07 / そんなバカな  


 

ボタンは正しく掛けましょう。

 
 
 

「はがねの?」
 本日第二資料室を使用中なのは鋼の錬金術師ひとりであるとの報告を聞き、さくさくと仕事を終えて(じゃないと中尉が怖い)定時間近であることを確認し、じゃあ一緒に出て食事でも、とごく当たり前のように考えて扉を開いたロイは、薄暗い室内に首を傾げた。
「いないのかー?」
 声を掛けるが返事はない。もしかしてもう帰ったのだろうか。でもそれなら顔くらい出しそうなものだし、大体さっき事務で聞いたときには鍵が返されていた様子はなかった。
 トイレか? と首を捻りながら書棚の間を覗いて歩き、ロイはふと足を止め、身を屈めて棚の隙間から奥を見た。
 ちらりと覗く赤い生地。
 なんだいるんじゃないかと首を傾げ、また没頭しているのかな、と考えて、ロイは書棚を回ってその赤いコートを目指す。
「はがねの……」
 呼んだ声は途中で途切れた。
 本を積み、コートも脱がずに壁に寄り掛かった子供は膝に大振りのファイルを広げたままぐっすりと眠りこけている。壁の上には明かり取りの窓があるから、今より数時間早い時間であれば薄暗いこの資料室でも電灯を付けずに活字は読めたのだろうが、今はちょっと無理だ。どのくらい前からここでこうやって眠っていたのだろうか。
 そう言えば昼前に顔出しに来たときも寝不足の疲れた顔をしていたな、と考えて、ロイはそっと子供の膝の上からファイルを退かし、積み上げてある本の上へと置いた。
「はがねの。風邪を引いてしまう」
 囁いてみるが積極的に起こす気もなかったので、当然熟睡しているらしいエドワードからの反応はない。けれど放っておけば身体は痛むだろうし、本当に風邪も引いてしまうだろう。
 うん、よし、とひとり頷いて、ロイはエドワードの背と膝の裏へと腕を差し込み、胸に寄り掛からせてよいしょ、と抱き上げた。機械鎧の分と身長と見た目の細さの割に身の詰まった身体のせいでそれなりに体格の良い大人一人分と言ってもおかしくはない重さだが、なんとかよろめくことなく立ち上がる。
 積み上げられた本を片付けようなどという考えは端からないロイは、そのままゆっくりと書棚の合間を縫って資料室を出た。開いた扉は行儀悪く足で閉める(中尉に見つかったら叱られるので、当然周囲に誰もいないことは確認している)。
 腕の中で眠る子供の、身体の上からこぼれて落ちた左腕がゆらゆらと揺れるのを見ながら、ロイは仮眠室を目指した。途中で会った部下たちの物珍しげな視線には、瞳の微笑と声のない「静かに」との制止で黙らせ、子供の眠りを極力妨げないよう心を配る。
 腕の中の子供はほとんど寝息も立てない。まだ熟睡しているのだろうか。
 そんなことを考えながら一番近い仮眠室の扉を開き、背で閉めてロイは並ぶ二段ベッドの下段へとエドワードをそっと下ろし、ふう、と息を吐いて腕を揉んだ。しばし子供の顔を眺め、それからその頬の両脇に肘を置いて頬杖を突き、間近から金色の睫を眺めて微笑む。
「………はがねの。いい加減狸寝入りはよしなさい」
 薄く、片目が開かれた。ロイはくつくつと喉を鳴らす。
「やっぱり起きていたんじゃないか」
「抱き上げられて運搬されてんのに起きられるわけねーだろ、恥ずかしい」
「いいじゃないか、子供なんだから」
「いや恥ずかしいから、充分」
 言いながら、胸の上に乗り上げているロイの背に両腕を回し、エドワードは唇を歪めるようにして笑った。
「にしてもアンタ、よくオレをここまで運んでこれたよな。途中で落とされんじゃないかとひやひやしたよ」
「見直したか?」
「うーん、まあ、ちょっとね」
 でも、と背から滑らせた手で軍服に包まれた二の腕を撫で、エドワードはにや、と笑う。
「そろそろ限界だったろ? 疲れたろ」
「そうでもないよ」
「この意地っ張り」
 くつくつと笑ったエドワードに、頬杖を止めてぱたりと腕をシーツへ落としたロイが口付けた。ああもう、こら、とエドワードは黒髪を引く。
「止めろって」
「んー」
「んーじゃなくて」
「はがねの」
「何」
 軽く小首を傾げるとエドワードは心底嫌そうな顔をする。その顔が可笑しくて、ロイは少し笑った。
「しよう」
「えー、今?」
「うん」
「お前仕事は」
「終わった。もう定時」
 ふーん、と呟き、エドワードの手袋に包まれたままの右手が黒髪の落ちる額を撫で上げた。
「珍しい。そんなにオレといたかった?」
「うん」
「……素直過ぎるから、オッサン」
 苦笑したエドワードの指がまだ緩めてもいない襟をなぞり、襟足へと差し込まれた。首を竦めたロイが笑み混じりにくすぐったい、と文句を言い、軽く音を立ててエドワードへとキスを落とす。くすくすと笑いながら啄むように何度もキスをするロイにこちらも笑いながら、エドワードはゆっくりと軍服の合わせをくつろげ、シャツの上から胸を辿った。
 笑う息に、ふ、と色を乗せる吐息が混じる。
「はがねの……」
「─────ッ、あーッ!!」
 囁く声に応え口付けようとしたエドワードを、突如上段から降って来た叫び声が止めた。ぐらぐらとベッドが揺れ、シャッとカーテンが引かれる音がして上段から逆さまに降りた顔が二人を睨み付けた。
 
 
 
 
 
 ロイにのし掛かられていたエドワードはしばし固まり、それからそろり、と片手を上げた。
「………よ、少尉」
「よ、じゃねェッ!!」
 吠えた長身の若者は顔を赤くしたり青くしたりしながら続けて怒鳴った。
「いー加減にしてくれアンタたち!! いちゃつくなら余所でやれ余所でッ!! つか、先客がいるかどうかくらい確認しろッ! ひとの下でごそごそやらんでくれッ!!」
 見上げる二人は僅かにきょとんとしてはいるがどうもまずい現場を見られた意識はないようだ。
 その証拠と言わんばかりに何もなかったことにしてくるりと顔を背け、子供の首筋に顔を埋める上官とああこら、と甘やかすような声でたしなめたその恋人に、ハボックのこめかみがぶちり、と音を立てた。
「ひとの話を聞けッ、コラァッ!!」
「聞いてるから、少尉」
 ひらひらと片手を振り、懐く恋人の肩を掴んで引き剥がしたエドワードにロイが不満げな顔をする。エドワードが仕方がないな、とでも言いたげな溜息を吐いた。
「仕事終わったんだろ?」
「うん」
「んじゃ帰ろうぜ」
「……………」
「続きは後で。まず飯。な?」
 ロイは渋々、と言った様子で身体を起こした。その軍服のボタンをまだ横たわったままのエドワードが腕を伸ばして留める様を眺め、ハボックはげんなりと肩を落とす。
 
 というか、何が悲しくてこんな奇特な同性カップルの逢い引き現場に居合わせなくちゃならんのだ。しかも臆面もなくいちゃつきやがって。
 これがどちらかが女であったのなら畜生羨ましいぞこの野郎、と後で絞めてやることも出来るのだが、どちらも男では羨ましくもなんともない。精々この徒労感をどうにかしてくれと思うばかりだ。
 
 この精神的ダメージに労災は降りないのだろうかと考えていたハボックを、少年の声が少尉、と呼んだ。
「眠ってるとこ邪魔してごめんな」
「………あー、まーな」
「今日夜勤? 頑張ってね」
「………あのな、大将」
 つまらなそうな顔で扉の前でエドワードを待っている上官にちらりと視線を馳せ、ハボックは身を乗り出してエドワードに囁いた。
「あのひとちょっと羞恥心が壊れてっからさ、お前が気を付けてやってくれ。あんま司令部でいちゃいちゃすんな」
「でもあいつほとんど司令部にいるんだもん」
 
 このガキも羞恥心が壊れている。
 
 そうは思うが口には出さず、ハボックは乾いた笑いを洩らした。
「あー、とにかく、周りに誰もいないかどうかくらいは確認しろ。な? 頼むから」
「うん、そうする。悪かったね」
 まるきり子供の顔で笑ってひらひらと手を振り、エドワードはくるりと身体ごとロイへ向けた。
「じゃ、行こーか、大佐。まず資料室寄って片付けて鍵掛けないとならないけど。アンタそのままにして来たろ」
「うん。……じゃあな、ハボック少尉」
「あ、お疲れ様です」
 いつもの皮肉げな笑みを寄越した上官にほとんど反射的に返して、ハボックはぐったりと手摺りへ寄り掛かった。
 
 なんでこのひと平気なんだろう。
 子供(男子)との逢い引きを見られたというのに。
 
 そんなハボックを余所に、傍迷惑なカップルはなにやら楽しげに話をしながら仮眠室の扉を閉じた。ハボックは深く溜息を吐き、にわかに襲った頭痛を堪えてベッドへとひっくり返り毛布を引き寄せ眼を閉じた。
 
 ああ、どうしてあんなのについて行こうと誓ったんだろう、俺は。
 
 その問いに答える者はいない。
 そして自分でも不可解なことにこの期に及んでハボックは、あの頭の螺子がひとつふたつ飛んでいる(というかボタンを掛け違えている)上官を見捨てることが出来ない。
 俺もエドワードに負けず劣らず奇特だ、むしろ危篤だ、と呟いて、ハボックは憂鬱の色の濃い溜息を吐いた。
 
 
 
 
 
「これで全部か、はがねの」
「うん。さんきゅ」
 最後にことん、と新聞の縮小版の束をラックへ戻し、エドワードはロイを見た。
「ハボック少尉ってさー」
「うん?」
「アンタのこと好きだよね」
 ロイが瞬く。
「うん? どういう意味で?」
「いや、言葉のまま。凄い甘やかされてるよね、アンタ。口止めしなかったけど、絶対さっきのこと誰にも言わねーだろーし」
 ロイは首を傾げた。あからさまに自覚がない様子にエドワードは苦笑する。
「あのひととか中尉とか、そういうひとたちがいるからアンタそうやって大佐でいられるんだって、もうちょっとちゃんと解っとけよ」
「ああ、それは解っているよ。大丈夫」
 手を伸ばし、子供の頬を片手で包んだロイは身を屈めて口付けた。
「………嫉妬しているのかと思った」
「しないわけじゃないけどさ、オレの役割じゃないし、オレには出来ないことだからね、中尉や少尉のしていることは」
 ロイはこつり、と額を付けてくすくすと笑う。
「はがねのは可愛いね」
「気持ち悪いこと言うなオッサン」
 エドワードはロイの頭を引き寄せ唇を合わせた。唇を舐めると習慣のように薄く開かれる口に、微かに笑う。
「………ここでしてく?」
「してもいいけど」
「アンタ食欲なくなっちゃうよね」
「多分」
 それじゃマズいなあ、と苦笑して、エドワードはちゅ、と音を立ててもう一度キスをして身を離した。
「じゃ、さっさと飯食いに行こう」
「しないのか?」
「セックスより飯!」
「はがねのは若いくせに性欲が薄い」
「いや誰のせいだよ。てか薄くねーから。普通こういうこと言うのはお前だと思うんだけど、年齢的に」
「していいのに」
「心置きなくするためにまず飯を食ってくれ、ほんとに頼むから」
「……………」
「拗ねんなバカ」
 ぼす、と腹を殴って唸るロイの腕を掴み、エドワードはすたすたと歩き出した。
「ほら、もー行こーぜ」
「はがねのが冷たい……」
「どこがだ。激甘じゃねーか」
「どこが激甘」
「どこもかしこも」
 ふー、と嘆息しながらエドワードはかぶりを振る。
「なんつーかあれだよね、アンタを好きなひとって報われないよね」
「なんで」
「鈍いから」
 首を傾げるロイにもう一度溜息を吐く。
「少尉かわいそー」
「何故そこで少尉だ」
「さー何故でしょーねえ」
「………君、何か勘違いしてないか」
「べーつーにー」
「はがねの」
「あーもーお前うるさい」
 言い合いながら廊下を行く大人と子供の手は握られたままだ。
 
 いや頼むから見えるとこでいちゃつかないでください司令官。
 
 擦れ違う部下たちの内心はロイには伝わらず、エドワードにも伝わらない。

 
 
 
 
 

■2004/8/8

エドはハボが大佐に惚れていると思っている。
ハボック少尉は受難のひと。

なんだかとてもまとまりがない話に。ていうか今後書く予定のものの前フリのような。そうでもないような。
あ、東方司令部ではエドロイ公認です。そんな司令官は首にしてしまえ。とも思いますがそこら辺はほら有能な副官が!(そういう問題)
『見られた』にしようかと思ったんですがエロじゃないので『そんなバカな』に。部下のひとたちの心情。(解りにくい)そして見られたというよりは見てしまったが近いと思いました。

お題deエドロイ
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