きみのことば。

 
 
 

「それじゃあね、マスタング君にハボック君」
 よく知る名にぴくりと顔を上げ、エドワードはきょろきょろと辺りを見回した。仕切り代わりの観葉植物の向こうに小柄な老人と、見覚えのある姿勢のいい背が見える。
「それ、よろしくね」
「はい。お任せください、社長」
 余所行きの声よりも幾分か甘く響くアルトに、エドワードはむっと眉を顰める。
(何甘えた声出してんの、アイツ)
 媚びる色はないが、例えるならば祖父に甘える子供のような。
「うん。君なら任せて安心だからね」
「ご期待にお応え出来るよう精一杯やらせていただきます」
「はは、そのうち仕事抜きで呑みにでも行きたいねえ」
 ふ、と小さく間が空いた。多分笑ったのだ、とその見えない顔を想像して、エドワードは眉間の皺を増やす。
「はい、是非」
 じゅるじゅるとストローを鳴らしてもう氷だけのアイスコーヒーを啜りながら緑の影から眺めると、伝票を掴もうとした老人を止めた横顔が見えた。
 
 ───笑顔。
 
 仕事用の顔じゃねぇなあれ、と内心で呟いて、エドワードはくわえたストローを揺らす。それからふと恋人の隣に立つ長身に気付き、眼を瞬かせた。
(誰だっけ、あれ)
 部下のひとかな、と首を捻りながら、老人が去るのを見送り身を低く保ったままさっと席を二つ移動して恋人の真後ろに付く。ソファと観葉植物に遮られ、こちらに背を向けたままの恋人は気付かない。
「マネージャーってあのじいさん好きですよねえ」
 のんびりと間延びした口調で言った青年を、こら、と恋人が幾分か本気を交えた声で咎めた。
「社長でしょう」
「はいはい、社長さんですね」
「返事は一度で」
「はい、マネージャー」
 くつくつと笑う声にかちん、と小さな金属音が混じり、そう間を置かずに紫煙が匂う。
 恋人の煙草とは違うその匂いにエドワードはくん、と小さく鼻を鳴らした。恋人が煙草に火を点ける様子は無い。
「そういや、マネージャー」
「ん?」
 かちゃ、と小さく陶器の触れ合う音がする。コーヒーだろうか、と考えて、エドワードは先程までアイスコーヒーの入っていた汗を掻いている空のグラスを金属の指で撫でた。
「こないだの日曜、出勤してたんですね」
「ああ、リザに聞いた?」
「や、事務の子がタイムカード見ててそんなこと言ってたんで」
 ふ、と微かに笑う気配がした。
「どうしてそんな嘘を吐くのかな」
「嘘じゃないっすよ」
「嘘だね。私はあの日はタイムカードを押していないから」
 ありゃ、と青年がおどけた声を上げた。それに被せてくすくすと響く笑い声がいつになく女のようで、エドワードは机に伏せ腕に顎を乗せて、むすりと不機嫌に唇を引いた。
「でも何でです?」
「ん?」
「土日は予定があるとか言って先週はかなり無理して仕事片してたでしょ。なんか忘れ物でもしたんですか」
 んー、と困ったように曖昧に返して、かさ、と小さく紙の音がした。間を置いてゆったりと流れた紫煙は間違いなく恋人の煙草だ。
「ちょっと予定が空いてしまって」
(……は?)
「はあ、彼氏と喧嘩でもしましたか」
(は!?)
 眼を瞬かせてエドワードは耳に集中する。恋人が小さく苦笑を洩らした。
「ま、そんなところかな」
(そ、そんなところって……)
 
 喧嘩なんかしてねーじゃん。
 
 ただ仕事が入ったからと、そう言われただけなのに。
 青年がははあ、と呟いて少し笑う。
「また別の彼氏ですか?」
「またってなに、またって」
「またはまたでしょ。あんた長続きしないじゃないですか」
「リザほどじゃないよ」
「あのひとは別でしょ。なんつーか、あんまり恋愛してる感じじゃないっていうか」
「恋人をステータスのように思うようなひとじゃないよ、リザは」
「や、解ってますけど、んー……まあいいじゃないですか、ホークアイ女史のことは」
 ちらりと緑越しに窺うと、あんたのことですよ、と言って青年はぷかりと煙を吐いた。少し間延びした顔に薄青いタレ目の、人の良さそうな、それでいてどことなく掴み所のなさそうな金髪の男だ。
「私の恋人のことなんて、君には関係ないと思うけど」
「いや、心配してるんですよ、部下として。あんた時々抜けてますからね。なんかあったとき痛い目見るのは女のひとなんですし」
「何かねえ……」
「どんな奴なんです。いつから?」
 ふ、と恋人が軽く肩を竦めた。
「今日は随分とゴシップ好きなんだね、ハボック」
「そうですかね。……まあいいじゃないですか。それよりどうなんです?」
 うーん、と呟いたきり恋人は何も言わない。多分曖昧に笑ってどう答えるか考えているのだろう。
 エドワードは無言で立ち上がり、大股に踏み出して席を周り恋人の座るソファの背を掴んだ。ハボックと呼ばれた青年がふとエドワードを見上げ、瞬く。
「ロイ」
「え?」
 黒い眼を丸くして恋人はエドワードを見上げ、それから見知ったいつもの笑顔を見せた。
「どうしたんだ、学校は?」
「3年が面談があるから午前で終わり」
「そうか」
 頷き、それからふと黒い眼に悪戯っぽい光を閃かせ、恋人はエドワードの鋼の右手を取り引き寄せ肩を抱いた。
「ちょうどよかった、ハボック」
「へ?」
「彼だよ、私の恋人」
 くすくすと楽しげに笑いながら言う恋人に、青年がぽかんと口を開けた。
「……へ? って、いくつですかその子」
「15だよ」
「16になるよ、もうちょっとで」
「………はあ、高校生……それにしては小さ」
「んだとコラ!?」
「こら、エドワード」
 声を荒げ掛けたエドワードの腕を引いて窘め、恋人は眩しげに目を細めて見上げた。
「これから何か用事でも?」
「……いや、別に。帰るだけ」
「そうか。私も今日はこれで上がりなんだが」
「え、でも今日平日……」
「代休が溜まっているから、少し消化しないと総務に文句を言われるんだ」
 ああそうなの、と返したエドワードににこりと笑い、恋人は伝票を掴んで立ち上がった。
「じゃあ、ハボック。それ、ちゃんと持ち帰ってね」
 テーブルの端に置かれた封筒を指差され、あ、はい、と間抜け面を晒したまま反射的に頷いた青年が、慌てたように立ち上がった。
「え、ちょ、……嘘っすよね? ほんとは甥っ子とかなんとか」
 エドワードの肩を押して歩き始めていた恋人は肩越しに振り返り、少年の知らないミステリアスな微笑を浮かべ、「さあ?」と小さく肩を竦めた。
 複雑な顔で立ち尽くす青年にほんの僅かに同情しながら、エドワードはさっさとレジへと向かった恋人に追い付くべく慌てて足を早めた。
「な、ロイ」
「んー?」
 エドワードは僅かに逡巡し、少し俯いて首を振る。
「や、なんでも」
 恋人は目を瞬かせ、ふと表情を弛ませた。
「妙な子だな」
「子とか言うな」
 はいはい、と返した恋人にはいは一回、と生真面目に返すと、笑みを含んだ声がはい、と背を向けたまま返された。
 レジのウエイトレスが微笑ましそうに僅かに微笑するのを見ながら、あの青年への微笑や言葉遣いとこの自分へのそれが違う理由を、少年は黒髪の掛かる襟足を見つめながらじっと考えていた。

 
 
 
 
 

■2004/10/22

東方司令部のおじいちゃん将軍の名前が知りたいなあ…。
にょたいさはおじいちゃん社長が大好きです。(解りますから)
ハボはここでも受難のひと。

…そういやエドが会計してないですよ…?(食い逃げ)

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