15 / レジスタンス  


 
「なあ……やっぱり止めようよ、こういうの」
 よくないよ、と何かに苛まれたような苦しげな息で言った少年に、ロイはうっすらと眼を開き寝返りを打った。既に衣服を身に付けたエドワードは出会った頃よりも随分と広くなった、けれどまだ少年のか細さを乗せた背を丸めて寝台の端に腰掛けたままだ。ロイは振り向いてくれないその苦しげに歪んだ金の眼を想像して、うっすらと微笑んだ。
「散々貪っておいて、それが別れの台詞かね。陳腐だな」
「………最初に誘ったのはあんただろ」
「それを拒めなかったのは君だろう」
 拒まなかった、のではない。拒めなかったのだ、とロイは知っている。
 それはからかいめいたいつかの恫喝や、ロイの握るいくつかのこの少年とその弟にまつわる後ろ暗い事実のせいではない。単に、若く押さえの利かない衝動に、呼び水としての道しるべを、ほんの些細な圧力を掛けてやったとそれだけのことだ。
 けれどそれだけで無機の弟と旅をしていた、書物からの知識はあれど実践などまるで伴わなかった自慰もままならない少年を引き落とすには充分過ぎた。
 エドワードは拒めなかった。拒む術を知らずにいた。そして一度憶えてしまえば大抵の若者が青春の一時期そうであるように、性に耽溺するのは無理もなかった。
 なにより彼は普段から半ば必然的に禁欲を強いられていた。どこかで羽目を外す必要があった。
 聡い少年はロイの言わんとすべきところを正確に捉えた。振り向かない顔が俯く。ますます肩が落ち、背が丸まる。
「………オレ、アルに合わせる顔がないんだ」
「何を今更。いつも通り、頼りがいのある兄を演じていればいいだろう」
「そうじゃなくて、」
 口籠もる少年に口角を引き上げて声を出さずに嗤い、ロイはちいさくつまらなそうな溜息を吐いた。伏せた瞼の裏に、痛々しく痩せ細った子供の姿が浮かぶ。
 エドワードの最愛の弟は、いくらか前にひとの身を取り戻していた。悲願の成就を、ロイは後見人として、年上の友人として祝福したが、けれどそれと、この少年との後ろ暗い関係はまた別のところにある。
「………君が私との関係を終わらせると言うのなら、」
 意味ありげに言葉を切ると、しばししてゆっくりと、エドワードが振り向いた。見下ろした金の眼は暗闇にいくらか光るが、爛々とした太陽の色は鳴りを潜め今はただ褐色に濁る。
 ロイは愛しい者を見るように微笑んで見せた。
「────君が私にするように、君の弟に同じことをしてやろう」
 微かに、少年が息を呑んだ。瞠られた眼は初めこそ驚愕と疑念に揺れたが、ロイが微笑みを崩さないと知ると見る見る暗い情念に燃えた。
 すっと上げられた鋼の右手が喉に掛かる。遅れて合わせられた左手が喉仏を圧迫した。けれどまだ咳き込むにも足りない。
「アルに手を出すなら、殺す」
「………いつ?」
「今、ここで」
 ロイはうっとりと笑った。
「私を殺せるのなら、もう君には何も怖いものはないな」
 永久に、愛しい弟を守っていけるだろう、と囁くと、僅かに篭もっていた指の力が抜けた。ロイは笑みを嘲笑に変える。
「だから君は駄目なんだ」
 
 何も殺せない。
 誰も殺せない。
 
 エドワードは無言で指を引いた。通りの良くなった気道が掠れて、ロイは二、三度軽く咳き込んだ。エドワードは眉根をきつく寄せた酷く辛そうな表情で、ただ黙って見下ろしている。
「………なあ、鋼の」
 ロイはシーツに所在なく突かれていた少年の左手を取った。ゆるゆると引き寄せて、その指先をちいさく噛む。
「代替で構わないのだよ」
 指に舌を這わせ、その合間を唾液で濡らす。
「なにも好きになれと言っているわけじゃない」
 唯一無二など望まない。
「私は君の弟と、似てはいまいな?」
「似てねえよ」
 全然、と呟く少年の、けれど手を振り解くこともできずに気まずく伏せた眼が全てを物語っている。
 ロイは腕を伸ばし、少年の前髪を指に絡めて引いた。痛ぇ、と顔を顰めたエドワードの眼がロイを見た。
「───女では代替にはなるまいな」
 何より、女性は色々と面倒が付いて回る。どれだけ慎重に事に及んだとしても、未だ銀時計を下げたままのこの少年のその地位と金と女のしたたかさを知らない若さに付け込まれないとも限らない。
「女よりは面倒がなくて、弟に近いんだろう、私は」
 見た目も色も声も年齢もその魂の在り方もなにもかもが違う子供と、男性である、というその一点が。
 からかうような笑みを含んだ言葉にどこか自虐めいた色を感じ、エドワードはふいに哀れなものを見るようにロイを見下ろした。
「………嘘。似てるよ、少し」
 ロイはゆっくりと瞬いた。熱が醒めるように笑みが抜け落ちる。
 どこかあどけなく開かれた黒い眼を見下ろして、エドワードは苦笑のような笑みを浮かべた。捕らわれた左手はそのままに、鋼の指で愛しくその額を撫でる。
「オレを好きなとこと、……ちょっと酷いとこが」
 もう一度、黒い眼がゆったりと瞬きした。エドワードは身を屈め、黒髪に口付ける。
「似てるよ。だから、………好きだよ」
 
 主語のない囁きに。
 
 代替で構わない、と言った男はゆっくりと眉根を寄せて、酷く酷く不快な顔をした。

 
 
 
 
 

■2006/2/11

珍しく最低な大佐が書きたくなって書いてみました。ら、意外なとこから反応がありました。みたいな。求められることに縋っているので絶対攻めには回れない誘い受け大佐。

初出:2006.1.25

エドロイ20題
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