くらがりのいりぐち。
「犬のおにいさん!」
ぴく、と本当に耳を動かして顔を上げた青年は、おう、と笑って立ち上がった。
「アルか。グリードさんまだ寝てんだよ」
「だろうね」
少女は薄暗い店内に物怖じせずにたかたかと青年の元までやって来た。その少女に椅子を勧め、青年は傍らの瓶から炭酸水を注いで渡す。
「今日の舌の具合はどうだ?」
「今朝の目玉焼きはゴムの味がした」
「調子悪いみてーだな。その割りには痩せねーよなあ」
うるさいな、とむくれた数年前に大事故で頭を打って以来あらゆる感覚に異常をきたしているという少女に、青年は傍らの皿を差し出す。
「ドルチェットが作ったの?」
「マーテルだと思うか? 俺に決まってんだろ。匂いはどうだ?」
作り立てらしい焼き菓子をくん、とにおい、少女は首を傾げた。
「鼻詰まってる」
「詰まってねぇよ。鼻の調子も悪いなら食えねえなあ」
言って下げかけた皿から素早く小さな手が菓子を一つ奪い、口に放る。
「さくさく」
「無理すんな」
「感触が美味しい」
少女はえへ、と笑う。
「美味しいよ、ドル」
へ、と笑い、青年は少女の金の短髪をくしゃりと撫でた。
ふと、青年が鼻をうごめかす。
「ん、グリードさん起きたぞ。行ってみな」
うん、とうなずいた少女は、ぽんと椅子から飛び降り奥の扉へと向かう。扉を閉める直前、ふと青年を顧みると、薄暗がりの中、青年の瞳が濡れたように光っていた。
犬の眼だ、と考えながら、少女は小さく手を振り扉を閉めた。
青年は再び「へ、」と小さく笑い、手付かずの炭酸水を飲んだ。
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