かいな
「ロイ! アンタからも言えよ!!」
ぎゃあぎゃあと喚いている幼い兄弟の声に辟易して二階の自室からようやく出て来た家主に、静かにしろと怒鳴る前にくるりと振り向いた兄が半べその弟を指差して叫んだ。しかし引っ掻き傷だらけなのは泣いている弟ではなく兄のほうだ。
相変わらず喧嘩に勝ったほうが泣いているんだな、と溜息を吐き、ロイは腕を組んだ。
「何がどうしたんだ、簡潔に説明せよ。あと近所迷惑だから喚くな」
「アルが! 猫!!」
「猫?」
言われてふと目を遣れば、何かを抱え込んでいた弟ははっとしたように身体を丸めてそのもちもちとした短い腕の中のものをロイの目から隠そうとする。しかし声までは隠しきれなかったようで、にあ、と細く鳴いたその声にロイは剣呑に眼を細めた。
「またか……」
「な!?」
「お前の監督不行届だな、エドワード」
オレのせいじゃねえ!! と喚く兄をそのままに歩み寄り、ロイは腕を組んだまま弟を見下ろした。幼児はまん丸い大きな眼に涙を溜めて口をへの字に曲げたままロイを見つめ、その小さな頭脳でずる賢く何かを考えて、それからそっと腕の中のものを差し出してみせた。
「すっごいちっちゃいんだ」
「そうだな、生まれて間もないようだ」
「ほっといたら死んじゃうと思うんだ!」
「だろうな、ひとりで生きて行けるとは思えない」
「だから、」
「駄目」
にべもない言葉にみるみる金眼が涙に曇る。
「ほらな、アル。絶対こいつはダメって言うに決まってんだよ! 今まで一回だって良いってゆったことないんだぜ!」
だから言ったじゃんか、と威勢良く言い放った兄にちらりと視線を向け、弟は俯いてぽろぽろと涙をこぼしうええ、と泣き声を上げた。
「ロイのひとでなしー」
「心外だ。…兎に角、何度も言っているが猫は駄目だ。研究室には劇薬の類もあるんだぞ。猫は棚でもなんでも登ってしまうだろう、危険なんだ。解るな、アルフォンス」
「わか……、」
涙に濡れた眼にちらりと賢い光が閃く。
「わか……んない」
ボク子供だもん、とでも言いたげな口調で呟いて、弟は目を逸らした。兄を見遣ると捨てて来いと分別がましいことを言っていた割に子猫の小ささにほだされたのか、ぱっとそっぽを向いて頭の後ろで手を組み唇を尖らせた。
ロイは溜息を吐く。
「兎に角、駄目なものは駄目だ。犬ならともかく、猫は……」
「犬ならいいのか!?」
「そういう問題じゃないよ兄ちゃん!」
弟を喜ばせてやれる、と目を輝かせた兄の臑に、びし、と容赦のない蹴りが入る。臑を押さえて転がるひとつ年長の幼児はそのままに、ロイは猫を指差した。
「捨てて来い」
「……………いや」
「俺はこれから夕飯の買い出しに行って来る。帰って来るまでに元のところへ捨てて来ておけ」
「………いや、ってゆってるの!」
「家主は俺だ」
解ったな、と念を押して踵を返す。キッチンからふええ、と泣き声が聞こえ、それをアイツひとでなしなんだからしょーがねえよ、と乱暴に慰める兄の声が被って、ロイは眉間に皺を寄せてがりがりと頭を掻いた。
まったく。
子供は面倒くさい。
捨てて来たみてーだぜ、泣いてたから、とソファにひっくり返って年に似合わない専門書を開きながら言った兄は(何か失言でもしたのか頬に引っ掻き傷が増えていた)、酷くむくれてロイの顔を見もしなかった。ロイは黙ってキッチンへと引き返し、冷蔵庫の中の牛乳が一本と、食器棚の皿が一枚消えているのを確認して小さな紙袋とケトルを手にぶら下げてまず弟の私室(この兄弟は寝室は一緒のくせに私室は別々のものを要求した)を覗いて留守を確認し、それから家の裏手に回った。
そっと納屋を覗くとしゃがみ込んだ小さな背が見えた。小さな窓から差す夕焼けが、金色の髪を時折きらきらと黄金のように輝かす。
「ねえ、お腹空いてるでしょ? あかちゃんはしょっちゅうごはん食べないといけないんだよ。お隣のねえ、リザ姉ちゃんが言ってたよ」
ぎゅう、と子猫の頭を押さえて皿に満たした牛乳に口を付けさせようとしている弟は、いっかな飲もうとしない小さな命に焦れている様子だ。
「ねえ、飲んでよう」
「止めなさい、アルフォンス。溺れてしまう」
びくん、とこちらが驚くほど全身を跳ねるように震わせた幼児は、わたわたとロイを顧みた。
「ご、ごめんなさ……ボク、」
「生まれて間もない動物は皿から牛乳は飲めないんだ。貸しなさい」
紙袋を開き、購入してきた子猫用のミルクを温い湯に溶いて哺乳瓶に詰め、にいにいと鳴いている子猫を片手にすくう。床に直接胡座を掻くと、にじにじと寄って来た幼児がぴたり、と寄り添いロイの腕越しに哺乳瓶に吸い付く子猫を見つめた。その眼がきらきらと輝いている。
「……飲んでる!」
「ちゃんと飼い主を捜せよ、早急にだ。次のミルクを買う気はないぞ」
「………やっぱり飼っちゃダメ?」
「駄目」
可愛らしく首を傾げる様に視線も向けずに返すと、幼児はふっくらとした頬をふくらませた。
「ロイのケチ」
「ケチで結構。理由は述べたぞ」
「研究室に鍵掛けておけばいいじゃん!」
「そうだなあ、お前達が忍び込んで錬金術書を引っかき回したりしないのであれば考えなくもないがな」
「しない! もう絶対しない!」
「口約束は信用しないことにしている。この件に関しては、お前達には俺の信用を得るだけの実績がない」
ううう、と呻く幼児は硬い言葉をきれいに理解している様子だ。ロイはふと笑う。
「俺も大学で飼い主がいないか探してみるから」
「うー…」
「いざとなったらヒューズに飼わせよう。それならいつでも遊べるだろう?」
「………。…どうせならグレイシア姉ちゃんとこがいい」
この女好きめ。
交渉してみよう、と溜息を吐いたロイにえへへ、と笑い、弟はぎゅう、とその腕に抱き付いた。
|