ドン、と炸裂音が鈍く空気を震わせた。続いてパラパラパラ、と火薬の弾ける小気味よい音が響く。
「ああ、始まったな」
 顔を上げ、背後の大きな窓越しに広がる夜空を見遣ってロイはその星の暗い冬空に鮮やかに煌めく花弁に瞳を細めた。
「新年おめでとう、中尉」
 正面へと身体を向けてそう言えば、書類を数えていた副官はふっと顔を上げて姿勢を正した。
「おめでとうございます、大佐」
「ハボック少尉たちはこれからが本番かな」
「パレードはこれからですからね。けれど少尉の隊は開始時間前からの警備ですから、あと1時間もすれば凍えて帰ってくるでしょう」
 ふん、と頷き、ロイは懐からウォレットを掴み紙幣を数枚取り出した。
「新年早々祭りにも参加できずに酔っぱらいや馬鹿の相手をして帰る連中に、何か温かいものを用意してやってくれ」
「アルコールでも?」
「連中は戻れば勤務は終わりだろう? 構わないよ」
「解りました」
 紙幣を受け取り、一礼をして退室しようとしたリザはタイミング悪く鳴った電話に足を止め、数歩戻って受話器へと手を伸ばす。
「はい、………あら、はい。おめでとう、こちらこそよろしくね」
 ふいに砕けた口調に瞬き書類へと落とし掛けていた視線を上げると、同じく目を上げたリザと視線がぶつかる。
「ええ、いらっしゃるわ。待って───大佐、エドワード君です」
 差し出された受話器をひとつ瞬いて見つめ、ロイは礼を言って受け取った。
「私だが。どうしたねこんな夜中に」
 首を傾げて視線を寄越すリザに頷いて片手を振り退室を許可し、ロイはくるりと椅子を回して窓へと半身を向けた。きらきらと火花が夜空を流れ落ちて行く。
『どうしたって………新年じゃん』
「まあ、新年だ」
『新年おめでとう、大佐』
「………君がそういうことを気にする少年だとは知らなかった」
『だってオレアンタの彼氏だし』
「か………」
 復唱しそうになった言葉を寸でで呑み、ロイは素早く認識の齟齬を調整する。こういった気遣いをすべき関係であると少年が認識している以上、それに付き合ってやっている大人としては合わせてやらなくてはなるまい。
「鋼の」
『………なに』
「新年おめでとう。今年もよろしく頼むよ」
 機嫌良く、見えていないのを承知の上で微笑すら浮かべて言ってやると回線の向こうで少年が戸惑った。
『う、うん……』
「今年はあまり騒ぎを起こさずひとに迷惑を掛けずに過ごすんだぞ」
『新年早々それかよ!』
「今年こそ目的を果たせるよう祈っているよ」
『あ、う、うん……さんきゅ』
「ところでだな」
『うん?』
「確か去年の年始はこんな電話を掛けてはこなかったよな」
 う、と少年が詰まる。ロイは記憶を辿った。少年にとってどうだったのかは聞いてはいないから解りはしないが、少なくともロイにとっては割にどうでもいい事柄ではあったから、何かアプローチがあったのならその意外性ゆえに憶えているはずだった。しかしどれだけ記憶をあさろうが、こういったイベントじみた行事の際に少年が浮かれた電話を掛けてきた記憶も会いに来た記憶もない。少なくとも恋人と呼べる関係になってからは、偶然東部に居合わせた、ということもなかったはずだ。
「降誕祭も復活祭も」
『そ…そうだよ! 年末もアンタの誕生日にだって電話したことなんかねーよ!』
「あー」
 誕生日なんてものもあったか、とひとり頷きつつ、ロイは頬杖を付いて花火を眺める。
「で?」
『え?』
「どうして今年に限って連絡を寄越したんだね」
 う、と再び詰まった少年は、アルが、と口籠もった。
「アルフォンス君がどうした?」
『………恋人なんだったらちゃんと挨拶しなきゃダメだって』
「………………。……ああ、彼は知っているんだったな………」
『兄さんは大佐を大事にしなさ過ぎだよ! って新年早々怒られた』
 弟の言葉を真似た少年の声はあの幼い声とは似ても似つかなかったがそれでもその口調は驚くほどにそっくりで、ロイは思わず鎧の少年が可愛らしくぷんぷんと怒る様を想像して吹き出した。
『何笑ってんだよ………』
「い…いや、悪い、つい……弟の真似が上手いな」
『な、なに言ってんの、いいだろそんなの別に。……そんなことより』
 少年の声が僅かに拗ねた。
『嬉しくないのか?』
「え?」
『だから、………電話したの迷惑だった?』
 仕事中だろ、と拗ねたままに続けた少年の声に、僅かにノイズが混じる。回線の調子は相変わらずあまりよろしくないようだ。ロイは勝手に笑い出しそうな口元をなんとか引き締めて、喉を整え笑い声を押さえた。
「いや、嬉しいよ」
 無言が返された。
『………ほ、ほんとに?』
 動揺した声に今度こそ笑いを抑え切れず、ロイはくつくつと喉を鳴らしながらああ、と答える。
「本当だ」
 回線の向こうで少年は再び沈黙した。ノイズ混じりの沈黙の奥へと耳を澄ませばその早い鼓動が聞こえそうな気がして、ひとが悪いな、と考えながらもロイは低く囁く。
「鋼の」
『─────ッ、』
 少年が息を呑んだ。ロイは薄く笑って目を伏せる。
「君の声を聞けて嬉しいよ」
『え、……っと、』
「今はどこにいるんだ?」
『う、あー……南部、の方だけど』
「では暑いのか」
『暑いってほどじゃねーけど、まあ寒かねーかな。………な、その音なに?』
「音?」
『どんどんって聞こえる』
 ああ、と呟いてロイは瞼を上げ眼を窓へと戻した。
「花火だよ」
『花火?』
「新年のパレードだ。ここからだとよく見えるな」
『一人で見てんの?』
「中尉が買い出しに出てしまったからな、今は一人だ」
『さみしー新年だな』
「何、この寒い中警備に出ている少尉に比べれば」
『中尉も働いてんだよな? アンタの部下はこき使われて気の毒だな』
「何を言う。これが終われば彼らは休暇だよ」
『アンタは?』
「ま、そのうちな」
 ふうん、と呟き、少年はまた僅かに沈黙した。けれど今度の無言は何か思案げで、ロイは少年の意識が回線のこちら側へと戻ってくるのを黙って待つ。
『………あのさ』
「なにかね」
『今月の第三週の末くらいからにしない? 休暇』
「うん?」
『オレたち、その頃にそっち行くからさ』
「は?」
『ニューオプティンの近くの町にさ、小さいけど結構いい文献の揃ってる図書館があるんだけど、そこが今月の第三週半ばくらいまで閉まってんだよ、改装中とかで。そこ行って、その後そっちに報告書届けに行くから』
「だからと言って私が君たちに合わせる必要は……」
『だってほっとくとアンタ、休暇振り分けちゃってまとまった休みなんか取りそうにないじゃん。もったいないよ、せっかくの休暇なのに。別に全部オレたちに付き合えとか言わないし』
「………………」
『それとも何、どっか旅行でも行く予定とかあった? ……カノジョ、とかと』
「………そんな予定はないが」
 ふ、と息を付いて背もたれへと沈み足を組み、ロイは天井を見上げる。
「それで? 何がしたいんだ」
『え、何ってんじゃないけど……んーと、そうだなあ……。……報告書届けた後、オレらと一緒に西部に行くとか』
「ほう」
『………北部でもいいけど』
「雪で閉じこめられるのはごめんだな」
『南部でも』
「今南部なんだろう」
『そ、そうなんだけど………』
 少年はどこか憮然とした、けれど僅かに照れを滲ませた声で続けた。
『どこでもいいからさ、一緒に行こうぜ。そっちにいると何かあったときに簡単に呼び出されちゃってゆっくり出来ねーじゃん』
「そのためにこちらに残っているんだがね」
『解ってるけど、そんなんじゃ早死にするよ。たまには気分休めないと』
 それは君のことだろう、と喉まで出掛かった言葉を呑んで、ロイは代わりに溜息を吐いた。
「難しい申し出だな、それは」
『………やっぱダメ?』
 ふむ、と呟き窓を見遣る。緩い風にゆっくりと煙が流されて行く。
「…………中央くらいまでなら同行してもいい」
『って日帰り出来んじゃねーかよ!』
「日帰り出来ないような場所へ連れ出すつもりだったのか?」
『じゃなきゃ意味ねーだろ! なんかあったらアンタ帰っちゃうじゃん!』
「あのな、鋼の。私はそれが仕事なんだ。指揮官が留守にしてどうする」
『別にアンタの仕事の邪魔したいわけじゃねーの! じゃなくて、全然休んでないから心配してんだろ!? って新年早々怒鳴らすなバカ!』
 怒鳴り声に受話器を耳から離し、少年の息が落ち着く頃合いを見計らってロイは受話器を握り直す。
「鋼の」
『………なんだよ』
「東部以外ならどこでもいいとでも言いたげだが、君の次の目的の場所はどこなんだ」
『……………』
「手掛かりなしか」
『……………。……じゃなきゃこんなこと言わねぇ。アンタをないがしろにしてるわけじゃないけど、』
「解っている。成すべきことがあるのにそんなことを言い出したとしたらただではおかない。君は君と弟を優先しろ」
 沈黙が返された。そう長くもないその無言の後に、はあ、と、盛大な溜息が響く。
『それって、アンタはアンタのことを優先するからって聞こえる』
「当然だ」
『でもアンタの言うアンタのことにはアンタの身体のこととかは入ってねーんだよな』
「充分に足りる程度には休んでいるがね」
『どーだか』
 け、と毒突く少年に、ロイは薄く笑った。見遣った窓の外では花火は終わり、遠く広場のイルミネーションが光る。大通りを行く光の渦はパレードだろう。あの中に部下たちがいる。
「休みは第三週末にとっておこう」
『…………へ?』
「情報がないか当たっておくが、もし何もなければ君たちこそ少しゆっくりとしなさい」
『え、』
「なんならうちにくればいい。書籍ならまた増えているぞ。読む暇がないから積まれっぱなしだが」
『ってなんで読まねー本買ってんだよ! 税金の無駄遣いすんじゃねぇよ!』
「いいじゃないか、君やアルフォンス君が読んでくれるんだから」
 何それ、と憮然と返した少年の声にとんとんと苛立ったリズムで電話を叩く音が混じる。
『オレはさ、アンタを心配してんだよ』
「有難いね」
『でもアンタはオレたちの心配なんかしなくていいの!』
「………それは随分だ」
『もう充分してもらってるからこれ以上はいいって言ってんだよ。大体オレたちはアンタと違って若いの! オレは一晩ぐっすり眠ればそれで疲れは取れるし、アンタみたいに熟睡してても電話ワンコールで飛び起きるみたいな変な眠り方してねーから』
「それでも遠くへ出掛けるわけには行かないな」
『……………。解ったよ』
 ふいに掌を返したようにそう言った少年に、ロイは軽く眼を細めた。
「では、こちらへ来る日が近くなったらまた連絡しなさい」
『うん。じゃな』
 あっさりと切られた通話に僅かに笑い受話器を置いて、ロイは頬杖を突きくつくつと喉を鳴らした。
 
 あの兄弟が泊まりに来たなら、無茶ばかりをするあの少年に電話線を引っこ抜かれないよう気をつけておかなくてはならないだろう。
 
 先手を打ってアルフォンスに電話線の見張りを頼むことにしよう、と決めて、ロイは書類へと手を伸ばした。

 
 
 
 
 

■2005/2/7

お年賀SS。フリーSSでしたが、現在は配付は終了しておりますので持ち帰らないでくださいませー。配付終了とともにデッドリンクしてましたがこっそり復帰させてみました。

初出:2005.01.02

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