09 / あちぃ  


 

100Fahrenheit over

 
 
 

「大佐ー、早く資料出して資料。こないだ電話で言ってたヤツ」
「おや、はがねの。来るなら事前連絡くらいしろ」
 言いながらいそいそと立ち上がった大佐(忌々しいことにオレの恋人)は相変わらず青白いのを通り越して灰色みたいな顔に満面の笑みを浮かべてオレの前までやって来た。ていうかしゃがむなそこで。見上げるな三十路。
「久し振りだなあ。元気だったか? ちょっと背が伸びたんじゃないか?」
「うるせぇ嫌味か中年。さっさと資料出せ。あと資料室の鍵と閲禁書架の閲覧許可」
「久々なんだからちょっとくらい構ってくれよ」
「オレは忙しいんだっつの。てかお前も忙しいんだろ、さっさと仕事しろよ中尉がキレる」
 オレまで撃たれる。
 大佐はまだぶつぶつと「はがねのが冷たい」などと言いながら(なんで年下のオレがこいつに優しくしてやらなきゃないのかさっぱり解らない)渋々と書棚へ向かった。綺麗に収められている書棚から分厚いファイルを選んで取り出す動きはどことなく緩慢で、もしかしたら拗ねているのかもしれなかったのでオレは用心深く観察してみる(拗ねるとマジウザい)。
 ゆっくりと歩いて隣に並び、書棚を見上げるついでに横顔を仰ぎ見る。
 今日は随分と顔が白い。蝋燭みたいだ。ただ目元がちょっとだけ赤くてまるで泣いた後のようだが、こいつがそうそう泣くような玉ではないことは知っているので(泣き真似はしょっちゅうなんだが。ていうか29歳男子にめそめそされてもキモい。ので泣き真似されると本気でキモい)まあそういうことではないんだろう。
 大佐が動くと袖口から微かにこいつの使っている香水が匂う(軍人が香水を愛用しているっていうのはどうなんだ。叱られないんだろうか将軍とかに)。布地の厚い袖口から覗く手首は白くて酷く骨が出ていてオレでも親指と人差し指で握れてしまう(しかも余る)くらい細っこい。いくら痩せてるったって有り得ない骨の細さだとつくづく思うが、身長や肩幅から見ると不格好なほど、こいつの身体中はこんなだ。関節ばかりが尖っていてシてるときに痛いときもある。
 軍服が厚くて良かったよなあ、と思いながら(何が良かったのかは敢えて追及せずに自分を許すことにする)オレは手を伸ばしてやっぱり回した腕がかなり余る細い腰にしがみついた。
「うわあ!!」
 うわあて。
 ばさばさばさ、と抱えていたファイルを全て取り落として色気も緊張感もさっぱりない悲鳴を上げた恋人の身体が、軽く震えたことにオレは気付いた。
「な、なんだはがねの! 忙しいんじゃなかったのか」
「忙しいよ。いいからファイル取れよ」
「取るから離れてくれ」
「たまに会ったんだからスキンシップして欲しいだろ?」
「いや、私も今日はちょっと仕事が山積みで」
「ふーん。…拾えよ、ファイル」
 背中からしがみついたままそろそろと肉のない腹と胸を撫でると、びくびくと震えた恋人はくたりと膝を折った。いつもよりも顕著な反応にオレは首を傾げる。
「………溜まってんの?」
「溜まってないから」
「へー、浮気したわけだ」
「大丈夫本気ははがねのだけだから」
「何が大丈夫なんだよ。嘘でもマス掻いたとか言っとけよ浮気者」
 背に覆い被さるようにして肩へ顎を乗せて耳元で囁くと、震える背を丸めて大佐は両手を床へと突いた。
「欲情してんじゃん?」
「…うー……」
「なに唸ってんの」
 首筋に唇を落とすと酷く膚が熱かった。
 熱に誘われるままに耳の付け根や顎の骨へと口付けながら、震える膚を宥めるように撫でてオレは軍服とシャツのボタンを外した。真っ平らな胸に生身の左手を滑り込ませる。
 軍服の中もやっぱり熱かった。
 普段は爬虫類なんじゃないかというくらい低体温のこいつの身体とは思えない。まるで一発ヤッた後のような身体をしてもう床にすっかりへたり込み身体を丸めているこいつの顔は見えないが、目元に血が上り本当に欲情しているような顔をしている。
 ていうか。
 
 熱過ぎんだろこれ。
 
「………たいさ」
「……うん」
「アンタ風邪引いてる?」
 大佐はちょっと黙った。
「咳とかくしゃみとかの諸症状はない」
「ふーん?」
「……けど、頭が痛くてぞくぞくして関節が痛くてお前が触るのが気持ち悪い」
「引いてんじゃねーかよ風邪。てか熱高いし! 言えよ馬鹿! 仕事してんじゃねーよ!」
「だって仕事が溜まっ…」
「いーからこっち来て座れ。ったく、たまに真面目に仕事してるから珍しー熱でもあんのかとか思ってたらほんとに熱あるし。どんなコントだ」
 腕を引いて立ち上がらせ、無理矢理ソファに座らせると大佐は心細い子供のように上目遣いにオレを見た(ほんとやめて29歳。男のプライドを持て頼む)。
「………せっかくはがねのが来たのに」
「こんな体調でヤッたって気持ちよくねーだろ!」
 外したシャツのボタンを第一ボタンだけ残して嵌めてやり、オレは踵を返して前室への扉を開けた。
「中尉ー! 体温計どこ体温計!」
「体温計?」
「大佐熱あるみたいだから。結構高そう」
 騒ぐと司令室で書類を見ていた中尉はすぐに救急箱を取り、体温計を握ってやって来た。
「具合は良くなさそうだとは思ったんだけど……」
「汗もまだ掻いてないしぞくぞくするって言ってるからもっと熱上がると思うけど」
「少尉に車を回させるから、今日はお帰りくださいと伝えてくれる? 明日は午後からで構わないから這ってでも出てきてくださいって」
 ホークアイ中尉が言い終わる前に、くわえ煙草のハボック少尉が立ち上がってブレダ少尉が投げた車の鍵を受け取り大股で出て行った。
 まったくこのひとたちはあいつに甘い。てか甘やかし過ぎ。だからあんなアホな29歳になるんじゃないのか。
 オレは中尉に「了解」と答えて執務室へ戻った。大佐はソファに沈み込んだまま目を閉じていたが、オレが戻った気配を感じたのかぱちりと瞼を開く。
「はい口開けてー」
 あーん、と言うと素直に口を開く。こんなに素直でいいのか軍人。すぐに寝首を掻かれそうだ。
 そんなことを考えながら体温計をくわえさせ、コートを脱いで掛けてやり勝手にクローゼットを開いて大佐の黒いコートも引っ張り出してそれも掛けた。コートに埋まった大佐はそれでもなんだか寒そうに肩を竦めている。オレはソファの肘掛けに座った。
「中尉が帰っていいってさ。その代わり午後からでいいから、明日は這ってでも出て来いって」
「………しごとが」
「解ってるよ、山積みなんだろ? だから明日は絶対出て来いっつってんだろ。少尉が車取ってくるみたいだから、来たら送ってもらって少しおとなしく寝ろ」
「はがねのはどうするんだ」
「オレは資料室に籠もる」
「明日は?」
「今日アルが図書館の閲禁書架の閲覧許可取ってくるから、明日は二人で図書館にカンヅメ。有用な情報がなけりゃ明日の夜行で次は南方に行く」
「……………」
「なんだよ、なんか不満か」
 大佐はくわえた体温計を落とさないようあまり口を開かずになにかもごもごと言った。聞き取れなかったオレが聞き返すと拗ねた眼が向けられる(しまった拗ねさせた)。
「なんだよ」
「……………」
「あー、いいから先に熱計れ。それから聞くから」
 まだ何か言いたそうな大佐を放って、オレは散らばったファイルを拾い纏め、ローテーブルに重ねた。それから大佐の口から体温計を抜く。
「うあ、100度ぶっちぎり。バッカだなー、具合悪いだろ」
「…………」
「で、なにか言い残すことは」
「そんなに死んでほしいのか……」
「割と」
「泣くよ」
「泣けば」
 はがねのがいぢめる、とぽとりとソファに横たわりいじけている黒髪を軽く小突いてオレは溜息を吐いた。
「ほら早く言え。少尉が来ちゃうよ」
 黒い眼がオレを見上げた。拗ねた顔をしているのにこの黒い眼はいつものようになんにも映していないように見える。真っ黒な穴が空いているみたいで、オレはこいつのこの眼がちょっと苦手だ。
 というか怖い。
 というか。
 引きずり込まれそうでなんだか嫌な感じだ。
 目を逸らすのに気力を総動員しなくてはならないハメになる。
「………帰らない」
「は?」
「はがねのの用が済むまで一緒に資料室にいる」
「なに言ってんの、こんなに熱高いのに」
「……じゃあ仮眠室で寝てる」
 オレは心底呆れた。
「アホか中年」
「酷いね…」
「なんのために中尉が帰っていいっつったと思ってんの。少尉だって自分の仕事横に置いて送ってってくれるんだぞ。いくら無能だからって部下の厚意を無下にしていいのか」
「だってはがねのが」
「三十路がだってとか言うな」
「まだ三十路じゃない」
「似たようなもんだろこだわんな男の癖に」
「………はがねの、なんだか今日は冷たくないか」
「お前が馬鹿だからだろーが」
 熱い額を小突くと「痛い」と不満げな眼が向けられた。オレは溜息を吐いて、小突いた手でくしゃくしゃと黒髪を撫でる。
「今日の夜に行くから」
 大佐は瞬きもせずにオレを見上げている。オレはちょっと照れて目を逸らした(それから屈辱を感じた。こいつ相手に照れるとは)。
「だから寝てろよ、夜は看病してやるから。一眠りしている間にすぐ夜だから寂しくねーだろ」
「はがねの」
 視線を上げるとちょっと起き上がってにっこりと笑った大佐が腕を伸ばした。仕方がねーな、と言ってオレは求められるままに抱き締めてやる。
 頬に当たるこめかみが熱かった。
「忘れてたら泣くよ」
「泣くなよそんなことで」
「じゃあ怒る」
「まあそれならまだマシだ」
 よしよし、と頭を撫でて身体を離し、軍服のボタンを留めてやったところで少尉が現れたので、オレはこの馬鹿で世話の焼ける大人を引き渡し静かになった執務室でファイルを開いた。
 頬にこめかみの熱さが残っていて、冷たい鋼の右手で触れるとじんと痺れるようだった。
 
 なにがムカツクって。
 
 あんな馬鹿にちょっとときめいたりしているオレだ。オレがムカツク。
 救いようがねェ。
 
 
 畜生、鬱だ。

 
 
 
 
 

■2004/7/17

エドロイお題1作目で軽くジャブ。こんな感じでいきますよ。大丈夫ですか?(わたしの頭が)

ところで体温計、外国っぽいかしら〜と華氏にしたんですがイギリスって摂氏なんだろうか。華氏100度は摂氏37.8度弱です。体温が101度まで上がると重篤だと思われます。

お題deエドロイ
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