04 / コート  


 

ふたとせてのひらゆめの体温

 
 
 

「大佐」
 やわらかで、けれどすうと鼻に抜ける爽やかな香りが漂った。ふ、と視線を上げると目線の高さの煉瓦塀へと腰掛けていた少年と眼が合う。ロイはひとつ瞬き、それから糸のように眼を細めて笑った。
「もう大佐じゃないよ、はがねの」
「ん、聞いた。准将だってな。今日も新しく勲章貰ったんだろ?」
「それも誰かに聞いたのか?」
「うん。一昨日東方司令部に寄ったときにさ、ほら、アンタたちが東方にいた頃からいる門番のひと。あのひとから」
「そうか」
「そろそろ少将にでもなんの?」
「そうすぐにはなれないよ。でもあと何年かのうちには」
「早いよな、やっぱり」
「有能だからね」
「肩書きだけ見ればね」
 どこかおどけた口調で言って笑う少年をまじまじと見上げ、ロイは両手をコートのポケットへと入れて僅かに肩を竦めた。
「………久し振りだね。2年ぶりくらいかな」
「2年と3ヶ月と17日ぶりだよ、准将」
「数えてたのか? そんなに私に会いたかったなら会いに来ればいいのに」
「アルが手帳に予定書き込んでんの。こないだ荷物の整理してたら一昨年のヤツが出て来て、アンタに最後に会った日がそのくらい前だったの」
「素直じゃないなあ」
「忙しかったんだよ。アメストリスに帰って来たのもつい先週だし」
「国外にいたのか?」
「ちょっとの間だけね」
「………言ってくれれば手続きしてあげたのに」
「アンタには関係ないことで密入国の手引きなんかすんじゃねーよ、馬鹿」
「はがねののことなら関係あるだろう」
「ねぇだろ。相変わらず公私混同っつーか、アンタ頭湧いてるよな」
 呆れたように言って頬杖を突き、少年は鋭く肉の削がれた精悍さを増した頬をにやりと歪めた。
「ま、そういうとこ変わってなくて、ちょっと安心した」
「………君は変わったね」
「そう?」
「うん。大人になった」
「アルにはもうちょっと落ち着けって言われるけど」
「うん。でも大人になったよ」
 ロイは眩しげに瞳を細めて少年を見上げる。コートの中で軽く握った手がかさかさと乾いて、ゆっくりと体温が籠もり普段は冷たい指先に血が巡る。
「………会いたいなあ、はがねのに」
 ふ、と、瞼を伏せた少年は吐息のように笑みを落とした。その大人びた仕草に、ロイはもう一度会いたいな、と繰り返す。
「………会えるよ、もうじき」
「忙しいんだろう?」
「ん、ちょっと腰を据えて研究したいからさ、中央にしばらくいようかと思って」
「…………いよいよか?」
「んー、まだ解んないけど……そうなればいいなってさ。ただそうするとかなりの大錬成になるから、誰かの手を借りる必要はあるかもしれないし、そしたら頼める錬金術師ってアンタか師匠しかいないし、でも師匠にはあんまり負担掛けたくないんだ。ちょっと具合よくないみたいでさ」
「私に出来ることなら」
「別に何にもしなくていいよ。ただもしもの時にアルを頼めて、事情を知ってるヤツが必要になるかなって………だからもしもだもしも。泣くな馬鹿」
 みるみる眉を曇らせたロイを苦々しく半眼で見下ろし、少年は溜息を吐いて金髪を掻き回した。
「なんなのもう、いい年したオッサンがめそめそすんじゃねーよ」
「泣いてない」
「あーそうね、泣いてないね」
「はがねのがいじめる……」
「苛めてねーだろ、ウゼェなもう」
「久し振りなのに……」
「あーほんと久々の母国なのになんでアンタに会いにきたのか全然解りませんー。アンタ相変わらず面倒臭い」
「…………そんなにいじめなくても」
「だから苛めてねーっての」
「はがねの」
 なに、と溜息を吐きながら棘のある声で返した少年に、ロイは小さく首を傾げた。
「アルフォンス君と二人でゆっくり、あちこちを見ながら戻って来なさい」
 顔を上げた少年がどこかあどけない表情できょとんとロイを見つめる。ロイは笑った。
「今の時期はどこも綺麗だよ」
「…………明日リゼンブールに向かって機械鎧整備しがてらウィンリィとばっちゃんとデンに会って、そしたらあとはすぐ中央に来るけど?」
「急がなくていいよ」
「オレに会いたいんじゃないの?」
「会いたいよ。でも急がなくていい」
「オレは急ぎたいんだけど。急いで悪いってことはないし」
「はがねの」
 ゆっくりと、コートから引き出した手を差し出す。
「生き急がなくていい」
「…………生き急いでなんかねぇよ」
 返された言葉は小さくて、少年は僅かに困惑げに差し出された手を見つめ、それからそっと左手を持ち上げた。
 ゆるり、と、掌が重なる。
「准将! ちょっとそんな重たい勲章ぶら下げたままひとりで帰んないでくださいよ! 叙勲したばっかで暗殺でもされたら誰が責任取ると思ってんですか!?」
 ぴく、と指が震えた。思わず振り向くと軍用車を停めた部下が血相を変えてばたばたと駆けて来るところだった。
「まったく、帰るんならすぐ車回しますからって言ったでしょ!」
 ロイは部下から視線を逸らし、無人の煉瓦の上を見遣る。あー、と呟いて溜息を吐くと、愚痴愚痴と小言を言っていた部下が首を傾げた。染みついた煙草の臭いが流れる。
「准将?」
「お前のせいではがねのが」
「は? 鋼の大将が来てんですか? どこに」
「せっかく会いに来てくれたのに」
「いやだからどこに? 司令部にでも向かいました? それともアンタんちですか? もうちょっと待っててくれれば一緒に乗せてったのに」
「いないよ」
「は?」
「いない」
 ロイは振り向き、僅かに拗ねていた眼ににこりと笑みを乗せた。
「ハボック。ちょっと郊外の、広い一軒家を探していくつかピックアップしておいてくれ。今週中がいいな」
「は?」
「研究用に一軒買うから」
「はあ? アンタ研究なんかしてる暇ないでしょうが」
「うん、私が使うんじゃないけど」
 言いながらすたすたと軍用車へと向かうロイを慌てて追って来た部下はわけが解らない、と言う顔で首を傾げる。
「んじゃ、誰が使うんです」
「エルリック兄弟が」
「中央に住むんですか? ってやっぱりいるんじゃ」
「いないと言ってるじゃないか、しつこいな。でも近いうちに来ると思う」
「なんで解るんです」
「虫の知らせ」
「いや全然解りません」
「大きくなってたよ」
「はあ」
「私より大きいかなあ。まだ低いかなあ。でももうそろそろ豆とは呼べないね、小さいけどね」
「いや本当全然解りません。やっぱ来てるんじゃないですか。それともまたどっかに発ったんですか? 忙しないですからね、あの兄弟。でも久々なんだから顔くらい見せてけばいいのに」
「お前は馬鹿だなあ」
「…………悪かったですね」
「虫の知らせだと言ってるのに」
「………いや、もういいです。会わなかったけど会ったんですね」
「うん」
 こくりと頷いたロイに、部下は深々と溜息を吐いて後部座席のドアを開いた。
 
 
 
 
 
「あ、兄さん起きた? どうだった? いい夢見れた?」
「んー………色々出て来た」
 うーん、とひとつ伸びをしてごろりと俯せに返り、エドワードは枕の下からすうと鼻に抜ける香りのする匂い袋を取り出した。
「色々って誰?」
「んーと、まずウィンリィとばっちゃん。明日夜にはそっち着くって言ったらもっと早く電話しろって怒鳴られた」
「あはは、殴られた?」
「殴られそうになったから逃げた。あと師匠んとこ。………もうちょっとしたら会いに行きますっつっといた」
「ん」
「それから母さん。ごめんなさいっつったら、笑ってた」
「………そっか」
「あとな、ヒューズさんとこ。エリシアでかくなってたよ。グレイシアさんに似てるな、やっぱ」
「中央に行ったら会いに行かなきゃね」
 言いながら隣の寝台に腰掛けた弟は、かしゃ、と小さく音を立てて首を傾げた。
「大佐は?」
「あ?」
「大佐は出て来なかったの?」
 弟はエドワードの手の中の匂い袋を指差す。
「会いたいひとに夢で会える香りでしょ?」
「…………なんでアイツに会いたがんなきゃねーの?」
「会いたくないの? ボクなら会いたいけど」
「………お前アイツに会いたいの? 面倒臭ェだけだろ、あんなヤツ」
「どうして? 会いたいよ。大佐だけじゃなく中尉にも少尉たちにも、みんなに会いたい。2年ぶりだもん。凄く会いたいよ」
 エドワードはぽかんと弟を見つめ、それから決まり悪く頬を掻きながら視線を手の中の袋へと落とした。
「………な、アル」
「ん?」
「中央に行く前にさ、あちこち見てから行くか?」
「え?」
「ほら、なんつーか……アメストリスも久々だし、春だしさ。どこも綺麗だろ、今の時期」
「うん、ここのホテルの中庭の花壇も凄く綺麗だよ。後で一緒に見に行こうね」
「じゃなくてなー、」
「リゼンブールも春だよね。中央に行く途中の景色も凄く綺麗だと思うな」
「だからさ」
「兄さん」
 弟は僅かに眼窩の光を笑みのように細く絞る。その瞬く光に、エドワードは言葉を納めた。
「元に戻ってからね、あちこち見て回ろう」
「…………アル」
「元に戻った目線の高さから、鎧で見て来たものをもう一度見たいな、ボク。あとね、北方の塩湖にも行ってみたい。ボクら錆びるかもって避けたじゃない? でもボクも兄さんも元に戻ればそんな心配ないもん」
「………そっか」
「うん、それでいいよ。だから早くウィンリィとばっちゃんに会って、それから大佐たちに会いに行こうね」
「………そうだな」
 うん、と頷き、エドワードは匂い袋をしばし見つめ、それから弟に差し出した。
「これさ」
「うん?」
「元に戻ったらお前も試してみろよ。誰に会いたい?」
 弟は頬の辺りへと指を当て、そうだねえ、と思案する。
「ちゃんと直に会って挨拶したいひとばかりだけど、……母さんとかヒューズさんとか、あと、ニーナとかかなあ……」
 揃えた膝に両手を置き、肩を竦めるようにして弟はあえかな笑みで空気を震わせた。
「ん、でも、いいよ。ボク、ちゃんとおじいさんになって死んで、それから天国に会いに行くから」
「天国ってお前、どんだけ先だよ」
「だから、ずーっと先。みんなとね、おじいさんとかおばあさんになってから。だからね、それは兄さんが持っててよ」
「オレだっていらねーよ。会いたいなら会いに行くし」
「会えないときもあるかもしれないじゃない」
「つか、まずお前は一緒にいるし、だから使わねーって」
 弟はじゃあ、と妥協するように首を傾げた。
「大佐にあげなよ」
「は?」
「会うでしょ?」
「………そりゃ会うだろうけど」
「あげなよ。喜ぶよ」
 エドワードはまじまじとその女性好きしそうなアイテムを見つめた。
「喜ぶかあ?」
「うん、多分」
「アイツ喜ばせてどうすんだよ」
「もー、兄さんそんなことばっかり言って。いいじゃん、シンのお土産だって言えばさ」
「なんでアイツに土産なんかやんなきゃねーの」
「お世話になってるのに急に音信不通になったりして、心配掛けたからに決まってるじゃない。もう、いいからさっさとしまって、ご飯食べに行こうよ」
 なんでオレが、とまだぶつぶつと文句を言いながらもそれでも素直にトランクへとしまうエドワードに、弟は声を立てずにうっすらと笑んだ。その、僅かずつ浮世離れしつつある弟を前髪の奥からちらりと見遣り、エドワードは小さく瞬いてアル、と呼んだ。
「なあに?」
「……………、……いや、飯行くか」
「うん」
 立ち上がると寝乱れた長い三つ編みが背を滑る。
「兄さん、髪、編み直さないと」
「あー、面倒」
「みっともないよ」
「いいって別に」
 くわ、と欠伸を一つして、エドワードは弟の腕を取った。見上げ、に、と笑う。
「行くか」
「うん」
「ここの街って夜景がすげー綺麗なんだってさ。帰りは広場のほう回って来ような」
「兄さんがそういうの見たがるのって珍しいね」
「ッせ」
 その冷たい鉄の手を握り引いて歩くエドワードの腕を、弟は振り解かずに素直についてくる。
 
 ────生き急ぐなと。
 
(………解ってる)
 けれどもう時間がないから、だから。
 今走らなければきっと後悔をするのだから。
 
 多分、あの男にはそんなことは解っているのだろうけれど。
 
 エドワードはふと瞳を上げ、今は西へある首都の空へと視線を馳せた。鉄の手を握る左手に、夢の中感じた乾いた、けれど温かな体温を錯覚する。
(会いに行くよ)
 あと幾夜かの、のちに。
 
 あの、真っ暗な深淵に。

 
 
 
 
 

■2005/4/23
どこがコートだ。(まったくだ)
久々にお題エドロイ書いたらなんだかびみょーに勘が掴めずあれあれれー? みたいな。ていうかエドロイなのかなこれ。わたしは凄いエドロイだと思ったんですけど。えろってないので余計になんだか普通の恋人みたいじゃないの…! と。
エドはアルがとても心配。大佐は兄弟がとても心配。

お題deエドロイ
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