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「ことしのえほーはなんなんとー」
「ことしのえほーはなんなんとー」
「何のまじないだ、何の」
 呆れ顔で振り向いた家主に、後ろでちょこまかしていた幼児たちは声を揃えて「テレビでやってた」と答えた。
「……あまりテレビばかり観るなよ」
「観てないもん」
「観てないもーん」
 うちでは、とぼそりと小声で付け足された言葉に、なるほどヒューズ家か、とやれやれと小さく溜息を吐いて、ロイはまな板と包丁を取り出した。途端「あーっ!」と叫んでどしっと足にしがみついた兄に、ひやりとして慌てて包丁を置く。
「エドワード!! 刃物を使っているときと火を使っているときは近付くなと言っているだろう!!」
「だってせっかくのグレイシア姉ちゃんのえほーまき!!」
「だから! 切って食おうとしてるんじゃないか!! 向こうへ行ってろ!!」
 違う違うだめだめとぶんぶんと頭が取れそうなほど首を振る子供に、ロイははー、と溜息を吐いてそのつむじを掌で押さえて止めた。
「なにが違うで駄目なんだ」
「切っちゃだめだ!!」
「まるごと食べるんだよ!」
 エドワードのつむじを押さえたまま、兄の加勢を始めたアルフォンスにちらりと視線を向けてロイはあのなあ、とこめかみを押さえた。
「丸ごと食えるわけがないだろう、子供が」
「でもまるごと食べなきゃ意味ないんだぜ!」
「黙ってぜんぶ食べるんだよ!」
「口に入らんだろうが。顎が外れるぞ。そもそもお前たちに食い切れるわけがないだろう」
「食べれるもん!!」
「ふくが来るんだから!」
「………福がなんなのか解っているのか、お前たち」
 兄弟はきょとん、と金眼を丸くした。
「……いいこと?」
「いいことだよね?」
「まあ、間違ってはないが……抽象的な福ならば初詣で充分に祈ってきたろうが」
「え、だってはつもうではお祈りっていうか、今年もいいこでいますから見ててくださいってかみさまに言うんだって、ロイ自分で言ってたじゃんか」
 大体お願いするのと呼び込むのでは別だとむくれる兄と、そうだそうだと大真面目に頷く弟に、ロイはもう一度こめかみを押さえた。頭痛がするような気がする。こうして押し問答している間にも、まな板の上の太巻きはどんどん乾いて行く。
「………とにかく、向こうへ行ってろ。切って持って行くから」
「だからー! 切っちゃだめなんだってば!! あったま悪いなー、ロイ」
「大人にその口の利き方はいただけないなあ、エドワード」
 ぐりぐりとこめかみを拳骨で捻ると、痛い痛いと喚いたエドワードは慌ててロイから逃げた。
「やぬしおーぼー!!」
「ひどいよロイー! ボクら悪いこと言ってないのに!!」
「ああそうだな、間違ったことは言っていない。しかし恵方を向いて巻き寿司を丸かじりというのは西の風習で、ここは西ではない。それにお前たちがそれをするならもっと小さい巻き寿司を用意しなくてはならん。俺では作れないし、今からグレイシアに頼むのもあまりに申し訳がない。つまりそれはお前たちの我が儘に過ぎない、ということだ」
 子供達は揃ってむっと大きな金眼に半分瞼を被せ、それからはっとしたように互いの顔を見た。
「………アル、今、怒ってたよな」
「ちょ、ずっずるいー! 兄ちゃんのほうが怒ってた!!」
「だって今の顔すっげー怖かったぞ。ことしのオニはアルだな!」
「やだやだやだ!! 兄ちゃんのずるっこー!!」
「………何の話だ。俺にも解るように説明してくれないか」
 絶対アルだ! と断言する兄とやだやだと首を振り続ける弟を眺め、濡れ布巾を太巻きに掛けてロイは椅子を引いて座った。どうもまだ食事の準備はさせてもらえないらしい。
「節分ってオニの役決めるだろ?」
「……まあ、決めたほうが豆まきは盛り上がるな」
 世間一般の家庭で父親が鬼の役を回されることが多いように、恐らく家主である自分が豆を投げつけられるのだろうなと考えていたロイは胸を張るエドワードの説明に耳を傾けた。
「じゃんけんだと絶対オレが勝つからずるいってアルが言うから、母さんがフクはにこにこしていてオニは怒っているんだから怒ったひとがオニって決めたんだ」
「怒ってるひとのこころの中ってオニが入り込んでるから、追い出せてちょうどいいんだよ」
「ほんとはさっきロイ怒ってたから、ロイがオニなんだけど、ルール知らなかったんだから今年はカンベンしてやる!」
 偉そうに言い放ったエドワードに、違うよ兄ちゃん、とアルフォンスが唇を尖らせた。
「ロイは怒ったんじゃなくて、兄ちゃんはを叱ったの。兄ちゃんが悪いから叱られたんだよ。短気だからじゃないんだよ」
 狼狽えてしどろもどろに言い訳をするエドワードとしたり顔でいるアルフォンスを見ながら、ロイはなるほど、と口の中で呟いた。
 つまりこの兄弟は、毎年節分となるとどれだけ相手を上手く誘導して怒らせるか、それに頭を使うのだ。ルールがあるというからには恐らく暴力に訴えてはいけないのだろう。叱ることと怒ることが別だということは、つまりは駄々を捏ねるような、理不尽で我が儘な怒りを誘うということだ。
 もともと頭のいい子供たちではあるが、その兄弟の思考能力の基礎を巧く鍛え育てたのは間違いなくこの子らの母親だ。
 
 ロイはまだ二十代で亡くなってしまった生前の彼女に会ったことはないが、祥月命日や兄弟の誕生日、彼女の誕生日、結婚記念日、ロイの誕生日までことあるごとに子供たちに引き連れられて幾度となく墓参りはしている。兄弟や兄弟の父親、彼らの故郷にいる兄弟の幼馴染みやその祖母から聞くトリシャ・エルリックはおっとりとしていつもにこにことしたけれど強靭な女性だったようなのだが、もしかすると本当は、ただおっとりとした善き妻善き母親ではなかったのかもしれない。
 なんにしてもあのヴァン・ホーエンハイムの妻だった女性だ。ホーエンハイムとトリシャは戸籍上は離婚していたようだが、それでも彼らは家族として繋がっていたし、ホーエンハイムは今でもトリシャと、その忘れ形見の息子たちを溺愛している。
 その父親の後継者として、その遺伝子を継ぐ優秀な子供たちとして、密かに英才教育の素を造り上げていたのかもしれない。そうでなくてはまだ学校にも通うことのない年齢の、家庭教師を付けていたわけでもないこんな幼児たちが、大人でも一般人には解読できない錬金術書を難なく読みこなしてしまうことなどできないはずだ。まず文字の読み方と専門用語と科学書独特の文法を教えた人間がいるはずなのだ。もしかすると、自身の命が長くはないことを知った上での教育だったのかもしれないが。
 実際、この幼児たちの聡明さはロイの負担を随分と減らしている。子供らしい我が儘もよく解らない理屈も言いはするが、それでも二度真面目に叱ったことは喩え納得がいっていなくても二度とはしないし、無邪気な裏でいつでもこちらの様子を鋭く窺い必要以上の手を掛けさせることもない。だからこそこんな小さな子供たち二人を学校もバイトもあるまだ二十歳そこそこの若造が、それほど酷いストレスに晒されることもなく見ていられるのだ。
 
 なるほど、父親も一筋縄ではいかないが母親もなかなか癖のある人物だったようだ、とまだ言い合っている金色のサラブレッドたちを眺めて、ロイはあーこらこら、と片手を上げた。
「誰が鬼でもいいから、そろそろ食事にしないか。腹が減ったし、俺は仕上げてしまいたいレポートが一本あるんだ」
「うわ、家に仕事持って帰ってくるのって仕事できないヤツなんだぜ!」
「どこの理屈だそれは。大体仕事ではなくて勉強だ勉強。学生の本分は勉学だ」
 大体豆まきまでするなら片付けにも時間が掛かるだろう、と首を傾げて見せると、それもそうだと兄弟は頷いた。
「じゃあ巻き寿司は切るぞ」
 え、と眉を曇らせた二人を交互に眺め、ロイはふいににっこりと微笑んだ。
「機嫌悪く怒ったら鬼なんだったよな?」
「う……」
「そうだけど……」
「いい子にしていたら鬼は俺がやってやるから、向こうへ行ってテーブルを片付けていろ。すぐに食事にする」
 うう、と唸り、二人の幼児は口の中でやぬしおーぼー、と呟いた。立ち上がり流しに向かったロイは、背中で聞いたその文句を聞かなかったふりをしてやった。

 
 
 
 
 

■2006/2/3

gdr=ゴールデンルール=黄金律
すべて人にせられんと思うことは人にもまたそのごとくせよ。

兄弟を人見知りしないよう、大人に好かれるよう、自分たちで出来ることはするような他人と生きていきやすい子たちに教育したトリシャママを、家主はちょっと尊敬していたり。生きてるうちに会ってみたかったなあとか考えている女好き。

疑似家族エドロイアル
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