08 / 甘過ぎる  


 

テディ・ベアのキス

 
 
 

 イーストシティの駅から出るとなんだか騒がしかった。
「テロ?」
「みたいだね」
 おや、と思う間にそのへんの野次馬から事情を聞き出したアルが頷く。
「もう片付いたみたい。今は後始末だって……あ、ほら、軍のひとたちが出て来た」
 指差された先を人垣を掻き分けて覗くと、毛布の掛かった担架をいくつか運び出し捕縛したテロリストたちを連行した憲兵の後から、なにやら書類を捲り話をしている見覚えのある青い軍服の連中が姿を現す。
 もう一度、おや、と思うと同時にアルがあ、と呟いた。
「大佐たちじゃない?」
「みたいだな」
 いつものように軍支給の黒いコートを肩に引っ掛け、眉間に皺を寄せて中尉と話をしている黒髪は確かにあいつだ。わざわざ司令部責任者がお出ましとは、なかなか骨のある連中だったのか。でなければ単に、書類仕事から逃げて来たのか。
 多分後者だ。
「こうして見るとやっぱり大佐って大佐だねえ」
「は?」
 見上げるとアルはかしゃん、と可愛く首を傾げてだってさ、と続けた。
「かっこいいじゃない、働く男って感じで。いつもは結構のらりくらりって感じなのに、やっぱり仕事しているときは肩書きに恥じないっていうか、有能そうだよね」
 
 それは普段は無能に見えるということか弟よ。
 
 まあ確かにどこから見ても無能なんだが、と内心で呟き、オレは「そうかあ?」と笑った。
「眉間に皺寄せて偉そうに立ってるだけだろ。有能なのは中尉とか少尉たちだよ」
「もー、そんな風に言っちゃ駄目だよ兄さん、失礼だよ」
 アルフォンスはあはは、と笑う。こいつも結構失礼なんじゃないかと思うが賢明なオレは口には出さずにおいた。
 ふと、あいつの横、中尉とは反対側にぴったりと盾のように寄っていたハボック少尉が顔を上げた。目が合う。
 瞬いていると、少尉は少し身を屈めてあいつの耳元で何事か話し掛けている。あいつがオレを見た。
「うわあ……」
 途端有能の顔を捨ててにこにこと笑顔になり、制止しようとしたらしい少尉の手を振り払ってこちらへ歩んで来る馬鹿に、アルが呆れたような、困ったような声を上げた。言葉は続かない。オレは一気にテンションが下がり思わず逃げようかと考えたが、人垣が邪魔で動けない。
「はがねの、アルフォンス君。来るなら来るで連絡くらいしたまえ」
 馬鹿は野次馬の真ん前で堂々とオレの手を取り、満面の笑顔で嬉しそうに話し掛けてきた。市民の好奇の眼が痛い。
「じゃあ行こうか」
「………どこに」
「司令部。用があるのだろう?」
「お前、仕事は」
「もう終わった」
 眼を向けると追い掛けて来た少尉がぶんぶんとかぶりを振った。オレはげんなりと肩を落とす。
「終わってないようですが、大佐殿」
「大丈夫、うちの部下は優秀だから」
 少尉ががっくりと肩を落とした。オレは深く同情しながら、大きく溜息を吐いた。馬鹿はまだにこにこと笑ったまま、オレの手を引きアルの腕を取り、すたすたと車へと向かい歩き出す。
「大佐、事後処理はどーすんですか!」
「うん、任せた、ハボック少尉」
「俺っすか!?」
「お前の部隊でやっておけ」
「………俺今日は戻ればあとは上がりだったのに………」
 追ってきた中尉が項垂れる少尉の肩を叩く。
「エドワード君たちが来たのではもう駄目よ。悪いけどお願いね、少尉」
「………教えなきゃよかった………」
 ぼやく少尉にもう一度深く同情を寄せつつ、オレは押し込まれるままに公用車へと乗った。
 
 
 
 
 
 山積みの書類を運ぶ中尉にお手伝いします、と言ってアルフォンスは執務室を去った。アルはちょっと中尉が好きみたいだからそのせいか、オレたちに気を遣ったか、でなければ逃げたかだが、多分逃げたのだ、兄を生け贄にして。
 ちょっと泣けてくる。
 ひとりソファに座って鬱々と溜息を吐いていたオレを執務机から立ってやって来た馬鹿が「詰めて詰めて」と追い立てた。
 ソファの隅へと追いやられ何事かと見ていると、大佐はごろりとソファに寝そべりオレの腿へと断りなく頭を乗せる。小さな後頭部が右腿の上でころころと動いてくすぐったい。
 オレはまたテンションが落ちて、はー、と溜息を吐いて天井を仰いだ。
「アンタさー、どうしてオレといるとこうなっちゃうの?」
「こう、と言うと?」
「駄目なカンジに」
 ああそれは、と大佐はオレを見上げて微笑んだ。
「私が君を好きだからだね」
「………アルなんかさー、『かっこいいよねー』なんて言ってたのに」
「無視?」
「アンタさ、オレがいないほうがまともなんじゃない?」
「そんな悲しくなることを言わないでくれ」
「仕事くらいちゃんとして欲しいんだよね、オレとしては。中尉たちに悪いしさ。まるでオレのせいみたいじゃん」
「君のせいだし」
「責任転嫁だし」
 大佐はにー、と口を左右に引いて笑った。
「かっこよかったか?」
「は?」
「さっき、お前はかっこいいと思ったか?」
「………お前な、ひとが真剣に話してるときに」
「惚れ直した?」
「……………」
 オレはじっと大佐の顔を見下ろす。オレの頭と垂れる前髪の影になった眼は光を吸い込んでフラットで、表情だけが笑っていてちょっと怖い。
 
 さて、どの解答が正しいんだ、この場合。
 
「………惚れ直したから、無能は無能なりに仕事してくださいバカ大佐」
 大佐はふふ、と小さく笑って目を閉じた。
「酷い言い種だなあ」
「ちゃんと仕事して尊敬されてるアンタのほうがかっこいいよ」
「憧れと好きなのは別だよ、はがねの」
「何言ってんだか解んねえ」
「私が頼り甲斐があって君が側にいなくても平気で誰の手を借りずとも仕事も何でも出来る男だったら、君はこんな風に黙って膝枕をさせてはくれないということだね」
 
 つか、そんな男だったら15の子供の膝に頭乗せて来たりはしないだろうバカ。
 
 黙って眺めていると、大佐はもぞりと寝返りを打って身体を捩り、オレの身体のほうへと顔を向けた。痩せた身体を抱えるように回されている腕が寒がっているかのようだ。
「………君がそうしろと言うのなら、ちゃんと自分の足で立つよ、はがねの」
「いい年した大人なんだからそれが当たり前だろ」
「ちゃんと前を見るよ」
「見てねーのかよ、前」
「上ばかり見てる」
「………だから危なっかしいんだ」
 ああでも、身の程も考えずに上を向いてふわふわと歩いている大馬鹿者だからこそ、こいつの部下たちはこいつが転んで怪我をしないよう、その無防備な背中を撃たれてしまわないよう、側でしきりに世話を焼くのだ。
 オレは鋼の右手でさらさらと黒髪を梳いた。
「……まあ、無理だよな」
「無理じゃないよ」
「無理じゃねーならなんで今出来てねーんだよ」
「疲れるからしてないだけだよ」
「そんな理由かよ」
 うん、と呟いて小さく笑った大佐に、オレは吐き気を感じる。
 
 バカめ。
 
「おい、無能」
 身を寄せて耳元で囁くと、馬鹿はオレを見上げた。
「正直に、死ぬほど疲れると言え」
 大佐は瞬きもせずにオレを見ている。
「まともにやってちゃ身が持たないと言え」
「………そんなこともないよ」
「ストレスで飯が食えなくなったり寝れなくなったり上っ面なことしか言えなくなるならそれは出来るとは言わない」
 オレは色の悪い頬に右手を添えた。
「お前、もうちょっと器用だったら良かったのになあ」
「器用だよ」
「どこがだよ。仕事とプライベートの切り替えもちゃんとできねーくせに」
「はがねのといるときだけだよ」
「違うっつの。今日みたいに外で一般人といるときはさすがにまともにしてるみたいだって解ってちょっと安心したけど、普段中尉たちとここで仕事しているときは気ィ弛んでんだろ」
 それを許してくれる身内だからこそ、こいつはやっていけるんだろうけど。
「ほんと、優秀な部下たちだよ。アンタにゃもったいねーな」
「……酷いな」
「バカにはちょうどいい」
 頬に添えた鋼の右手に大佐が手を重ねる。当然ながらその体温は伝わってこない。
「君は優しいなあ……」
「はあ?」
「好きだよはがねの」
「そうかい。そりゃ良かった」
 すりすりと子猫のように擦り寄る大人に右手を預けたまま黒髪を左手で梳く。時折鼻を掠める煤の臭い。
 バカめ、ともう一度口の中で呟いて、オレは大佐の手の中から右手を奪い返して肩を押し、仰向いた唇に噛み付いた。
「はがねの、痛い」
「だろうね」
「血が出たぞ」
 破れた唇を拭う指を掴み、オレは黒髪の下から足を引き抜き身体を反転させてソファへ乗り上げた。
「よし」
「なにが」
「するぞ」
 大佐は押し倒されているとは思えない呑気な顔で瞬いた。
「そうか」
「そう」
「鍵は?」
「コーヒーは出されてるし、中尉はアルと一緒に片付け中だし、しばらく誰も来ねーよ」
「来たら?」
「困るの?」
「私は困らないけど」
「んじゃ、いーだろ」
 ふうん、と呟き、大佐は首を傾げる。
「珍しい」
「好きだろ、こういうシチュエーション」
「それはお前だろう」
「オレは嫌。緊張感ありすぎて困る」
 じゃあ鍵くらい掛ければいいのに、と笑いながら、大佐は既にオレを離す気などない仕草で長い腕を首に絡めた。
「キスしてくれ。噛み付かないやつ」
「………了解、大佐殿」
 馬鹿丁寧に返事をして馬鹿丁寧に口付けると、唇から血の味と煤の臭いがした。
 
 バカめ。
 
 ───いや、無論、オレが。
 オレがバカだ。

 
 
 
 
 

■2004/7/25

深読みするととても暗い話。

テディ・ベアは男の子に与えられるおもちゃで、男の子の成長を見守って行く一生の宝物です。エドは大佐のテディ・ベアだと言う話(どんなだ)。でも熊のキスは痛い。
ところでわたし的にはお題はまったく外していないつもりです(目を逸らしつつ)。

お題deエドロイ
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