「参った……ついてねぇ」
 雪の最中、人里離れた山の中に取り残されたエドワードはましろに煙ってまるで雲の中にでも隠れているかのような遠い麓を見下ろし、がちがちと身体を震わせた。
 
 本気で命の危機だった。
 
 
 
 雪崩で線路が埋まり立ち往生していた兄弟は、やはり立ち往生していた人々の手配した年が明ける前に山を越え麓の町へ着くという馬車に乗せてもらったのだ。そこまではよかった。
 実際年末だったこともあって列車の復旧は年が明けてしばらくしないと無理で、地元の人間の話では下手をすると春までは閉じこめられるのではないかという話で、そんなに待っていられるかと暴れ掛けたエドワードをいつの間にか馬車への同乗の交渉を纏めたアルフォンスが止め、出発したのが昼を少し回った頃。晴れた雪道を順調に進み、雪がちらつき始めたのは夕刻少し過ぎで、その視界の悪い進路へとぼろぼろの倒れた馬車が現れたのが日の落ちる少し前。
 慌てて馬を止めた御者が悲鳴を上げて、顔を出した兄弟の目に飛び込んだのは銃を構えた、何とも時代錯誤な山賊とでも言うべき面構えの男たちで。
「………余計なことすんじゃなかった………」
 当然のように敵を排除するべく馬車を飛び降りぱんと手を打ち合わせたエドワードを、弟が慌てたように呼んだ。その声に構わず男たちをほとんど一薙ぎで打ち倒し、自慢げに振り返った目に映ったのは、エドワードをおいて疾走する馬車とその馬車から飛び降りた弟で。
 ぼふ、と雪に埋まったアルフォンスに慌てて駆け寄り子供を盾に逃げて行く馬車を罵倒しながら掘り出して、ふと振り向けば山賊たちもいなかった。
「………寒ィ………」
 すっぽりとフードを被り身体を抱えるように腕を巻き付け、エドワードは足踏みをしてみるが無駄だった。どうしたって寒い。というか朝までこのままでは確実に遭難だ。凍死する。
 だが日の落ちた雪山を彷徨ったところで、体力の消耗が激しくなるだけだ。
 どうしたもんかな、と歯の根の合わない口で溜息を吐き、エドワードはふとアルフォンスを探した。
「アールー?」
「こっちー」
 白い視界の中で灰色の影が蹲り何かをしている。エドワードはぎしぎし軋む足を持ち上げ弟へと歩み寄った。
「なにしてんだ?」
「ん、ちょっと離れてて。雪崩になったら困るから」
 はあ? と首を捻る兄に構わず、雪に錬成陣らしきものを描いていたアルフォンスは軽く手を翳した。
「いっきまーす」
「って、お前なにを」
 ばしん、と稲妻が弾けた。同時にざざざと雪が盛り上がり、目を丸くする間に形を整え屈み込んだアルフォンスと同じ程度の大きさのスノーマンが現れる。
「…………お前、オレが凍えそうだっつーときに何遊んで……」
「遊んでないよー。ほら、早く入って」
「は?」
 示された先を見ると、スノーマンの腹にぽかりと穴が開いていた。エドワードが屈んでようやく入り込めるような穴の向こうはどうやら空洞になっているらしい。
「なんだこれ」
「かまくら。あったかいよ」
 言いながら兄を押し込み、入り口のすぐ外に座り込んだアルフォンスはぱかりと腹を空けて毛布を引っ張り出した。
「お前、その毛布どっから」
 えへへ、とアルフォンスは自慢げに笑う。
「さっき馬車から飛び降りるときにどさくさでとってきちゃった」
「ってドロボーだろ!」
「いいじゃんこれくらい。兄さんが考えなしに飛び降りたお陰であの人たち襲われずに済んだんだから」
「…………褒められてんのかけなされてんのか解んねー」
「呆れてんの」
 いいから下に敷いてよ、と指示をしてアルフォンスは入り口を塞ぐように座ったまま背を向けた。
「奥に行っててね。あとボクに触っちゃダメ」
「なんで。つか、お前も入れよ」
「入れないよ。兄さんサイズだもん」
「微妙にむかつくなおい。でかいの作り直してやっから」
「いいってば」
「なんで」
「だから近くに来ないでってば」
「なんで」
「凍えちゃうでしょ……って触るなってば!」
 ぐ、と身を離したアルフォンスの背に凍り付き掛けていた手袋が、べり、と音を立てて剥がれた。
「絶対絶対素手で触んないでね!! 皮剥がれちゃうから!!」
「わ、解った」
 エドワードはおとなしく弟の言う通りに奥へと這い、毛布を敷いて胡座を掻いた。確かにあたたかい。眠ってしまっても凍死することもなさそうなほどには、というだけで、風邪を引くのは免れないだろうが。
「………なんつーか、割と毎年年越しって適当に過ぎるけどさ」
「列車の中とか駅の待合室にぎゅう詰めとかね」
「今年くらい冴えねーのもねーよな……」
「新年早々兄さんは風邪だろうしね」
「つか、そもそも降りられんのか、山から」
「朝になったら降りよ。大丈夫、雲はそんなに厚くないから、晴れるよ」
 背を向けたアルフォンスからわんわんと響く声が近い。そう言えば血印は背にあるんだから肉体と違って声は四方向に響いてんだよな、と考えて、エドワードはごろりと横になった。毛布がありがたい。
「………お前、この雪ん中でよく雲が見えんな」
「真っ暗じゃないからね。雪明かりっていうのかな、ぼんやり光ってる。綺麗だよ」
 さすがに明度ゼロでは視界の利かないアルフォンスだが、鎧の身体となってからはその眼は夜行性の動物ほどには闇に強くなっている。それに容易く馴染み便利だね、と言ってしまえる弟はあっけらかんとしていて悲壮感はなくて、だからエドワードは胸が痛まずに済んでいる。
 少しずつ、弟がひとから離れていくようにも思えて、時折息苦しく胸が軋むこともあるのだけれど。
「………アルー」
「なあにー」
「……………来年…や、もう今年か? 今年は元に戻ろうな」
 微かに、空気が震えた。声もなく弟が笑うのを、こうして感じるのは初めてだった。
「うん、戻ろうね」
「絶対な」
「うん、絶対ね」
 くすくすと、今度は小さく笑い声を立ててアルフォンスが微かに動いたようだった。がさ、と雪の落ちる音がする。
「兄さん、眠そうだ」
「………後でお前の雪払ってやんないと」
「どうせまた積もるから、朝になってからまとめてでいいよ。少し眠ったら? ちゃんとコートにくるまるんだよ。手袋も外しちゃだめだからね。フードも被ってて」
「………おー……」
「おやすみ、兄さん」
「………やすみ…」
 もごもごと返した声に、再び弟の小さな笑い声が響いた。
 
 
 
 
 
 ふっと目が覚めた。ぶるりと身を震わせ、よかった死んでねェ、と呟いてエドワードは身を起こした。暗い。
「あ、兄さん起きた?」
「おー……」
「わ、酷い声になったねえ。早く山降りてあったかくして、お医者さんだね」
「ったって、まだ夜だろ」
「ん、兄さんナイスタイミング」
 なんだよ、と痛む喉を宥めながら尋ねると、アルフォンスの背がちょっと待って、と言い置いてぎしりと動いた。
 ぎし、ばき、と厚い氷の折れる音がする。エドワードはふと頬を引きつらせ固まった。
「…………おい」
「ん? ちょっと待って、凍っちゃってて」
「おい! いいから動くな!」
「も少し」
「壁壊して出るから動くなって……!」
 ばきん、と響いた音に竦み上がり、慌てて鉄の背へと這いずったエドワードが弟に触れる直前、ふいに大きく揺れたその背が離れた。さあっと目映い光が差し込む。
「………アル」
「東向きだったみたい。綺麗だよねえ」
 額へと手を翳し、真っ直ぐに上る朝日を見ていたアルフォンスはもぞもぞと這い出た兄を顧み、ぎ、と凍る鎧を軋ませ僅かに首を傾げた。冷えた鉄にはどこもかしこも雪が積もり、張り出した顎から氷柱が垂れている。
「ハッピーニューイヤー、兄さん」
「……おう」
「今年もよろしくね」
「…………おう」
「もう、おう、じゃないでしょ」
 ぷん、と顎を上げて見せて、アルフォンスは雪が積もりただの雪だるまになってしまったスノーマンに腕をつっこみ、毛布を取り出しはたはたと叩いた。
「じゃ、降りようか。歩ける? 背負ってあげようか」
「歩けるに決まってんだろ」
「あはは、なら安心」
 背負えって言われてもボク今氷の塊だしねえ、と呑気な声で続けて、アルフォンスはぎゅ、と雪を踏みしめた。エドワードはその朝日に縁を光らせる雪まみれの背を眺め、眼を細める。
「………町に着いたら磨いてやっからな」
「お医者が先だよ。お医者の後はあったかくしておいしいもの食べて、ゆっくり眠って」
「お前磨くのが先だ」
 
 一晩中、吹雪が吹き込まないよう雪の中膝を抱えて座り込んでいた、お前を。
 
 アルフォンスはちら、と兄を顧みて、僅かに眼窩の赤い光を絞る。
「せめてお医者さんとご飯は先にして」
「お前が先だ」
「じゃなきゃぜーったい兄さんには磨いてもらったりしない」
「何だよそれ」
「ボクは風邪引かないの。錆びても兄さんが直してくれるでしょ? だから、病気になっちゃう身体のある兄さんのが優先」
「………………」
「せっかく頑丈な鎧の身体なんだから、有効活用しなくちゃね」
 
 だって今年は人間に戻るんだもん。
 
 だからそれまでの間、と続けて笑ったアルフォンスに僅かに失語し、エドワードはふと込み上げた笑いに鼻の頭を擦った。それからふいにむず痒くなった鼻にふあ、と息を溜める。
「ふ、あっくしょい!」
「うわ、兄さん汚!」
「るせえ! 寒ィんだよ!」
「早く山降りよ」
「ってこら、待てっつの!」
 ざっくざっくと先を行く大きな足跡の上を辿りながら、その楽に踏める歩幅がいつもよりもずっと狭いことにエドワードは気付いている。
「ったく、兄貴だっつーのに形無しだよ」
「え? 何か言った?」
「べーつーにー」
「………変なの」
「お前あんまりオレの世話焼くな」
「焼かれたくなかったらちゃんとしてよね」
 至極当然に返されて、エドワードはむう、とむくれて再び歩き出したアルフォンスの踏み締めた後を辿った。

 
 
 
 
 

■2005/2/7

お年賀SS。フリーSSでしたが、現在は配付は終了しておりますので持ち帰らないでくださいませー。配付終了とともにデッドリンクしてましたがこっそり復帰させてみました。

初出:2005.01.01

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