾いた喉を癒してコートを脱ぎ捨て、ずるずると足を引きずり寝室へと向かう。足下がふらついて、これだけ酩酊したのは学生の頃以来だ、と眠気に閉じ掛けた目を瞬かせながら思った。
 薬を飲めと言われた気もしたが薬箱がどこにあるのか思い出せなかったのであっさりと諦め、居間の明かりも付けっぱなしのまま半開きだった寝室へと扉を開き、上着を僅かに緩めた軍服を脱ぐのも面倒で、そのまま寝乱れたままのシーツの上へどさりとダイブすると「ぐえっ」と蛙の潰れたような声がした。
「あー、蛙が」
「何が蛙だ何すんだテメェ!!」
 せっかくぐっすり寝てたのに! と喚いた蛙はずりずりとロイの下から這い出てうわっ、と盛大に眉を顰め鼻をつまんだ。
「全ッ然帰って来ねーと思ってたら、すっげ酒臭!!」
「そりゃ酔っ払いなもんで………」
「っておいこらベッドに入るなら服脱げ……っつかブーツくらい脱げおい!!」
 部下の前でなんとか保っていた理性は気の緩みと共に溶けて、思考がじんわりと酔いに支配され始めているロイには蛙の喚き声はいまいち意味が解らない。蛙のくせに何を人間のようなことを言うんだ、と笑うといやだから、と蛙は嫌な顔をした。
「なにが蛙だっての。オレそんなに蛙顔?」
「蛙は蛙の顔をしていると思うんだがどうだ」
「どうだじゃねぇ、ってかなんで酔ってんの? アンタが酔っぱらってんのなんて初めて見た。ざるのくせにどんだけ呑んだんだよ」
 シーツを引き寄せ身体に巻き付け身を縮めたロイにふっと怒りを落とした声が僅かに気遣う響きを乗せ、足下まで巻き付いていたシーツを剥がれて軍靴を脱がされる。楽になった足にロイは眼を閉じたまま小さく息を吐いた。
「軍服も脱がないと皺になるぞ、脱げよ」
「もう皺になってる……というかこんな酒の臭いのする軍服なんかクリーニングに出さなくては着れない」
「もごもご言っててよく聞こえない。………脱がせてやろうか?」
 にや、と笑んだ蛙の悪戯でも企むかのような冗談交じりの声に、ロイはうん、と呟いて眼を閉じたままシーツを掴んでいた手を緩め腕を伸ばした。
「よろしく……」
「……………。………え、はい?」
「も、寝る……から、……よろしく」
「ななななにがよろしくですか!?」
「脱がせてくれるんだろう」
 ついでに着替えさせておいてくれ風邪を引く、と他人事のように言うロイに蛙は如実に動揺した仕草できょろきょろと意味もなく周囲を見回していたが、やがて恐る恐る、と言うように軍服の襟に手を掛けた。
「…………途中で欲情しちゃったらどうしよう、大佐」
「蛙が何を偉そうな」
「蛙から離れろいい加減」
 ああそう言えばこの声は聞き覚えがあるな、と考えて、ロイは僅かに鈍い思考を巡らせた。この蛙の名前を知っている。
「─────エドワード」
 途端ぱっと襟元から手が離れ直後どたんばたんと寝台の向こう側へと転がり落ちた音が響いた。寝台が揺れる。
 ロイは薄く目を開く。揺れてかすむ視界の中、寝台に再び上って来た金目の蛙の顔が真っ赤だ。
「な、な、な、」
「蛙の鳴き声はなじゃなくてけろけろ」
「けろけろとか言うな可愛いから! いやじゃなくて! なに急に、なんなのなんで名前呼ぶの!?」
「お前の名前じゃなかったか? ………なんだったかな?」
「いやオレの名前なんですけど……じゃなくて、いつもは絶対呼んでくれないのに」
「…………なんて呼んでたかな」
「うわあ、アンタ酔うともしかして記憶が怪しくなるの? 銘で呼ぶだろいつもは」
「銘………」
 ひやり、と、ボタンを外す鋼の指が酔いに火照る肌に触れた。
「………鋼」
「うんそう、鋼のって呼ぶだろ」
「…………うん」
 そっと鋼の掌にすくうように指を当てると、ボタンを外すその手が止まる。そのまますくい上げてロイはオイルの臭いのする指先に唇を寄せた。ごくり、と、唾を飲み込む音が聞こえる。ロイは眼を閉じたまま薄く笑った。
「簡単だな、君」
「…………るっさい。襲われたくなかったら煽らないでくださいー」
 
 ああ、なんとも。
 
 可愛い蛙だ、とまた小さく笑って、ロイは深く息を吐いた。半睡しているロイの衣服を再び脱がせ始めた蛙は、手際よく裸に剥いてそれから脱ぎ散らかされていた夜着を拾い袖を通させる。
「………鋼の、」
「まだ起きてたの? いいからさっさと寝ろよ。明日は早めに起きて風呂入んないと仕事行けないだろ、髪の毛まで酒臭い」
「なんでいるんだ」
「こっち来たから」
「連絡を貰っていない」
「急に来ることになったから暇がなかった。つか、今日の昼に連絡したらアンタ会合に出掛けたとかでもういなかった。伝言はしたんだけどな」
 ぽんぽん、と引き上げたシーツでくるんだロイの肩を叩き、蛙は耳許へと唇を寄せた。
「あのね、今日ってバレンタインなんだよね」
「……………、」
「別にアンタに花束なんかやろうと思ったわけじゃないけど、せっかくこっちに来たし恋人の顔くらい見たいなあと思っても悪くねーんじゃねぇのってオレですら思うんだけど、アンタはどうなんだ」
「…………男の顔を見ても」
「そう言うと思った」
 蛙は小さく肩を竦め隣へと潜り込んで身を縮めた。
「うわー、酒臭ェー」
「鋼の」
「寝ろよ。起きてんなら襲うぞ」
「………悪くない」
 ぱちり、と瞬いた気配がするほど顔が近い。呼気が薄く肌へと触れる。
「悪くはないぞ」
 
 愛の日に、金目の蛙の顔を見るのも。
 
「…………………。………も、それ以上余計なこと言わなくていいから、オレが我慢出来てるうちに寝ちまえよ」
 じゃないと襲うぞ、と囁いた声が僅かに熱を孕んでいて、ロイは小さく笑い、言い付け通りにそれ以上は口を開かず睡魔に身を委ねた。
 微かに唇へと触れた柔らかな感触とおやすみ、と呟いた声は遠く、ロイは酔い心地の中小さくおやすみ、と返したが、蛙に届いたかどうかは解らなかった。

 
 
 
 
 

■2005/3/13

翌朝ハボと別れたところから記憶がない大佐にエドはベッドから蹴り落とされます。(そんなバレンタイン)

バレンタイン限定SS。フリーSSでしたが、現在は配付は終了しておりますので持ち帰らないでくださいませー。配付終了とともにデッドリンクしてましたがこっそり復帰させてみました。

初出:2005/2/14

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